『はじまりのスープ、夏ゼリー』瀬尾まいこ
●今回の書評担当者●本の森セルバ岡山店 横田かおり
タイトルを見ただけで、胸は激しくときめいた。
はじまりのスープとは、素材をあじわうシンプルなスープのことだろうか?
わざわざ「夏」と冠されたゼリーって、どんなゼリーなんだろう?
ページから立ち上がるふくよかな香り。それは鼻孔をくすぐるだけでなく、過去の幸福な食卓を自然と呼び起こした。
主人公の中森百合は、百合と書いてリリーと読む少し変わった名前の持ち主。中学校に進学する直前に両親が離婚し、リリーと父、妹と母に家族は別れることになった。母に選ばれなかった自分と、選ばれた妹。母に捨てられたという思いが、リリーの心には深く刻まれている。
子どもの頃からリリーは料理が得意だった。しかし、家を空けることが多くなった父との生活で、料理をすることは次第に負担になっていった。
一人ぼっちの家に暮らす、孤独で単調な毎日。強い絆で結ばれていた妹との間にできてしまった距離。話すことがなくなってしまった母との気まずいやりとり。
リリーの作ったものを「おいしい」と言って喜んでくれた、家族との幸福な記憶は霞んでいった。
粗暴な物言いで周囲に壁を築き、バイトを転々としながら味気ない生活を送るリリー。自分の作るものにも飽き飽きしているが、料理の才は身を助ける術であり続けた。
賞金目当てで参加した料理コンテストで、審査員をしていた青年は、リリーのスープをどうしてもまた飲みたいと懇願した。彼の言動に訝しみながらも「海の味」がするスープを差し出したリリーの前で、青年は涙を流した。誰にも話せなかった過去の記憶が、彼女のスープによって呼び起こされたからだった。
心ある人との出会いでリリーもまた変わっていく。閉店を控えた食堂で人の好い大将とお客さんたちと過ごすうち、この場所をなくしたくないと思うようになる。大将と二人、試作を重ねた親子丼には、人と店を活気づける明るいエネルギーがあった。
家族のSOSに気づいたリリーは、料理を介して励ましたいと願った。リリーのお手製ゼリーには、きらめくような思い出とありったけの愛が閉じ込められた。大人になった二人が子どもの時と同じように過ごす時間は、過去と今を結び直してくれた。
自分なんて、と自らを卑下しながら生きてきたリリー。周囲の人の言葉を素直に受け取れないのは、信じた人に裏切られる辛さを知っているからだ。それでも人を慮るやさしい気持ちがリリーから消えることはない。
リリーのつくる料理には、魔法がやどっている。それは、天から授けられたセンスと、他人を思いやる気持ちがあってこそのものだった。
湯気の向こうでほころぶ顔。たったこれだけのことに救われる私たちは、一人で生きていくには心もとない弱さを持つ。だからこそ、大切な人と囲む食卓をこんなにも嬉しく愛おしく思う。
物語の中に描かれていたささやかな幸福。それは、私たちの日常の中にあって、今を支え、未来を創る力を有したギフトそのものだった。
« 前のページ | 次のページ »
- 『タイム・アフター・タイム』吉田修一 (2026年7月16日更新)
- 『明日、あたらしい歌をうたう』角田光代 (2026年6月18日更新)
- 『おにたろかっぱ』戌井昭人 (2026年5月21日更新)
-
- 本の森セルバ岡山店 横田かおり
- 1986年岡山県生まれ。書店員歴20年。担当は文芸書、児童書。おかやま文学フェスティバル実行委員おかやま文学創造ラジオMC、note担当。【 おかやま文学創造ラジオ|note 毎週ポッドキャスト配信中】本は友だち。人生の伴走者。この世界に本があってよかった。

