『眠れぬ夜はケーキを焼いて』午後

●今回の書評担当者●宮脇書店本店 藤村結香

「あ、売れている」売上データを確認しているときに気になったこのタイトル。表紙の、ミルクを溶かし込んだような柔らかい色調にも惹かれたコミックエッセイ。平松洋子さんの『夜中にジャムを煮る』が好きで、ふとしたときに読み返したくなるのですが、きっとこの本からも似た匂いを感じて購入。
 寝る前に読み返すと気持ちが落ち着く1冊になりました。

 生活サイクルが狂いやすく、入眠時間と睡眠時間が毎回バラバラになってしまう著者。皆が寝静まっている真夜中に起きてしまうことも。そんな時彼女は家にあるものでパウンドケーキを作り、好きな具材を好きなだけ入れて焼く。その焼き上がりを一口食べる頃には、夜が明け始めて憂鬱も消失する──。

 こういう感じで、真夜中にお腹が空いたので豆腐のアヒージョを作ったり、カップケーキを沢山焼いたり、雨の日に手間のかかるプリンを蒸したり、ガトーショコラ、スコーン、レモンケーキを焼いたり、体に優しい野菜を食べたり...。明け方に行くコンビニ、人がぽつぽつといる真夜中のファミレス...。何かしら特別な出来事が起こるわけでもない、誰でも経験していそうな「真夜中」の世界や「1人」の世界が綴られています。
 時には見てしまった悪夢を思い返しながら漠然とした不安を抱きつつ、お菓子が焼ける甘い匂いに心を解いていく。飼い猫の愛のムチを受けながら(笑)。
 
 こういう感覚、私もあります。というか多分誰にでもある。
 私はシフォンケーキを作るのがそこそこ得意なのですが、作れるようになったのは一人暮らしをしていた大学生の頃でした。あの頃、1人で家にいる時に雨が降ってきたりしたあの時間、世界から切り離されたような、なのになぜか安心するような不思議な気持ちになったものです。そういう時に、レシピを検索して挑戦してみたのがシフォンケーキでした。それ以来、何かと作るようになった唯一といっていい焼き菓子です。

 作中で著者の午後さんも、星や雨、夏の終わりや子どもの頃教科書に載っていた物語等に思いを馳せ考えに耽ります。午後さんの言葉の表現がさりげなく素敵な言葉ばかりです。子どもの頃に教科書で読んで印象深く記憶に残った作品、ありますよね。私は谷川俊太郎さんの「朝のリレー」かな。 
 
 エッセイの素敵な所は、それを書いた人がすぐ目の前で行動しているような感覚になれる所ではないでしょうか。
 本書の場合は、午後さんの隣の家に住んでいるような感覚。時折夜中に薫ってくる焼き菓子の匂いに鼻をクスクスさせているような心地。

 このコミックエッセイ、レシピは勿論ですが合間の洗い物や片付けのタイミングまでかなり丁寧に描かれています。私は午後さんレシピのレモンケーキを作ってみたいと考えているところです。

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宮脇書店本店 藤村結香
宮脇書店本店 藤村結香
1983年香川県丸亀市生まれ。小学生の時に佐藤さとる先生の「コロボックル物語」に出会ったのが読書人生の始まり。その頃からお世話になっていた書店でいまも勤務。書店員になって一番驚いたのは、プルーフ本の存在。本として生まれる前の作品を読ませてもらえるなんて幸せすぎると感動の日々。