『かか』宇佐見りん

●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美

 母親の号泣する姿を見たことがあるだろうか。
 あるとないとでは、きっと何かが決定的に違うように思う。絶対的存在である母親の「人間」らしさを垣間見る衝撃。そして母親の「女」の姿や、人として未熟な部分を感じるというのもまた違うだろう。

 涙といってもいろんな種類の涙がある。
 ここにあるのは愛情の枯渇、DVや依存、酒に溺れ、暴れ、しまいには泣き喚くといった類いの涙。母親の「女」の姿から流れる、堕落的、破壊的な涙だ。

 主人公のうーちゃんは、自分の母親である「かか」のそんな涙にまみれて暮らす19歳の浪人生。悲しみを寄せ集めて、その涙に自ら浸りにいくようなかかを疎ましく思いながら、鍵のかかったSNSの世界で、「誰か」にではなく「誰かのいる」場所で愚痴を吐くことで自分を保つ。

 本作は「かか弁」という方言のような独特な語り口で紡がれる世界観と、独創的なリズム感がある。
 作者は、私たちが普段、変換不可能と見なす「言葉にできない」気持ち、心の中で消化できずに諦めの蓋を被せているわだかまりのようなものを、掬い上げ、引っ掻きまわすように言葉に変え、表現し切る。
 ハッとする描写や思考が作中に散りばめられているのだ。例えば以下の文章は、私が読み進めたはなから三度は読み返した部分の引用である。

 かかは、ととの浮気したときんことをなんども繰り返し自分のなかでなぞるうちに深い溝にしてしまい、何を考えていてもそこにたどり着くようになっていました。おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。(p.29-30)

 痛みがあちらこちらにある。かかとうーちゃんの境界線は極めて曖昧で、かかは自分の一部としてうーちゃんを傷つける。一種の自傷行為なのだ。
 一方でSNSに大袈裟な書き込みをするうーちゃんも、結局は可哀想アピールをし続けるかかとどこか似通っていて、そこに、理解してしまうからこその苛つきや、救ってあげたいという想いがあるように思う。そんな近しいならではの愛憎と祈りを抱えながら、うーちゃんは熊野へ旅立つ。

 女に生まれたこと、「産む」機能を持って生まれたことが憎くて辛くてしょうがないうーちゃんが、女だからこその、その機能を使って、普通では考えつかないようなことを願う。それはうーちゃんのかかへのもの凄い愛ゆえの切望だ。

 女が持つ「母性」から生まれる究極の愛の芽吹きをみたような気がした。
 生まれる前は誰もが皆、母親の子宮で生命ごと抱え守られていたのだ。
 うーちゃんの抱えきれない想いに寄り添いながら、二度と戻れない場所と、もう何処にもない場所の違いを、ずっと考えている。

« 前のページ | 次のページ »

宮脇書店青森店 大竹真奈美
宮脇書店青森店 大竹真奈美
1979年青森生まれ。絵本と猫にまみれ育ち、文系まっしぐらに。司書への夢叶わず、豆本講師や製作販売を経て、書店員に。現在は、学校図書ボランティアで読み聞かせ活動、図書整備等、図書館員もどきを体感しつつ、書店で働くという結果オーライな日々を送っている。本のある空間、本と人が出会える場所が好き。来世に持って行けそうなものを手探りで収集中。本の中は宝庫な気がして、時間を見つけてはページをひらく日々。そのまにまに、本と人との架け橋になれたら心嬉しい。