『白猫、黒犬』ケリー・リンク
●今回の書評担当者●田村書店吹田さんくす店 渡部彩翔
童話を読んだのはずいぶん昔のことですが、今でも鮮明に思い出せるのは、それがただの物語ではなく、心の核心に触れていたからかもしれません。
本書は、そんな童話たちを、変幻自在の物語の魔術師と称されるケリー・リンクが再話した7つの物語です。
フランスの童話、ノルウェーの民話、グリム童話にイングランドの伝承など、ヨーロッパのさまざまな物語がもとになっています。
帯に『万華鏡のような』と書かれていましたが、まさにその表現が本書にはぴったりです。
読むほどに新たな発見と驚きがあり、印象が変わります。
見る角度や視点によって、まったく別の物語になり、見落としていた感情や関係性に気づくたびに、「まだあったのか!」と、隠れていた新たな層を発見し、驚かされます。
ただし、一度気づいてしまったら最後。
読み返しても、二度と知らなかった頃の感情や感覚には戻れません。
だからこそ、心に残る部分や心地よい場面に出会ったときは、一度立ち止まり、じっくりと味わっていただきたいです。
できることなら、もう一度この本を読む前の自分に戻りたいです。
これほどまでに短篇小説に夢中になり、満足できるとは思っていませんでした。
物語の中では童話と同様に、「愛」「憎しみ」「幸せ」「信頼」といった普遍的なテーマが異なる形で描かれていますが、その中で迫られるひとつひとつの選択肢は現代を生きる私たちの実生活と重なります。
どれを選んでも喪失感を伴います。
その喪失感が強まるほどに、不気味に見えていた物語が美しくなっていきました。
悲しい、怖い、なのに美しい──その表現しがたい感情が奇妙で不思議で、宙をさまよいます。
あまりに巧妙な言葉の使い方と伏線には、『言葉を仕掛ける』という表現がしっくりきます。
ただの比喩だと思っていたものが、ふと『あれ?この感情...知っているかも?』と、既視感を覚えることもあります。
それも、過去を振り返る間もなく、そのときの感情だけが次から次へと引きだされて胸がざわつく感覚です。
このような感覚を感じるのは、普段触れることのない、心の奥深くに潜む感情を幻想的に引き出されるからかもしれません。
どこか遠い話のようで、童話という「心の原風景」に結びついてくるからこそ、身近に心に沁み込んでくるようで、怖いのに魅了されてしまいました。
物語はどれも静かに結末へと向かっていきますが、読後には確実に何かを見落としたことに気づきます。
それも物語の大切な核心部分です。
読み返すほどに核心に近づくような感覚を覚えるため、何度も読み返したくなります。
著者がどこに言葉を仕掛けたのかを探しながら、文字にのまれ、溺れ、振り回される感覚は、不可解でありながらも非常に心地よいです。
ケリー・リンクの魔法にかけられた言葉が、比喩しているものとは一体何なのか?
それを追い求めたくなります。
ページをめくるとファンタジーと現代を生きる私たちの今が絶妙に交差する、不思議な世界が広がっています。
- 『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』宮田珠己 (2024年10月17日更新)
- 『スロウハイツの神様』辻村深月 (2024年9月19日更新)
- 『幸せなひとりぼっち』フレドリック・バックマン (2024年8月15日更新)
- 田村書店吹田さんくす店 渡部彩翔
- 田村書店吹田さんくす店に勤務して3年弱。主に実用書・学参の担当です。夫と読書をこよなく愛しています。結婚後、夫について渡米。英語漬けの2年を経て、日本の活字に飢えに飢えてこれまで以上に本が大好きになりました。小さい頃から、「ロッタちゃん」や「おおきな木」といった海外作家さんの本を読むのが好きです。今年の本屋大賞では『存在のすべてを』で泣きすぎて嗚咽しました。