コラム / 高橋良平

ポケミス狩り その12
「日本作家の巻」

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装幀・勝呂 忠
 我が家にあるポケミス版『黒死館殺人事件』には、ノド近くに3か所、千枚通しであけたと思しき穴があり、さらに最終ページに「イワオ書房」というスタンプや数字が青インクで押されており、貸本屋流れのポケミスなのは、一目瞭然。この本と『ドグラ・マグラ』は学生時代、SF研の先輩Sさんからいただいた。当時男性化粧品のCMでも知られたハリウッド俳優似で、ブロンソンという渾名のSさんは、卒業後、外資系のホテルマンになるが、ぼくが上京して最初に住んだ西が丘の四畳半のアパートから、赤羽駅をはさんだ反対側、赤羽商店街の先に自宅があり、徒歩半時間ほどの"ご近所"でもあった。

 Sさんは探偵小説ファンで、たぶん学内にミステリのサークルがなかったからSF研で間に合わせた(?)らしいが、探偵小説で話があうのは、先輩では広島カープ・ファンのMさんと、めったに顔を出さない古書ハンターのSさんくらい。自室書架には、講談社版の「江戸川乱歩全集」と「横溝正史全集」が並んでいた。そのころ、SF本は内外合わせても数は知れており、半年もあれば、めぼしいモノを読破、いっぱしのSFファン気取りができたものだが、Sさんは国産品をもっぱら読んでいたように覚えている。

 横溝作品に熱弁をふるってやまぬSさんからまず、「ほら、読みなよ」といわれて貰ったのが、『ドグラ・マグラ』だった。これはありがたく、嬉しかった。なぜなら、静岡のファンジン〈ルーナティック〉が実施した"オールタイムSFベスト"(高校生のぼくも投票に参加)で、総評の伊藤典夫さんが自己のベスト10に入れていて、いつか読もうと思っていたからだ。すでに三一書房版の『夢野久作全集』は出ており、幻の書ではなくなっているが、函入り本は高いし、他に読みたい本も多く、つい後まわしになっていた。

 久作の短篇は、〈HMM〉1967年5月号「特集:懐かしの《新青年》」の「あやかしの鼓」や『ブラック・ユーモア選集5/ 日本篇・短篇集』の「卵」で猟奇作風に多少の馴染みはあったけれど、『ドグラ・マグラ』には一読、魂消たものだ。"脳髄宇宙"小説系であっても、ディックの『宇宙の眼』とも違い、読後もまだ心半分、小説世界に幽閉されたようで、しばらく、グリングリンと眩暈がした。高校時代、友達から渡された得体の知れぬ錠剤を飲んで、目をまわした体験に似ていた。

"編集部・M"(都筑道夫)氏は、解説「あやかしの詩人」で、〈この作品を理解できないという声もあるが、実はあるポイントから見れば、これほどわかりやすい小説はないのである。つまりこれは、狂人の主観を通して、狂人をめぐる一事件を書いたもの、と見ればいいのだろう。この意見には異説があるかも知れないが、夢野久作のほかの作品を考えれば、当つているのではなかろうか〉と解答しているが、ロジックを見つけることで、この酩酊状態が消えるとも思えない。叙述の魔術(トリック)。言語ドラッグ。解毒剤を求めて、とり急ぎ書店に飛び込み、全集版の鶴見俊輔だったかの解説を、立ち読みで服用してみたが、なんの効き目もなかった。そういえばと思い出し、未読だった平岡正明の『韃靼人宣言』のしかるべき章に目を通し、ようよう回復した次第。この頭クッラクラッは、英語でいえば mind-Blowing とか mind-bogglingで、たしかにSFと共通する醍醐味に違いないのであった。

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装丁・浜田稔
 さて、小栗虫太郎のほうはといえば、SF者であるからして、借り物の桃源社版『人外魔境』を斜め読みしたことはあるが、我らがヒーロー折竹孫七、人跡未踏の神秘境を発見するものの、大活躍とならず、なんやかやと理屈をつけて引き返してしまうパターンに、肩すかしをくらっての残念気分が、遠い記憶にある。

『黒死館殺人事件』をSさんから貰ったのは、『ドグラ・マグラ』の感想をぼそぼそ伝えてからしばらくしてのことか、名高い作品のなのでやや身構えて読みだすのだが、わずか10ページほどの「序篇 降八木一族釋義」だけで、濃縮の綺譚を読んだ気になり、もう満腹、それだけで本を閉じることしばしば。活字が大きければなんとかなるかもと、桃源社版に手をのばすが、「第一篇 死軆と二つの扉を繞つて」の途中で挫折。かくてはならじと一念発起、読み通せたのは最近のこと。なにせ、法水麟太郎が滔々と述べる蘊蓄に、澁澤龍彦のペダンティズムに通じる峨々たる知識山脈を仰ぎ見て目が眩み、おまけに古城因果の奇現象頻発的ゴシック・ロマンめくときては、犯人推理などそっちのけで耽読。またもや本格探偵小説読者失格である。それにしても、本書は、原文どおりの正字・歴史的仮名遣いで読むのがグッと気分がでて、よろし。

 ところで、周知のごとく、60年をこす歴史の中で、ポケミスに収録された近代日本探偵小説は----

 #195 浜尾四郎 『殺人鬼』    (1931年)55年4月刊
 #240 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』(1935年)56年2月刊
 #276 夢野久作 『ドグラ・マグラ』(1935年)56年9月刊

 この3点のみ。〈EQMM〉創刊2号の56年8月号の自社広、『ドグラ・マグラ』の新刊紹介文は、〈「殺人鬼」「黒死館」につぐ、戦後再刊をのぞまれながら、実現しなかつた日本物故作家の傑作。日本探偵小説史上、もつともユニークな作品であるばかりでなく、ここに描かれた世界は、海外の作品にも類を見ない。狂つた主観を通してくりひろげられる奇怪な物語は、読者を妖しい悪夢に酔わさずにおかないだろう〉というものだった。

『殺人鬼』は未入手で解説も目にしていないので、なにかコメントあるやもしれぬが、なぜ、この3点が収録されたのか、『黒死館殺人事件』の中島河太郎解説にも、乱歩の『探偵小説四十年』にも言及は見当たらず、都筑さんの前にポケミスの編集者だった田中潤司さんも、なんら発言していないようで、刊行リストで目にして以来、謎のまま。そんなの常識さとおっしゃる事情通の方には、ぜひ、ご教示願いたい次第......てなグダグダの感じで今回は失礼。


[資料篇]"ポケミス"刊行順リスト#9(奥付準拠)
1957(昭和32)年・下半期
 7月15日(HPB 337)『ヴァルカン劇場の夜』N・マーシュ(村崎敏郎訳)
 7月15日(HPB 340)『ダーブレイの秘密』R・A・フリーマン(中桐雅夫訳)
 7月31日(HPB 339)『夜に目覚めて』B・ハリデイ(中田耕治訳)
 7月31日(HPB 341)『駈け出した死体』E・S・ガードナー(田中西二郎訳)
 7月31日(HPB 343)『死との約束』A・クリスティー(高橋豊訳)
 7月31日(HPB 345)『殺人狂想曲』J・H・チェイス(田中小実昌訳)
 7月31日(HPB 348)『道の果て』A・ガーヴ(北村太郎訳)
 8月15日(HPB 349)『魔性の眼』ボアロー&ナルスジャック(秋山晴夫訳)
 8月31日(HPB 347)『怒った会葬者』E・S・ガードナー(福島正実訳)
 8月31日(HPB 350)『怯えるタイピスト』E・S・ガードナー(宇野利泰訳)
 8月31日(HPB 352)『運のいい敗北者』E・S・ガードナー(妹尾韶夫訳)
 8月31日(HPB 361)『杉の柩』A・クリスティー(恩地三保子訳)
 8月31日(HPB 363)『喪服のランデヴー』C・ウールリッチ(高橋豊訳)
 8月31日(HPB 364)『スタイルズ荘の怪事件』A・クリスティー(田村隆一訳)
 9月15日(HPB 338)『ひらいたトランプ』A・クリスティー(加島祥造訳)
 9月15日(HPB 365)『海軍拳銃』F・グルーバー(中桐雅夫訳)
 9月30日(HPB 346)『樽』F・W・クロフツ(村上啓夫訳)
 9月30日(HPB 366)『死ぬのは奴らだ』I・フレミング(井上一夫訳)
 9月30日(HPB 368)『ABC殺人事件』A・クリスティー(鮎川信夫訳)
 9月30日(HPB 369)『ここにも不幸なものがいる』E・ラストガーテン(村崎敏郎訳)
 9月30日(HPB 370)『メグレと無愛想な刑事』G・シムノン(新庄嘉章訳)
 10月15日(HPB 344)『ロンドン港の殺人』J・ベル(中川龍一訳)
 10月15日(HPB 371)『あなたに似た人』R・ダール(田村隆一訳)
 10月31日(HPB 302)『Yの悲劇』E・クイーン(砧一郎訳)
 10月31日(HPB 373)『黒い天使』C・ウールリッチ(黒沼健訳)
 10月31日(HPB 374)『ナイルに死す』A・クリスティー(脇矢徹訳)
 10月31日(HPB 375)『クイーン警部自身の事件』E・クイーン(青田勝訳)
 10月31日(HPB 377)『カルディーノの息子』G・シムノン(秋山晴夫訳)
 10月31日(HPB 379)『殺人は容易だ』A・クリスティー(高橋豊訳)
 11月15日(HPB 372)『別れた妻たち』C・ディクスン(小倉多加志訳)
 11月15日(HPB 378)『グレイシイ・アレン殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン(田中清太郎訳)
 11月15日(HPB 380)『臆病な共犯者』E・S・ガードナー(井上一夫訳)
 11月15日(HPB 382)『寝室には窓がある』A・A・フェア(田中小実昌訳)
 11月30日(HPB 367)『アラビアン・ナイト殺人事件』J・D・カー(森郁夫訳)
 11月30日(HPB 376)『寝ぼけた妻』E・S・ガードナー(尾坂力訳)
 12月15日(HPB 381)『恐怖』C・ウールリッチ(高橋豊訳)
 12月15日(HPB 384)『満潮に乗って』A・クリスティー(恩地三保子訳)
 12月15日(HPB 387)『裏切りへの道』E・アンブラー(村崎敏郎訳)
 12月15日(HPB 388)『五人目のブルネット』E・S・ガードナー(峯岸久訳)
 12月31日(HPB 383)『ヴォスパー号の喪失』F・W・クロフツ(鈴木幸夫訳)
 12月31日(HPB 385)『誘拐殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン(大橋健三郎訳)
 12月31日(HPB 386)『金蠅』E・クリスピン(加納秀夫訳)
 12月31日(HPB 389)『馬鹿者は金曜日に死ぬ』A・A・フェア(井上一夫訳)
 12月31日(HPB 391)『奥の手の殺人』E・S・ガードナー(野中重雄訳)
 12月31日(HPB 393)『危険な未亡人』E・S・ガードナー(船戸牧子訳)

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