『プラハの古本屋』千野栄一

●今回の書評担当者●TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね

  • プラハの古本屋 (中公文庫 ち 9-1)
  • 『プラハの古本屋 (中公文庫 ち 9-1)』
    千野 栄一
    中央公論新社
    1,155円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

 昔から翻訳家のエッセイが好きだ。見かけると、ついつい買ってしまう。
 翻訳に関する苦労話や失敗談、外国の文化や暮らしについての豆知識、人々との交流、街や国、民族の歴史...。生まれてからほぼすべての時間を日本で過ごし、外国語に触れる機会といえば学校英語と映画と音楽くらいしかなかったわたしでも、手軽にエキゾチックな気分が味わえる。それに、翻訳家の皆さんは例外なく名文家で、釣られて自分の言語センスも磨かれるような気がする。

 この「プラハの古本屋」の著者、千野栄一さんは翻訳も手掛けておられるが、そもそもは言語学者であって、いうまでもなく言語に関する知識やセンスは超一流。面白くないはずがない。
 この本の第一章では、ご自身のバイリンガル子育て(奥様はチェコの方)や国際語としての英語など、言葉について興味深いお話がたくさん語られているが、ここではタイトルにもなっている古本エッセイについて紹介したい。

 このエッセイが刊行されたのは1987年。この本の主な舞台であるプラハは、チェコスロバキアという一つの国の首都であり、東欧全体が社会主義体制という壁の向こうにあった。今現在のチェコがどうなのかはわからないが、当時の書籍流通の仕組みは日本と随分と違ったようで、その点も興味深い。
 資本主義体制であれば需要と供給のバランスによって値段が決まるため、ある本をいくらで仕入れ、いくらで売るかは店主の目利きにかかっている。一方当時のプラハでは、古本屋は定価の三分の一で買い取り、三分の二で売るというルールがあった。そのため、希少な本を売りたければ、古本屋さんに売るより個人的に買い手を探してより高く売ったほうがいい、ということになるし、古本屋に希少な本が並べば、他の客のみならず転売屋との奪い合いになるわけだ。
 蒐集家としては、まずはあらゆる古本屋にたびたび顔を出し、店主と顔馴染みになり、表には出てこないとっておきの出物を見せてもらえるくらいの常連にならなければいけないし、欲しい本があるときは、それとなく界隈に情報を流し、「そういえばあいつ、あれ探していたな」と思い出してもらえるようにしなければならない。(日本からは特別遠い国であっただろう当時のプラハで、誰よりも古書に詳しく、スラブ語に堪能な「通客」だった千野さんは、現地では相当な有名人だったのではないかと想像してしまう)
 そんな独特のルールの中で、千野さんが、夢にまで見たという希書を日本にしかない「あるもの」と引き換えに手に入れた経緯が語られる「共産圏の古本屋:売買価格比一定のルール」は嘘みたいなほんとの話として絶品なので是非読んでいただきたい。
 他にも、ブラックリスト(政治的な理由で流通しない本)の話や、チャペックの邦訳の話、めちゃくちゃ面白そうな「匿名辞典」、個性的な古本屋の店主など、興味深いエピソードは尽きないのだけれど...
 とある古本店主のひと言がとりわけわたしの心に刺さったので、それだけご紹介して終わりたい。
 日々の作業に追われて擦り切れつつある書店人としての自我に触れたのかもしれないな。

『私は古本を単なる商品とは思っていません。私は自分を古本を正しく評価できる人の手に渡す文化の仲介者だと思っています』。

« 前のページ | 次のページ »

TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
TSUTAYAウイングタウン岡崎店 中嶋あかね
愛知県岡崎市在住。2013年より現在の書店で働き始める(3社目)。担当は多岐に渡り本人も把握不可能。翻訳物が好き。日本人作家なら村上春樹、奥泉光、小川哲、乗代雄介など。きのこ、虫、鳥、クラゲ好き。血液型占い、飛行機が苦手。最近の悩みは視力が甚だしく悪いことと眠りが浅すぎること。好きな言葉die with zero。