『タタール人の砂漠』ブッツァーティ

●今回の書評担当者●青山ブックセンター本店 高橋豪太

  • タタール人の砂漠 (岩波文庫)
  • 『タタール人の砂漠 (岩波文庫)』
    ブッツァーティ,脇 功
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 もうあと半年くらいで二十代が終わろうとしている。たかだかそれぐらいの年月だけれど、とにかく長かったと思う。あっという間に三十歳、なんてことは決してなく、あんなことやこんなこともあって、膨大な時間をやり過ごしてきてそれでもまだようやく三十年ぽっちか、という感じ。別に人よりたくさんの経験を積んできたという自覚もなく、とりたてて突飛な出来事があったわけでもない、ふつうの人生。それでも、本当に長かった。

 けれど同時に、これからの三十年はものすごく短いのだろうとも思う。多分この先、今の仕事を続けるにせよ転職するにせよ、生活は大きくは変わらない。朝起きて身支度と食事を済ませ、出勤する。仕事を終えたらまっすぐ家に帰り、つまみをこしらえビールをあおる。誘いがあれば、居酒屋に寄り道したっていい。あとは本を読むなりテレビを観るなりギターを弾くなりして、眠くなったら寝る。そしてまた朝起きて──。けして嫌な生活ではないし、退屈というわけでもないだろうが、このまま同じように暮らしていたら三十年なんて瞬く間に過ぎ去ってしまいそうで、ゾッとする。

 イタリアの作家・ブッツァーティの小説『タタール人の砂漠』は、私にとってはホラー小説だ。ひとりの人間の生の儚さ、なにもできないまま終わる空虚さをまざまざと読者に突きつける。こんなにも恐ろしい小説は他にない。しかしこの小説を読まずに終える人生は、もっと恐ろしい。

 士官学校を卒業して念願の将校に任官したジョヴァンニ・ドローゴは、砂漠にほど近いバスティアーニ砦に配属される。街からも遠く不便であるこの砦の役割は、タタール人の来襲に備えること。しかし敵はいつやってくるかわからないという。この赴任先に不満を抱き、すぐさま転任の希望を申し出たドローゴだが、少佐のアドバイスもあってひとまず四ヶ月は留まることを決める。まずは四ヶ月、それだけ凌げば。しかしこの判断が彼の人生の進退を大いに左右することになる。気づけば一年、二年、そして......。時が進むにつれて、彼の身体も精神も、静謐な砦に飲み込まれていくように馴染んでいく。

 人間を律し、生活の骨組みを作るのが習慣である。いちど習慣化したものは、意識の下に潜り込み、なかなか脱けていかない。継続することが自然であり、停止したり変更するほうが負荷がかかる。だから慣れというものはおそろしい。今いるこの場所に腰を落ち着けてしまったら、ちょっとやそっとじゃ移動できない。不安や違和感も、最初だけ。どうせすぐに慣れる。それが大人になるということなのかもしれないが、習慣に飲み込まれることへの危機感は、手放してはいけないもののような気がする。

 自分の手で成し遂げたい目標がある。実現したい自己像がある。そう思い立つ人間の前に、砦は容赦なく立ちはだかる。慣れ始めた身体に鞭を打って早々に袂を分かつのか、それともそこでそのまま骨を埋めるのか。決断ひとつでどうとでもできる、わけではないのがこの小説を読むとわかる。ドローゴもはじめは「英雄的な運命」を期待していた。「崇高にして大いなる出来事」がいずれ起こるはずだと、待ち続けた。そうして結局どうなったか。この顛末の如何は、この小説をきちんと通読した者にしか感じ取れない。

 何かを成そうとするには人間の寿命はあまりに短いが、何も成せないとわかってしまった人生はあまりに長い。ならば生きるということは、耐えるということなのだろうか。

 初めて読んだのは数年前、二十代半ばであった。今年、三十を目前にしてまた読み返した。多分これからも数年おきに再読するであろうこの小説は、歳を重ねるにつれてどんどん自分ごとになっていくはずだ。それでも、この本を手に取らずにはいられない。不思議な魅力のある一冊だ。

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青山ブックセンター本店 高橋豪太
青山ブックセンター本店 高橋豪太
眉のつながった警官がハチャメチャやるマンガの街で育ちました。流れるままにぼんやりと生きていたら、気づけば書店員に。二軒のチェーン書店を経て東京・千駄木の往来堂書店に勤めたのち、2025年10月から青山ブックセンター本店に勤務。本はだいすきだが、それよりビールの方が優先されることがままある。いや、ビールじゃなくてもなんでものみます。酔っ払うと人生の話をしがちなので、そういう本をもっと読んでいくらかましになりたいです。