『高校のカフカ、一九五九』スティーヴン・ミルハウザー

●今回の書評担当者●駿河屋 名古屋栄店 中川皐貴

  • 高校のカフカ、一九五九
  • 『高校のカフカ、一九五九』
    スティーヴン・ミルハウザー,柴田 元幸
    白水社
    2,750円(税込)
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 大人になると大丈夫になるよ、と子どもの頃に何度か言われたことがある。子どもの頃抱いていた漠然とした不安や希死念慮といったものは、大人になると折り合いをつけられるようになって、大丈夫になると。

 でも子どもの頃の自分はそんなことわかるはずがなかったし、今悩んでいるんですが?と思った憶えもある。確かに大人になった今、折り合いをつけられるようになったし、大丈夫になった。でもこれは、実際に大人になったから言えることだ。

 今回ご紹介するのは、もしもあのカフカがアメリカの普通の高校生だったら?を描いた表題作を含む、9編を収録した短編集。

 例えば「お電話ありがとうございます」という短編では、カスタマーサービスの「お待たせしており大変申し訳ございません。係の者がまもなく応対いたしますので電話を切らずにお待ちください。」といったいくつかのテンプレートの保留音声を永遠と聞いて待ちながら、イラつきつつも自分の過去をひたすら独白するという短編。 

 ここで主人公は学生時代の待っている話をする。ただ、待っている対象は本人にすらわからない曖昧なもの。待っているものは特定の人物ではなく、幸福といったようなものでもないと言う。ただ「何か」を待っている。自分を新しいところに連れていってくれる何かを。

 読みながら、この感覚に憶えがあるけれど、今の自分には無くなった感覚だと思った。学生時代は確かに、不幸でもないのに劇的な変化をもたらす何かを待っていた気がする。

 大人になり、そういった感覚が自分にはなくなった。それは大丈夫になったということなのかもしれないし、待っても来ないと理解して諦めてしまったのかもしれない。

 作中では、大人になり、結婚して娘もいて幸せだとも言う主人公が、それでもある時、心に影が差し、スーパーでカートが動かせなくなるまでカゴに商品を放り込み続ける、といった奇矯な行動をとったことを独白する。

 その行動の理解のできなさと、でもそこにどうしようもなく切実なものを感じ取ってしまって、この人は諦めることもできなければ待ちきれもしなかったのだろう、と寂しい気持ちになる。

「喧嘩」も思春期の不安定な感情を描いた短編。力や暴力への危うい憧れを、揺れ動く感情と一緒に描いている。昔の自分の写真が気に入らず、自室のフォトフレームを殴って割るシーンで、その後母親にはうっかり落として割ってしまったと言い訳しようと考える。暴力への憧れとは矛盾しているようなその揺らぎを、私も経験した感情だと思う。

 表題作は内省的な高校生のカフカの少し独特な行動や、周りの人間からは当時どのように見られていたか?を回想として途中途中に挿入される形で描く。カフカの思う自分像のネガティブさと、周りから見たカフカ像は悪い印象はなく、なんなら尊敬すらされていたという差異があり、こういった差異は実際にも起こるように思う。

 でもこの「わかる」も大人になってあの頃自分のことどう思っていた? みたいなことを当時の知り合いや友人に聞いてようやくわかったりするので、このことも時間をおかないとわからないことだと思う。

 時間をおいて、大人にならないとわからないものは確かにある。子どもの頃は学校しか世界がなくて、その世界を構成する友だちが何よりも大切だった。大人になった今はそんなことはないことを知っているけれど、そのことを子どもに伝える術はなくて、大人になったら大丈夫になるよ、くらいしか言えない。

 それでも無理矢理にでも付け加えるとしたら、もしかすると本は大人になるまでの逃げ場になってくれるかもしれないよ、ということでしょうか。

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駿河屋 名古屋栄店 中川皐貴
駿河屋 名古屋栄店 中川皐貴
滋賀県生まれ。2019年に丸善ジュンク堂書店に入社。文芸文庫担当。コミックから小説、エッセイにノンフィクションまで関心の赴くまま、浅く広く読みます。最近の嬉しかったことは『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬と母校(中学校)が同じだったこと。書名と著者名はすぐ覚えられるのに、人の顔と名前がすぐには覚えられないのが悩みです。