『白野真澄はしょうがない』奥田亜希子

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

  • 白野真澄はしょうがない
  • 『白野真澄はしょうがない』
    奥田 亜希子
    東京創元社
    1,760円(税込)
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 助産師の白野真澄は、31歳になる今日まで恋愛経験はゼロ。人知れず焦りを感じている彼女の心情をよそに、妹の佳織は《いい子》《優しい》《羨ましい》と何かと真澄を持ち上げる。しかし真澄から見れば、子どもの頃から容姿に恵まれ、恋愛もセックスも早くから経験し、結婚した後もモデルとして活躍している妹の方が、余程羨ましい境遇である。
 そんな本心は伏せたまま、真澄は、周囲の期待に応えるように、或いは「自分にはこの程度がお似合いだ」と諦めてでもいるように、"いい子"の枠からはみ出さないように生きてきた。

 イラストレーターの白野真澄は、イラストだけでは食っていけず、本屋でのアルバイトで収入を補っている。そんな中途半端さをイラストレーター仲間から批判され、《なにもかもをかなぐり捨てて突っ走れるものが、自分には、ない》と、己の生き方に自信を失くす。

 子どもが独立した後、婦人服店に再就職した白野真澄は、結婚して30年以上"妻"である事を最優先に生きてきた。料理の味付けからネットでの買い物まで、夫の満足が第一だった。しかし、勤め先の閉店で専業主婦に戻った時、良妻賢母という役割にうんざりしている自分に気付いてハッとする。

 居酒屋でアルバイトをする白野真澄は大学生。家では父もその後妻も、幼い妹につきっきりで真澄の存在感は無いに等しい。バイトの仲間内では優しい人柄で通っているものの、実際は惰性のように続く恋人との時間が退屈で、お金持ちの二枚目との浮気を、遊ばれているのを承知で繰り返している。
 そんなヤケっぱちな日々の中で、或る時彼女は、己という人間の薄っぺらさに気が付いて、〈白野真澄〉であることに失望する。

 4年3組の白野真澄は過敏症で、大きな音や派手な色、感情の起伏、初めての場所や見知らぬ人など、あらゆる刺激が苦手である。クラスメイトからは、イジメられこそしないが《一緒にいてもつまらない奴》として相手にもされておらず、真澄自身もそれが当然だと思って過ごしている。

 奥田亜希子の短編集『白野真澄はしょうがない』では、五人の〈白野真澄〉が、周囲から与えられた──或いは押し付けられた──白野真澄"らしさ"に合わせる内に、己の個性を見失ったり、恥じたり、苛立ったりする様子が、読者の胸をザワつかせる。

 が、それぞれの短編が精彩を放つのは、そこから先。他人が作った"らしさ"に嵌り込んだ主人公たちが、ふとした縁や巡り合わせに助けられながら、「自分らしさは自分で決める」と振り仰ぐように胸を張る。そんな描写は、奥田亜希子が最も得意とするところの一つだろう。

 デビュー作『左目に映る星』では、他人と理解し合う事など不可能だという固定観念に絡め捕られていた主人公が、紆余曲折を経て、伝わらないのならば《いつだってどこでだって、何度だって言えばいいのだ》と、自らの意志で人生の舵輪を大きく回す。
『透明人間は204号室の夢を見る』では、「書けないし売れない」と己を諦めていた若き作家が、書かされる事ではなく"書きたい事"なら胸の中に山ほど在ると気が付いて、書かない自分ではなく、書いてゆく自分を迷いなく選ぶ。
「キャンディ・イン・ポケット」(『五つ星をつけてよ』所収)の沙耶は高校3年生。自分を《日陰の生きもの》と規定して、《日なたの住人》には常に遠慮して過ごしてきた。しかしその中の一人が、日なたも日陰も関係なく心を開いてくれていた事実を知って過ちに気いた時、相手の笑顔をそのまま笑顔として受け止める自分になろうと決意する(因みに、春の訪れをこれほど気持ちよく描いた小説を、僕は他に知らない)。
 また、『青春のジョーカー』で、自分を《強者の影に怯えて一生を過ごす》哀れな弱者と位置付けた基哉が、本当の強さとは何かを学んで自立してゆく過程は、昨年6月(http://www.webdoku.jp/cafe/sawada/20200604093045.html)に詳述した通りである。

 といった具合に例を挙げようと思えばまだまだ挙がるが、これらを念頭に置いて、もう一度それぞれの〈白野真澄〉に目を向けてみると、一人一人が自尊心を取り戻す瞬間が、まるでハイスピードカメラで撮影したかの如く鮮明に浮き上がってくる。

 助産師の白野真澄は、〈ヨシ〉とのあやふやな関係に断固たる決意を以て名前をつける。その行為によって恐らく彼女は、白野真澄"らしさ"との訣別を、自分自身に誓ったのである。
 イラストレーターの白野真澄が、甘いとも苦いとも言えそうな微妙な味の料理を美味しいと思えたのは、《中途半端でいること》こそが自分"らしい"のだと、漸く吹っ切る事が出来たからだろう。
 主婦の白野真澄は、夫から「その話は今は関係無い」と決め付けられて、《私の中ではあるの》と毅然と言い返す。その言葉はまるで、良妻賢母なんか私"らしく"ないという宣言のように読めはしないか。
 女子大生の白野真澄が三人で砂丘を登って、振り返った時に見た自分たちの足跡。他の観光客に踏み潰される事もなく、風で消える事もなく、くっきりと残ったそれは、きっと彼女の目には、自分の意志で選んだ自分"らしさ"の証明のように映ったに違いない。
 小学4年生の白野真澄が合唱コンクールを前に、《僕はみんなで金賞を獲りたい》と、初めてと言ってもいい自己主張をした瞬間、彼は殆ど無意識ではあろうが、自分"らしさ"を遂に自分の意志で選び取ったのだ。
 だから、であろう。作者が合唱コンクールで、4年3組に他でもないあの名曲を歌わせたのは。蛇足ついでに付け加えると、『白野真澄はしょうがない』という作品集のフィナーレのようにして歌われるこの楽曲は、全5話のエンドロールに流れる主題歌にもなっていると僕には思えて仕方がないのだが、うがち過ぎだろうか。

 閑話休題。自分らしさとは己で選ぶからこそ〈自分らしい〉のであって、「あなたはこういう人間だ」という"らしさ"はお仕着せ以外の何物でもない。そう気付いた主人公たちが、たとえ答えがすぐには出なくても、迷い探し続ける日々を重ねてゆく。その七転び八起きを描くことで、奥田亜希子は、たどたどしい生き方しか出来ない老若男女に声援を送ってきたのではないだろうか。どんなときも。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。