『ぼくのまつり縫い』神戸遥真

●今回の書評担当者●ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広

  • ぼくのまつり縫い: 手芸男子は好きっていえない (偕成社ノベルフリーク)
  • 『ぼくのまつり縫い: 手芸男子は好きっていえない (偕成社ノベルフリーク)』
    千秋, 井田,遥真, 神戸
    偕成社
    990円(税込)
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 これまでの私のチョイスからすると、日野!どうかしたのか!?と言われてしまいそうですが、今月はこの本に決めました。至って真面目ですよ、私は。

 理由は2つあります。とてもいい本だからです。もう1つは後述します。

 サッカー部に所属する中学1年生の主人公・針宮優人くんはケガで休部を余儀なくされました。そんな時、ひょんなことから女子3人だけの被服部に巻き込まれるような形でお手伝いをすることになり、針宮という苗字から、みんなに"ハリくん"と呼ばれるようになってしまいました。

 実はハリくん、手芸が大好きなのに周りの誰にも言えぬまま、無理してサッカー少年を演じていたのでした。自分だけの秘密を誰にも言えぬまま過ごすということの辛さ、後ろめたさを抱える、悩める少年だったのです。

 しかし、戸惑いながらも出入りし始めた被服部での活動を続けていく内に、自分の本当に好きでやりたいことに、正面から向き合い始めます。幼い頃の苦い経験から他人に自分の本当の姿を見せることを避けてきた少年。友人、先輩、顧問の先生、手芸屋の店員、そして家族との交流を経て、自分に正直に生きていくことに心を傾けていきます。自分に嘘をつくことが信頼すべき人をも傷つけること、みんなにもそれぞれ人に言えない悩みがあることを知り、葛藤し、成長していくのです。

 このハリくんの心の変遷を読むだけでも価値があります。そしてクライマックスの文化祭での被服部ファッションショーのシーンの多幸感は、ちょっと言葉には出来ないほど。ここで、実際に物語中で選曲されている通り、Boys Town Gang "Can't Take My Eyes Off You"(邦題は「君の瞳に恋してる」ね。)をBGMにかけてみてください。涙腺決壊しちゃうかも知れません(笑)。

 私は小中学校時代を昭和50年代に過ごしました。当時はLGBTの概念もなく、ジェンダーフリーも当時の日本ではほとんど認められていなかったはずです。そんな中、男は男らしく、女は女らしくとするのが当たり前で、私や私より上の世代には疑問も持たずに生きてきた人が多いのではないかと思います。しかし、その「当たり前」の陰で、本当に好きなことを人前で出来ずに、身を引き裂かれる思いをしていたクラスメートや友人は存在していたかも知れないのです。そして今でも、そんな辛さに耐えながら生きている人たちのことに思いを馳せる、本書を楽しむ幸福感の裏で私が感じた苦さです。

 好きなことをしたい。本来誰もが持つ希望の筈なのに、周りの目を気にして勇気が持てない。その一歩を踏み出すことがどれほど大変なことか。いや、好きなことをするのに、本来ならば勇気もハードルも必要ないはずです。女の子も男の子も、サッカーがしたいならばすればいい、手芸が好きならすればいい、人の"好き"を認め合い、尊重し合える、そんな世界で生きていきたい。これは特殊な嗜好を持つ人の為の物語ではありません。みんなの物語であると思うのです。

 さて、ここからは本書を選んだもう1つの理由にかこつけた、ちょっと長めの余談となります。

 この本は、2/29付をもって閉店した、弊社ときわ書房千城台店にて大きく展開され、累計で100冊以上の売上実績を上げました。半年にも満たない期間に、ここまで売り伸ばせた大きな理由は、この本が地元千城台を舞台にした作品だからでした。作者の神戸遥真さんは、千葉市若葉区のご出身で、青春時代を過ごしたという千城台を舞台にこの児童小説を書き上げたのです。

 地元の書店としては、ご当地本として大きく展開しない理由はなく、作家、出版元、書店スタッフがまさに力を結集して売り場を作り、盛り上げ、売り伸ばしていったという、1冊の本を巡る非常に幸福なストーリーがあったのです。私も千城台店での展開が無ければ、この本を知る機会は無かったでしょう。

 本書は児童文学ゆえ、全編優しいタッチで描かれ、難易度も低く、どちらかと言えばライトに楽しめる本であるとは言えます。ですから、こうしたテーマをもっと掘り下げたいと思う方には物足りなく感じることがあるかも知れません。

 しかし、私は本書を強く推薦します。児童文学でありながら大人の購読にも耐えうるとか、そういうことが重要だとは思いません。児童文学であるからこそ、複雑になり過ぎず、分かりやすいストーリーを伴って、このテーマで子どもたちに正面から向き合うことの意義が計り知れないと思うのです。

 ちなみに本書を仕掛けたのは、以前にこの「横丁カフェ」にて書評を担当した片山恭子です。意義のある本、作品として素晴らしい本でなければ、いくらご当地だとはいえ、片山が推薦することは無かったと思うのです。そして、千城台店のスタッフみんなが、この本を推し、売場を作り、実績を上げたのです。

 著者の神戸さん、出版社の皆さん、店長の和田、片山を始めとする千城台店のスタッフ、そして千城台の地元の読者の方々によって、この『ぼくのまつり縫い』は、発刊後更に特別な命を吹き込まれたと言えるでしょう。

 本来ならば書評を書くにあたり、その選書の動機も評文も、作品の内容だけに言及すべきなのかも知れません。しかし、こうした副次的な事項も、作品の価値を高める為に紹介されて良いと思っています。

 ときわ書房千城台店は、今はもうありません。ですが、この本と、本を巡る記憶は地元の人たちに強く焼き付けられた筈です。そして千城台という地から離れ、多くの地で多くの人々に読み継がれることを願ってやみません。

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ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
1968年横浜市生まれ 千葉県育ち。ビールとカレーがやめられない中年書店員。職歴四半世紀。気がつきゃオレも本屋のおやじさん。しかし天職と思えるようになったのはほんの3年前。それまでは死んでいたも同然。ここ数年の状況の悪化と危機感が転機となり、色々始めるも悪戦苦闘中。しかし少しずつ萌芽が…?基本ノンフィクション読み。近年はブレイディみかこ、梯久美子、武田砂鉄、笙野頼子、栗原康、といった方々の作品を愛読。人生の1曲は bloodthirsty butchers "7月"。