12月18日(月)
中学のサッカー部には少年サッカークラブ(以下SC)あがりのヤツとそうでないヤツでしっかり線引きされていた。SCあがりのヤツは1年の時からいきなりボールを触る練習に参加でき、そうでないヤツは球拾いや声だしをさせられた。僕はそのSCに一日だけ入団したことがあったのだが、声を出してランニングするというのがあまりに恥ずかしいので一日で辞めてしまった。まあそれでも初めは仕方ないと思った。何せ経験者だから僕らより彼らは巧かったのだ。
ところが1年、2年と経つうちに実力差はなくなり、SCあがりでも下手なヤツがいることがわかり出す。またSCあがりのなかに、いつでも試合に出られるからということで練習に来ないヤツも現れた。僕の親友ライはそういう状況に嫌気がさし、サッカー部を辞めゲーセンに入り浸るようになった。僕もイーアルカンフーとアッポーとパックランドに心を動かされそうになったが、杉江家の鉄則「部活を辞めてはならない」に従い、じっとこらえていた。
しかししかしどうしても我慢できない日がやってきた。Kというヤツは練習にまったく参加しないのに、日曜日の試合になるとやってきて、ちゃっかり試合に出ているのである。その日、僕は試合の終わったグランドの真ん中にKを呼び出し、「お前が巧いのは認めるけど、試合に出たいなら練習に来いよ、じゃないと一生懸命練習に来て出られないヤツが可哀相だろ」みたいなことを言った。ところがKは関係ないぜ、みたいな顔をしたので、思わずその顔面を思い切りぶっ飛ばしてしまった。殴りかかってくるかと思ったKは何もして来ず、みるみる腫れていくKの顔と、拳の痛みがいつまでも残った。
そして次は顧問の教師のところにいった。「試合には練習に来ないヤツを出さないで、入部以来一度も休んでいないNとかを出してやるべきでは。部活は教育の一部なんですから。僕はいいからそうしてください」と進言した。ところがそれを聞いた顧問はぶち切れ「お前は俺のやり方にケチを付けるのか」と怒鳴りまくり、仕舞いには蹴りを入れてきた。僕は何となくそういうことになるのを予想していたので、身をかわした。顧問はかわされたことで一段と怒りを増し、何度もケリをくれてきた。僕はかわし続けた。
結局その後、僕は完全に干された。3年生の最後の大会でも、ベンチ入りメンバーになりながらもただひとり使われることがなかった。市内大会も地区大会も県大会も。県大会では会場にいくバスにレギュラーメンバーが酔ってしまい、ほとんどの選手がゲロゲロだったのだが、それでも使ってもらえなかった。その頃つき合っていた彼女に「どうして出られないの?」と聞かれても「俺、県大会の秘密兵器だから」なんて笑っていたが秘密のまま僕の中学サッカー人生は終わってしまった。まあそれは僕が下手だったからかもしれないけれど。
ちなみに僕が進言したNは当てつけのように使われた。そしてNも下手くそだったから県大会初戦敗退の戦犯扱いにされた。
こういうくだらない話が、2006年W杯を闘った日本代表にもあったのだ。そのことが『敗因と』金子達仁、戸塚啓、木崎伸也共著(光文社)を読むとよく分かる。想像通りといえば、想像通りの内容なのだが、サッカーバカには哀しい1冊だ。