『敗北への凱旋』連城三紀彦

●今回の書評担当者●宮脇書店本店 藤村結香

  • 敗北への凱旋 (創元推理文庫)
  • 『敗北への凱旋 (創元推理文庫)』
    連城三紀彦
    東京創元社
    858円(税込)
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 読書好きの皆様に呆れられる覚悟で正直に言います。連城三紀彦作品をこれまで一度も読んだことがありませんでした。本当お恥ずかしいかぎりです。そして何気なく手に取ったこの本を読んだ今、非常に後悔しております。なぜもっと早く手にとらなかった私よ...。
「敗北への凱旋」が初めて刊行されたのは私が生まれた1983年。そして令和3年のいま、この名作が復刊しました。ありがとう創元推理文庫さん。

『瓦礫を薄くまとった焼野に、夕闇はゆっくりと降りてきた。』(本書9頁より)

 昭和20年8月15日、玉音放送から数時間。明日がどうなるのか、誰も分からない不安に包まれた瓦礫や廃墟の中で、家族を喪い1人生き延びてきた幼い少年がいた。彼は空を見上げ見つけてしまう、一機の飛行機を。そして、その飛行機は東京に鮮やかな夾竹桃(きょうちくとう)の花を突如降らせた。真紅の花弁をもつ綺麗な花、枝には紙片が結びつけられていて、フランス語で『免罪符』と書かれていたのだ。夾竹桃がとても強い毒を持っているなんてことは何も知らなかった少年は、天から降ってきたその花を夢中で追いかけ集めた。その命が散ることも知らずに...。

 終戦の日、東京のあちこちに夾竹桃の花が降る―という、序章。絶望の中で希望を見出した少年に訪れる運命。こんなにも恐ろしく、そして美しすぎる序章があるでしょうか?もう冒頭から心を掴まれてしまいました。

 時は少し進み、終戦から間もないクリスマスイブ、横浜中華街の焼け跡近くにある安宿で、1人の男が銃殺された。復員兵であるその男は、隻腕で、中国人の女との痴情のもつれにより殺されたことがわかる。警察が事件を追うなか、第2の殺人が起きた。殺された女は、2日前に殺された男と深い仲だった娼婦。そして6日後には、犯人とされていた中国人の女が自殺したらしいという通報が入るのだった──。
 だが、事件はスッキリしない事実を浮かび上がらせる。殺された男の本当の名は寺田武史。立派な軍人であり、将来を嘱望されていたピアニストだったというのだ。戦争によって音楽の道を絶たれた寺田は、なぜこのような末路を辿ることになったのか?
 更に20年以上の時が経った昭和40年代、小説家の柚木は寺田武史のことを知り、小説に書こうと試みる。寺田が遺した楽譜に仕組まれたメッセージ=暗号とは? かつての部下に教え込ませた音階の意味とは? 柚木が暗号を解き明かそうと仲間たちと奔走するなか、着物姿の謎めいた女と出会った──。

 柚木と共に暗号の謎を追う物語ですが、この暗号が本当に難解です。難解すぎる...と頭が煮えました。なんでこの登場人物解けたんだ、と呟いてしまうぐらいで、私は未だに理解しきれていません。
そして、いわゆるホワイダニットが「え、これが理由なの!?」と事件の大きさからしたら矮小なように一瞬感じたのですが、丁寧に書かれた心情を読めば読むほど...「ああ、すごい、なるほど」と納得せざるを得ないホワイダニットでした。人間って...愚かで哀しい。血の涙で書かれているような犯人の告白でした。けれどその哀しさに溺れる相手を救おうとする人だっている。小説内に出てくる若い登場人物たちを見る柚木の視線が優しく希望に満ちているように感じました。

 静かで、どこか寂しいピアノの音色が聴こえてきそうなミステリです。徹頭徹尾情景描写が美しくてふるえます。朗読したくなる美しさです。

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宮脇書店本店 藤村結香
宮脇書店本店 藤村結香
1983年香川県丸亀市生まれ。小学生の時に佐藤さとる先生の「コロボックル物語」に出会ったのが読書人生の始まり。その頃からお世話になっていた書店でいまも勤務。書店員になって一番驚いたのは、プルーフ本の存在。本として生まれる前の作品を読ませてもらえるなんて幸せすぎると感動の日々。