『ジャスティス・マン』佐藤厚志

●今回の書評担当者●青山ブックセンター本店 高橋豪太

  • ジャスティス・マン
  • 『ジャスティス・マン』
    佐藤 厚志
    文藝春秋
    2,200円(税込)
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「正しさ」ほど扱いの難しいものってないよな、と缶ビールをあおりながら考える。人の数だけ物差しがあるこの社会で、一元的な正しさを振りかざすことの暴力性よ。そもそも、真に正しいと言えるものなどこの世界にはほとんどない。たとえば、今持っているビールは飲み干せばなくなるけれど、はっきりしていることなんてそれぐらいだ。

そんなことを夜な夜な考えふけっているもんだからか、この『ジャスティス・マン』というタイトルを初めて目にした時の昂りは忘れられない。初出の文芸誌はうっかり入手しそこねていたが、このたび単行本が出たのですぐに買い求め、すぐに読んだ。うむ、やっぱり面白い! のめり込みすぎて危うく朝の通勤電車を乗り過ごすところだった。こんなに面白い小説のためなら多少の遅刻ぐらいどうってことないや、とも思った。

正義を信じる男・大山茂は五十六歳のホテルマンである。小柄な彼は人に見くびられないよう髪をなでつけてぴっちり固め、ジャケットには大きめの肩バッドを入れて堂々と歩く。彼はどんな不正も見逃さない。同僚がミスをすればすぐさま指摘し、態度に瑕疵があれば叱責し、気がたるんでいれば一喝する。行く先々の店では、スタッフの対応を強く咎め......あれ? そう、彼こそが一元的な正しさに溺れ歪められた悲しきモンスターなんである。宿泊客の前では完璧な接客を見せる彼だからこそ、いざ自分が客になると相手にも完璧を求め、傲岸な素振りを見せる。皮肉なものだ。

その傍若無人な正義の振りかざし方ときたらもう時代遅れも時代遅れ、パワハラ・セクハラ・モラハラのオンパレードである。およそ令和的とは程遠い彼の振る舞いはいかにも滑稽で、その極端な行動や独白には何度も笑わされた。必殺技はダイヤモンドヘッド(頭突き)とゴキブリダンス(床に仰向けになって手足をばたつかせる舞い)。「俺は何も店員を困らせようとか迷惑をかけてやろうという意図は全くない。ただ純粋に間違いを正したい。それだけだ。そうでなかったら誰が狂人のまねなどしよう。(五六頁)」ここまでくると逆に気持ちがいい。しかし物語が進み彼の職場や妻に変化が起き始めると、そう呑気に笑っていられなくなってくる。それがこの小説の恐ろしいところだ。

誰しもが正しく生きたいと思う。けれど正しさというものが明らかでない以上、その正しさは同時に他の正しさを毀損していることを、忘れてはならない。正しさと正しさの狭間で折り合いをつけて、私たちはなんとか生きている。そんな社会にあって大山茂は、正しさの信じ方がちょっと不器用だっただけなのだ。誰しもが陥る可能性のある、ちょっとしたエラー。悲しいかな、独善的な彼に寄り添える人間はいなかった。職場でも家庭でも行き詰まった彼が最後に選んだ道は、悲哀と怒りに満ち溢れたものだった......。

「俺に墓場まで持っていきたい秘密などない。嘘は嫌いだ。それなのにどっちを向いても嘘、嘘、嘘。嘘ばかりだ。(一七三頁)」

笑いたきゃ笑え。しかし、あなたの中に大山茂がいないと断言することが、本当にできるだろうか?

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青山ブックセンター本店 高橋豪太
青山ブックセンター本店 高橋豪太
眉のつながった警官がハチャメチャやるマンガの街で育ちました。流れるままにぼんやりと生きていたら、気づけば書店員に。二軒のチェーン書店を経て東京・千駄木の往来堂書店に勤めたのち、2025年10月から青山ブックセンター本店に勤務。本はだいすきだが、それよりビールの方が優先されることがままある。いや、ビールじゃなくてもなんでものみます。酔っ払うと人生の話をしがちなので、そういう本をもっと読んでいくらかましになりたいです。