『鼓動』葉真中顕

●今回の書評担当者●福岡金文堂志摩店 伊賀理江子

  • 鼓動
  • 『鼓動』
    葉真中顕
    光文社
    1,870円(税込)
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はじめて読んだ時から忘れられず、胸に刺さったまま抜けなくなってしまったのがこの本である。
 
──ホームレスの老女が殺され燃やされた。
事件発覚のきっかけはこの出来事である。犯人草鹿秀郎は48歳。無職、独身、18年間引きこもり。彼は自分の父親も殺したとも自供する。
事件を追う刑事、奥貫綾乃は殺された老女に自分の未来を垣間見る。
 
"困難な時代に生の意味を問う、感動の社会派ミステリー"とあるが、
これは、綺麗に整った言葉では到底表しきれないほどの作品だった。

草鹿は小学生の頃までは愛情ある両親とともに人生を謳歌していた。少し変化が訪れるのは中学3年の時。漫画が好きだっただけで、オタクと呼ばれいじめられるようになった。希死念慮を感じるようになるのはこの頃からだ。しかし地元から離れた高校へ入学すると新たな友人もでき、いじめられる状態からも離れることができた。大学生活へ進み、厳しい就活の時期がくる。バブルがはじけたあとの時代、草鹿は社会人になりブラック企業のなかで心身ともに疲弊し、三年経たず退社する。その後はバイトをしたり辞めたり職を探す時期もあったが、30歳になると『ぼくは引きこもった。自宅の自分の部屋に。ぼくの聖域に。ぼくは、引きこもった。』
 
草鹿は死を考えるようになる。絶望がそばにありすぎたのだ。
考えはするものの、恐怖が勝って実行できない。そしておかしな思考回路のまま、死刑になる方法を考え始める。
 
この作品は草鹿の視点だけでなく、刑事奥貫綾乃の視点もある。彼女もまた結婚出産離婚を経て、自分で選んだ道とはいえ孤独を抱えていた。
草鹿と綾乃、なにもかもが違うふたりの人間だが
『同じ時代を生きたこと。かたちは違えど、弱い、ということ。そして今、孤独ということ。』
その共通点から綾乃は、取り調べで草鹿から「本当のこと」を聞き出そうとする。
ミステリーの要素はラスト近くでさらに畳みかけてくる。凄まじい作品だ。
 
草鹿の感じる絶望。
その絶望は、草鹿だけのものだ。
だれにもわからない。完全にわかることなど不可能なのだ。その苦しみと絶望は。
綾乃も、あるいは読者である私達も感じる孤独や絶望は、これは、
自分だけの、ものだ。
突き付けられる事実に涙が出た。
草鹿や綾乃というのはたぶんほんの少しだけ、小さな小さなきっかけが違っただけの私だ。
真実を認めると感情がどうにかなりそうだった。
 
世の中が平等でないことも世界が平和ではないことも知ってしまった。取り返しのつかないことがあることも知ってしまった。つらいことも、希望なんてない日があることも。
それでも。「生きる」しか、ないのだと痛感する。
あなたのことをわかりたいと、話してみてほしいと思うひとが必ずいるから。

この物語から強すぎるほどに聞こえてくる。
生きろ。それでも生きるんだ、と。

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福岡金文堂志摩店 伊賀理江子
福岡金文堂志摩店 伊賀理江子
福岡県糸島市在住。2020年福岡金文堂志摩店入社。2022年頃から文芸文庫担当。夫がひとり娘がひとりの3人家族。江國香織が好き。大好き。ミステリやコワいものグロいものも大好物。整体ですべての筋肉が眠っていると言われたことがある。だからかよくつまづく。いろんな意味で。