『作文』小山田浩子
●今回の書評担当者●ジュンク堂書店難波店 中川皐貴
7月末あたりからだろうか、「戦後80年」という文言をテレビや書籍の表紙で目にすることが多くなった。
戦争はいけないことである。
そのことを私たちは、広島・長崎での原爆投下、ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナでの虐殺など、戦争に関する話になったときにはいつも思っているだろう。
でも、日々の生活を送っているときはどうだろうか。正直に告白すると、私は買い物などで外を歩いているとき、反戦のチラシを配っている人、デモ活動をしている人を見ると遠巻きにして、通り過ぎてしまう。仮にその意見に賛成の場合でも、気づいていないふりをしてしまうのだ。加えて、最近までは戦争に関する書籍や映画ですら「かわいそうで見ていられない」という理由で避けてきてしまっていた。
そんななか、今年の夏に何度も目にする「戦後80年」という文言は、「いい加減目を向けないと手遅れになるよ」とでも言わんばかりに、日に日に存在感を増してきていた。それなら、と私は大好きな作家さんが書いた戦争に関する小説を手に取った。
この小説は、祖父や祖母などの戦争体験について書いた小学校の作文を軸に、「伝える」ことの持つ功罪を描いている。なかったことをあったこととして、あったことをなかったこととして、嘘を伝えてしまうこと。はたまた感動できる「物語」に仕立て上げて消費してしまうこと。もしかすると意図した意味とは違って伝わってしまう、というようなこともあるかもしれない。でもそのことは同時に、受け取り手、読み手の姿勢も問われているのではないかとも思う。どれだけよく書かれ、伝えようとしていたとしても、誤読されれば書き手の本来の意図は届かず、そもそも受け取られなければそれは意味を持たない。書き手が「伝える」ことに責任を持つことと同じくらい、読み手が読んで「受け取る」こと、判断をすることに責任を持って向き合わないといけないのではないか。複雑な社会においてわかりやすい言葉なんてものもありえないので、しっかりと向き合わないといけないと思う。
そして、この小説で本当に凄いと思ったのは結末の描き方。主人公の一人が街頭で配るパレスチナでのジェノサイドに反対をするチラシは、遠巻きに避ける人、あからさまに無視をする人、悪意を持ってそれを捨てる人、となかなか受け取ってもらえない。そんななか、ある家族がようやくチラシを受け取る。でものちに、その家族はポケットティッシュと勘違いして受け取っただけだということがわかる。その意地悪な描き方にあんまりだと言いたくなるけれど、それが小山田作品の魅力だとも思う。悪とも言い切れない嫌な感じ。でも現実で悪とされるものってこういった嫌の積み重なりだとも思う。
チラシを受け取ったこの家族は、子どもにお絵描き用の紙としてそのチラシを渡す。そこに描かれたスイカ(パレスチナ国旗と配色が同じため、連帯と抵抗のシンボルとして使われている)の絵や書かれている文字を、子どもが無邪気にペンでぬりつぶしていく。そんな和やかな一コマは、今は成り立つ「平和」の上であぐらをかいている私たちを痛烈に批判しているように受け取れる。でもその絵を祖母が家に飾ることで、もしかしたら子どもが将来、そのチラシを見て改めて向き合うことになる可能性も残しているんじゃないかと、微かながらも希望を見出だしました。
私はこのように「受け取り」ましたが、あなたはどのように「受け取る」でしょうか。ぜひ読んでいただきたい小説です。
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- ジュンク堂書店難波店 中川皐貴
- 滋賀県生まれ。2019年に丸善ジュンク堂書店に入社。文芸文庫担当。コミックから小説、エッセイにノンフィクションまで関心の赴くまま、浅く広く読みます。最近の嬉しかったことは『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬と母校(中学校)が同じだったこと。書名と著者名はすぐ覚えられるのに、人の顔と名前がすぐには覚えられないのが悩みです。