『逃げろ逃げろ逃げろ!』チェスター・ハイムズ
●今回の書評担当者●往来堂書店 高橋豪太
痛飲した日の次の朝は、なにか大変な粗相をしてしまったのではないかと不安になる。思いもしないことを口走ってしまったのではないか、同席者に迷惑をかけてしまったのではないか、あるいは......。そしてその不安は悲しいかな、半分くらいは的中している。あなたに呑兵衛の自覚があるのなら、胸に手を当てずともいくつもの失敗が脳裏をよぎるはずだ。笑って流されることもあれば、そうでない場合も......。
半世紀の時を経て初邦訳されたチェスター・ハイムズの『逃げろ逃げろ逃げろ!』は、「酔っ払いのしでかし」では済まされない、あまりにおぞましい凶行に走った酩酊男の話である。
舞台はニューヨーク、ある年の暮れの未明。ひどく酔っ払った白人警官・マットが通りに停めていたはずの自分の車を見失うところから物語はスタートする。おおかた、通りを間違えたとかそんなところだろうが、酔っ払いの短絡的な思考力である、近くの軽食堂にいた黒人の清掃員を目にした途端「お前が盗んだんだろう!」と。ひでえ差別だ。そんなわけないと清掃員は否定するが、いかんせん相手は泥酔している、下手に刺激しない方がよさそうだ。しかしそんな配意もよそにマットはどんどんヒートアップしていき、あろうことか銃をも取り出した。勢いのまま、ズドン。やべえ、やっちまった。勘づいたもうひとりも、ズドン。逃げ出したのがもうひとり、こいつがなかなかしぶとく、すんでのところでとどめを刺せずに朝が来てしまう。これは面倒なことになった。幸い自分が犯人であるという直接的な証拠は残されていないが、あいつ(ジミー)には顔を見られている、やるしかない。こうしてマットの追走劇、そしてジミーの逃走劇が幕を開ける。
追う者と追われる者、双方の視点が交互に切り替わりながらジリジリと近づいていくさまはとてもスリリングで、どんどんページをめくらされる。追いかけるマットに漂うのは、焦燥と狂気。酔っ払っての事故とはいえ、二人も殺してしまった。もう引き返せない。あいつも殺しておかないと自分が疑われてしまう......と。酒とともに飛ばした記憶の隙間を埋めるべく嘘に嘘を重ね、アリバイを構築していく。とんだクレイジー野郎だ。一方で追われるジミーは、降りかかった災厄に惑い、忍び寄る凶悪殺人犯の影に怯え続ける。なんなんだあいつは。そもそもなんで二人を殺したんだ。動機はどこなんだ。しかし読者は知ってしまっている、そこにたいした理由なんてないのだと──。
そこにいたのが黒人だったから。疑われるようなことをしたから。背を向けて逃げたから。だから撃った。あんまりだ。酔っ払っていたから? いや、シラフでも十分狂っているじゃないか、マットも、この世界も。
根深い差別意識の発露、銃社会の成れの果て。そうやって輪郭を与えてしまえばシンプルな筋運びかもしれないが、この小説にはそのさらに奥へと誘う問いが張り巡らされている気がしてならない。ふと一瞬酔いが覚めた瞬間に、踵を返す冷静さを取り戻せるか。千鳥足の思考をなんとか繋ぎ止めて、きちんと立っていられるか。マットに怯えながら、自分の中にマットが潜んでいないか常に気を張っておかねばならないこの世界では、酒なんて飲んでいる場合じゃないのだ。
« 前のページ | 次のページ »
- 『割れたグラス』アラン・マバンク (2025年5月8日更新)
-
- 往来堂書店 高橋豪太
- 眉のつながった警官がハチャメチャやるマンガの街で育ちました。流れるままにぼんやりと生きていたら、気づけば書店員に。チェーン書店を経て2018年より往来堂書店勤務、文芸・文庫・海外文学・食カルチャー棚担当。本はだいすきだが、それよりビールの方が優先されることがままある。いや、ビールじゃなくてもなんでものみます。酔っ払うと人生の話をしがちなので、そういう本をもっと読んでいくらかましになりたいです。