『休むヒント。』群像編集部
●今回の書評担当者●書店員 成生隆倫
ある日の午前十時。俺は、なまこ酒のショットにあえいでいた。
今まで口に含んできたものの中で、最強にまずい。生臭いとかそういうレベルじゃない。舌細胞を死滅させる、特級破壊兵器である。
ここは歌舞伎町の小さな酒場。夜の世界から抜け出しそびれた人々が、わらわらと集まってくる場所。週一回のゴールデン街の仕事を終えて、だらだら飲み続けている俺もそのひとりだ。
「なんかもう完全に目ェ覚めたわ」
あんなものを飲んで睡魔がやってくるはずもない。やってきたらむしろ危険だ。死因がなまこ酒なんて死んでも嫌である。
口直しにガリチューハイを注文した。そしてそれを一気に飲み干すと、すぐにおかわりを注文した。胃の中で陽気に踊るなまこに対抗するには、己のテンションを上げるしかないのである。幸いにも今日は休日。徹底抗戦の覚悟を決めるのは容易かった。強くなっていく昼の香りを嗅ぎながら、俺はずぶずぶと酒の沼へ沈んでいった。
静かなカフェで優雅に本を読む。
美術館に行って感性を磨く。
素敵なあの人と街に出かける。
それらはとても綺麗な休日であると思う。
だがそんなのは年に一、二回あるかないかの特別デーだ。
結局ほとんどの休日を、体力と財力の続く限り、酒を飲むことに費やしているのが現実である。
そんな休日ばかり送っているからか、群像編集部さまより『休むヒント。』の執筆オファーは来なかった。当たり前だ。特筆すべき記憶は、酔いの彼方へ消えてしまっているのだから。(そういうことじゃない)
「あの娘は休日に何をしているんだろう」
選考から漏れ、純粋な読者となった俺は、本書を読みながら妄想にふけっていた。
友人とアフタヌーンティーを楽しんでいるのだろうか。ソファーで撮り溜めたドラマを見ているのだろうか。高収入高身長の男の誘いを、受けるべきか悩んでいるのだろうか。
三十三名の執筆陣による休みの景色を参考に、謎に包まれたプライベートを頭の中で暴いていく。
高校時代の夏休み、クラスの女子が私服で街を歩いていたのを見て、ちょっとドキドキしたあの感じに似ている。彼女には彼女の休日があって、俺が知らない顔をどこかで晒しているのだ・・・そう思うだけで胸が高鳴った。
自分の休みに焦点を当てることは大切だ。
しかし、たまには誰かの暮らしに想像力を働かせるのも一興であると思う。
「実はあの娘、休日になまこ酒を作るのが趣味だったりして」
ありえない。が、絶対にないとも言い切れない。細い指でなまこをつかみ、焼酎の瓶にぐいぐい突っ込んでいる姿を想像してみると、妙に気持ちが昂った。無論、昂っただけである。どれだけ愛情たっぷりであろうと、どんなオプションが付いていようと、絶対に飲みたくはない。絶対に。
さて、ここまで読んだあなたは、なまこ酒に興味を持ってしまったことだろう。
飲めば間違いなく新しい刺激に出会える。とんでもない体験をしたいなら、挑戦してみてはいかがだろうか。
ただ、こうも言わせてくれ。
ぶっちゃけ、貴重な休みを犠牲にしてまで飲むものでもないよ・・・と。
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- 書店員 成生隆倫
- 立命館大学卒業後、音楽の道を志すが挫折。その後、舞台俳優やユーチューバーとして活動するも再び挫折し、コロナ渦により飲食店店員の職も失う。塾講師のバイトで繋いでいたところ、花田菜々子さんの著書と出会い一念発起。書店員へ転向。現在は書店勤務の傍らゴールデン街のバーに立ち、役者業も再開している。座右の銘は「理想はたったひとつじゃない」。