『歌舞伎町ララバイ』染井為人
●今回の書評担当者●BUNKITSU TOKYO 成生隆倫
最近、ゴールデン街入り口にたむろする黒人Aと顔見知りになった。
「ニイサン! コレカラシゴト?」
彼の笑顔は驚くほど明るい。その表情に伝播され、ニッとこちらも口角があがる。
「仕事だよー。今日も朝まで頑張るよ」
「ガンバッテ! ムリシナイデ!」
向けられた手のひらに、己の手のひらをパチンと合わせる。柔らかくて強い手だ。俺は思わず『歌舞伎町ララバイ』に登場する密売人コディを想像してしまった。コカイン、覚醒剤、殺し......物騒なワードが駆け巡るが、それはきっと小説のなかのこと。
Aの正体がなんであれ、俺にとってはこのやり取りが新宿の夜の始まりだ。
毎週水曜日、俺は書店員の顔を剥がす。
新宿サブナードの階段を上がり、きらびやかな区役所通りを渡って、ゴールデン街にあるバーの鍵を開ける。カウンター6席しかない小さな店内は、もはや我が家のようだ。外から聞こえる喧騒は、すでに身体に馴染んでいる。
今まで多くの歓楽街を転々としてきたが、新宿ほどカラーの一貫していない場所はない。とにかくもうぐっちゃぐちゃなのだ。多様な思惑が飛び交い、混ざり合い、夜の景色を作っていく。同じ夜は生まれない。毎晩姿を変えるそれらは笑みをたたえ、心の隙間にぬるりと滑り込もうとする。
「誰だって、人は一人じゃ生きていけないんだよ。だからなあちゃんも、うちも、歌舞伎町にいるんじゃないの?」
主人公・七瀬の友人、愛莉衣が放つ言葉を俺は無視できない。
この街で、誰かと何度も共鳴し、誰かを何度も蔑んできた。きっとその誰かたちも、同じような時間を経験していることだろう。みな、いびつな支え合いで成り立っていることは知っている。それでも繋がりたくなってしまうのは、新宿という世界そのものを愛してしまっているからだと俺は思っている。綺麗なお金も汚いお金も、綺麗な関係も汚い関係も、愛へと変換されていくのだ。
たぶん、この街に居場所を見つけられない人はいない。自分が何者なのか、何者でありたいのか、良くも悪くもその答えが見つかるから。
しがらみから自由になり、縛られていた疎外感や寂寥感は理性を越えて吹き飛ぶ。 本当に欲しいものを忘れて、飢えることに飢える快感に溺れていく。
『歌舞伎町ララバイ』に登場する人間たちもそうだ。彼らほど過激ではないけれど、俺も心のどこかに似たような感覚があるからわかる。結局みんな、空っぽなのが恐いのだ。価値を見出だしてもらえるように、精一杯生きるしかないのだ。
誰かがいなくなっても、街の呼吸は乱れない。
だけど誰かの心には、小さな嵐が巻き起こっている。
そういう誰かの集合体なのだ。歌舞伎町という場所は。
「ララバイは一体どこから聞こえてくるの?」
「ここだよ」「ここだよ」「ここだよ」
無数に聞こえる甘い声に翻弄されながら、今日も俺は、この街の誰かになっていく。
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- BUNKITSU TOKYO 成生隆倫
- 立命館大学卒業後、音楽の道を志すが挫折。その後、舞台俳優やユーチューバーとして活動するも再び挫折し、コロナ渦により飲食店店員の職も失う。塾講師のバイトで繋いでいたところ、花田菜々子さんの著書と出会い一念発起。書店員へ転向。現在は書店勤務の傍らゴールデン街のバーに立ち、役者業も再開している。座右の銘は「理想はたったひとつじゃない」。