『五更の月』川井俊夫
●今回の書評担当者●青山ブックセンター本店 高橋豪太
泥酔。泥のように酔う。言い得て妙である。途中からだんだんと自分が何を喋っているのか分からなくなってきて、それでもなんとか家に帰ってきてはズブズブと沼に落ちるように眠る。もう陽も随分高くなったころに布団から這いずり出て「もう二度と酒なんて飲むものか!」と唾を吐く。いいことなんてひとつもありゃしない。それでも懲りずにまた、泥の中に身一つで飛び込んでいってしまう。愚かだろうか? そうも言い切れない。
『五更の月』はそういう小説だ。古道具屋の主人公が買い取りに出向き、金を払って物を手に入れ、誰かに売ったり売らなかったりする。いかんせん古い物だから持ち主自身もその市場価値を把握できていないこともあるが、だからといって法外に安く買い叩くこともなく、金はきっちり払う。それであとは知り合いのツテで売り渡すなり市に出すなり、好きにする。そんな職=生き様を書いた小説である。著者自身も古道具屋を営んでいるから、私小説と言ってもいいかもしれない。ジャンルは、エンタメか、ハードボイルドというのか......たぶんそういう区分けは無粋だ。なんだっていい、ここにしかないものを読む。AIが数秒で整った文章を吐き出す時代に、それでも人間が書いたものを読むことの理由なんて、それだけで十分だろう。
とにかく口が悪い。台詞も、地の文も。その語り口の勢いにいちいち笑ってしまう。相手が依頼者であろうと同業者であろうと、口から出てくる言葉の質感は変わらない。悪く言えば粗暴だが、良く言えば平等だ。必要以上に忖度することもないが、かといって出会いばなから追っ払うこともしない。金を払って物を受け取る、ただそれだけ。なのに、読んでいるとその奥に優しさのようなものが見えてくる。いや、優しいともまた違う、誠実であると言った方が近いだろうか。誰に対しての誠意か。紛れもなく、自分自身に対してである。
自らに向ける誠実さは、信念と言い換えてもいいかもしれない。金の絡むすべてのことには、信念が不可欠だ。やろうと思えば、価値に対して不当に低い値段で買い叩くことだってできるし、たいして価値のないものに多く金を積ませることだってできてしまう。するかしないかは、その人の信念次第。ただ金銭的に得をすればいいってもんじゃない。どんなものに出会い、触れ、別れるか。つまりは、今後の人生をどう生きていくか。大袈裟かもしれないが、そこでは生きる指針が問われている。そうでもないと、三十万でも売ってくれそうなものに百三十万も払ってやる理由がない。山奥の集落にわざわざ足を運んでやる理由がない。荒っぽい主人公の背中に、そんな信念を見た。
酒なんざ飲まなくとも、世界のほうは泥にまみれている。それはそれとして、泥の中にも悪いものしかないわけじゃない。綺麗事なんてものが信用ならないのだとしても、綺麗なものはどっかにはある。長くてかったるい人生の中で少しでもそういうものが見つけられるなら、それだけで生を継ぐ理由になるはずだ。
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- 青山ブックセンター本店 高橋豪太
- 眉のつながった警官がハチャメチャやるマンガの街で育ちました。流れるままにぼんやりと生きていたら、気づけば書店員に。二軒のチェーン書店を経て東京・千駄木の往来堂書店に勤めたのち、2025年10月から青山ブックセンター本店に勤務。本はだいすきだが、それよりビールの方が優先されることがままある。いや、ビールじゃなくてもなんでものみます。酔っ払うと人生の話をしがちなので、そういう本をもっと読んでいくらかましになりたいです。

