『花の下にて春死なむ』北森鴻

●今回の書評担当者●宮脇書店ゆめモール下関店 吉井めぐみ

  • 花の下にて春死なむ (講談社文庫 き 41-3)
  • 『花の下にて春死なむ (講談社文庫 き 41-3)』
    北森 鴻,郷原 宏
    講談社
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

山口県出身の作家、北森鴻さん。同じ山口県出身ということもあり、親しみを感じる作家のひとりだ。作品の中に地元の下関が出てくるのも嬉しい。

『花の下にて春死なむ』は、三軒茶屋の路地裏にあるビアバー「香菜里屋」を舞台にした連作短編集。店主の工藤は、おいしい料理とビールを用意して客を迎える。そこには、それぞれの事情や思いを抱えた人々が訪れ、ときには不思議な謎を持ち込む。工藤は客との会話や何気ない手がかりから、その謎を解き明かしていく。

初めて読んだとき、一話目の語り手である飯島七緒は、自分と年齢が近かった。けれど、七緒の感性は自分よりずっと大人びていて、感心したことを覚えている。

今回読み返して、特に印象に残ったのが二話目の野田のエピソードだ。仕事に忙しかった野田は、離婚した妻に自由を与えていたつもりだった。ところが、そのことを口にすると、妻から「どうしてあなたに許可を受けなきゃいけないの」と言われてしまう。若い頃に読んだときは、「そうだよな」と妻の言葉をそのまま受け止めていた。けれど今は、妻が指摘する「理解を示しているつもりでいる分、たちが悪い」という点に、より強く共感する。相手を理解しているつもりでも、本当に相手の気持ちをわかっているとは限らない。そんなことを考えさせられた。

同じ作品でも、読む時期によって感じ方は変わるものだ。以前は気にならなかったところが心に引っかかったり、登場人物の言葉を違う受け止め方をしたりする。読み返すことで、自分自身の変化にも気づかされるのが面白い。

そして、この「香菜里屋」シリーズの好きなところは、持ち込まれた謎がすべてはっきりと解明されるわけではないことだ。工藤が「もしかしたら、こうだったのではないか」と、真相につながる糸口を示してくれる。そこから見えてくるものにゾッとしたり、反対にホッとしたりする。現実でも、何かが起きたとき、その真相がすべてわかるとは限らない。わからないことを残したまま、想像するしかないこともある。だからこそ、すべてを説明しきらない物語にリアルさを感じるのかもしれない。読み終えたあとも、「あれはどういうことだったのだろう」と考えてしまう。その感覚が癖になる。

店主の工藤が作る料理も、この作品の楽しみの一つだ。季節に合わせて出される料理はどれもおいしそうで、読んでいると思わずお腹がすいてくる。工藤の料理を味わいながら、ゆっくりビールを飲み、話を聞いてもらえたら、きっと心まで満たされるだろう。香菜里屋が近くにあったら、ぜひ訪れてみたいと思ってしまう。

作品に描かれた下関・長府の風景も魅力のひとつだ。今では変わってしまった場所もあるが、功山寺や忌宮神社など、今も変わらず残る風景もある。物語に思いを馳せながら、ゆっくりと街を散策してみるのもまた一興だろう。

おいしい料理とビール、そしてひとつまみの謎。香菜里屋に集う人々の思いに触れながら、謎解きだけではない人間の心の機微も味わえる一冊だ。初めて読んだときとはまた違う発見がある。そんな再読の楽しさも感じさせてくれる作品だった。

« 前のページ | 次のページ »

宮脇書店ゆめモール下関店 吉井めぐみ
宮脇書店ゆめモール下関店 吉井めぐみ
書店員13年目。気付けばミステリーばかり読んでいます。伏線を探すつもりが、だいたい作者にいいように騙される。それでもやめられないのがミステリーの魅力。横溝正史、綾辻行人、有栖川有栖、京極夏彦、町田そのこ、青山美智子、澤村伊智、芦花公園、もっともっと好きな作家さんたくさんです。推しは 谷山紀章 、GRANRODEO SnowMan 。