『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』宮田珠己
●今回の書評担当者●田村書店吹田さんくす店 渡部彩翔
今から挙げる生物にワクワクしてしまった方は、ぜひ本書を手に取ってください。
「羊のなる謎の木」「魚に乗るアマゾネス」「犬頭人にマンドラゴラ」「人の形をした果実」
こんな奇妙で愉快な生物たちが待ち受ける冒険譚です。
私の心が遊び回った、この特別な1冊を紹介させてください。
本書を紹介する上で欠かせないのが、ずるいほど魅了的な装丁です。
網代幸介さんが描く摩訶不思議な世界を表現したハードカバーには、金の箔押しが施され、物語の世界観を完璧に再現しています。
豪華な冒険絵巻物や、ネタバレ注意のあとがきも遊び心満載で、紙媒体の本の魅力が存分に味わえ、贅沢な気持ちにさせられます。
主人公アーサー・マンデヴィルは人との関わりが苦手な超インドア派。
教皇から、亡き父が残したデタラメな旅行記に基づく王国を探すよう命じられ、存在すら怪しい国を目指します。
そんなアーサーの不満や、彼に同行する傲岸不遜な修道士や夢見がちな弟とのコミカルな会話には思わず吹き出してしまいます。
著者は、旅行エッセイストとして大人気の宮田珠己さん。この本は、彼の初の小説です。
私は昔から妄想することが大好きで、空想の世界を旅する物語に夢中になってきました。
大人になってもファンタジーを愛していますが、これまでの作品では途中で現実に引き戻されることが多く、深く浸れずにもどかしさを感じていました。
しかし、本書はそのもどかしさを感じさせず、「これが渇望してきた物語だ!」と心から嬉しく思いました。
この作品の魅力は、単なる著者の夢想ではなく、かつてヨーロッパの人々が信じていた奇妙な生き物や伝説が描かれているところです。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』が発表された時代、人々にとって異国の生物は実在すると信じられていました。
つまり、今の私たちがファンタジーと呼ぶものは、当時の人々にとって真剣に受け止められていた現実の一部だったのです。
冒険家や旅行者が未知の世界を自由に探検し、ときには妄想を交えた物語を口伝えで語り継いできたことには、当時の人々の想像力が息づいています。
この視点から物語を読むと、まるで覚めない夢の中にいるようで、アーサーたちと共に冒険を楽しむことができました。
また、驚くことに物語でアーサーたちが見ていたデタラメな旅行記は実在しています。
当初は聖職者たちもこぞって読んだと言われており、『東方見聞録』よりも多く読まれていたそうです。
後にこの作品は幻想的で嘘だらけだと評され、その存在を知る人が少なくなっていきました。
それでも、この作品が人々の異文化への探求心を呼び起こす一因となったことは否定できません。
シェイクスピアやダンテといった著名な作家たちや、今に続く文学や冒険小説に大きな足跡を残しているのも事実です。
そして、著者宮田さんの愛読書でもあります。
単なる嘘やペテンとは言い切れないマンデヴィルの描く空想の世界は、時代を越えて著者の物語に蘇り、今その物語に夢中になった私がいます。
ファンタジーや冒険物語の根底には、過去の人々の未知への探求心が息づいています。
当時の文化や信仰と結びつき、人々の夢や希望、そしてその歴史を見ることができます。
時代を越えて、その物語の中へいつでも冒険しにいけるというのは、本当に価値のある体験だと感じます。
この作品を通じて、ファンタジーが持つ本来の力を再発見しました。
小説という妄想の世界に身を委ね、言葉では表しきれないワクワク感を体験しました。
なんて楽しいのだろうと、心が踊るような喜びに満ちています。
装丁や質感、内容に完璧にマッチした絵があり、この書物はもう手放せません。
是非、この"現実に起きたファンタジー"を体験してみてください。
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- 田村書店吹田さんくす店 渡部彩翔
- 田村書店吹田さんくす店に勤務して3年弱。主に実用書・学参の担当です。夫と読書をこよなく愛しています。結婚後、夫について渡米。英語漬けの2年を経て、日本の活字に飢えに飢えてこれまで以上に本が大好きになりました。小さい頃から、「ロッタちゃん」や「おおきな木」といった海外作家さんの本を読むのが好きです。今年の本屋大賞では『存在のすべてを』で泣きすぎて嗚咽しました。