『じっと手を見る』窪美澄

●今回の書評担当者●勝木書店本店 樋口麻衣

 小説を読んで、本に包み込まれるような力を感じ、「本が生きている」という感覚になることがあります。窪美澄さんの『じっと手を見る』(幻冬舎)も、私にとってはまさにそんな作品でした。

 富士山を望む町で暮らす日奈と海斗。かつて恋人同士だった2人は、「食いっぱぐれることはない」という理由で介護士として働いている。別れを切り出したのは日奈からで、海斗の気持ちはまだ日奈の方へ向いている。仕事として介護をし、休みの日の息抜きは町のショッピングモールへ出かけること。閉ざされた日常が、ある男の登場で動き始める。それが、東京の編集プロダクションの男、宮澤だ。宮澤と出会い、「はじめて人を好きになった」と感じた日奈は、宮澤を追いかけて、町を出る。一方、海斗は家族を支えるために町にとどまり、日奈への思いを抱えたまま、職場の後輩・畑中と関係を持つ。日奈、海斗、宮澤、畑中、4人の関係はいったいどこへ向かうのか──。物語は、日奈と海斗を中心に4人の視点から紡がれる。

「特別な誰か」ではなく、「きっとどこかにいる誰か」が描かれているように感じました。小説の中で皆が確かに生きていて、これからも生きていく、その様子が皆の息づかいとともに伝わってきました。

 もどかしくて、息苦しくて、ヒリヒリするような痛みもあるストーリーで、重く暗い雰囲気の漂う作品ですが、読後はなぜか幸せな気持ちで心が満たされました。

 本作に出てくる人物たちは皆、迷い、求め、得て、失って、また求めて......を繰り返します。それは、現代に生きる私たちの姿そのもののように感じられます。誰かの「今」と、別の誰かの「今」が重なり合うことが尊く感じられますが、それが重ならないこともあるし、巡った先にまた重なることもあります。今は迷っているように思えても、人は自分で道を選んで歩んでいく、自分で道を作っていくのだから、きっと迷うことはない、すべてが自分の人生で、行き着くべきところにきっと行き着けるのだ、そんな希望と、人の力強さを感じられる作品です。

 日奈や海斗にとって、「死」は必然で、あまりにあっけないものとして描かれています。人はいつか必ず死ぬ。それを理解していながら、なぜ人は生きるのか。なぜ人は誰かを求めながら生きていくのか。この作品を読んだ人それぞれの心に広がった気持ちこそが、このテーマに対する答えなのだと思います。

 今回この作品を紹介しようと決めたとき、きっと私にはその素晴らしさを上手く、充分には言葉にできないだろうと思いました。書いてみて、やはり上手く表現できていないのがもどかしいです。それでも私は、人の気持ちを包み込み、時に激しく揺さぶる、この作品の魅力を伝えたい、そう強く思いました。こんな作品に出会えるから、私はこれからも小説を読み続けます。みなさんもどうぞ、『じっと手を見る』が放つ、激しく強く優しい小説の力を感じてみてください。

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勝木書店本店 樋口麻衣
勝木書店本店 樋口麻衣
1982年生まれ。文庫・文芸書担当。本を売ることが難しくて、楽しくて、夢中になっているうちに、気がつけばこの歳になっていました。わりと何でも読みますが、歴史・時代小説はちょっと苦手。趣味は散歩。特技は想像を膨らませること。おとなしいですが、本のことになるとよく喋ります。福井に来られる機会がありましたら、お店を見に来ていただけると嬉しいです。