【今週はこれを読め! エンタメ編】ずっと読んでいたい父と子の物語〜戌井昭人『おにたろかっぱ』

文=高頭佐和子

  • おにたろかっぱ
  • 『おにたろかっぱ』
    戌井 昭人
    中央公論新社
    2,860円(税込)
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 父親と幼い息子の物語と聞くと、読みたい気持ちがあまり沸いてこないというのが正直なところだ。それでも買ってしまったのは、戌井昭人氏の久々の長編小説だからだ。読み始めてみるとやっぱり愉快で、ずっと読んでいたいような小説なのである。

 父ちゃんはミュージシャンだ。二十代の頃にはヒット曲もあったのだけれど、その後はさほど売れることもなく、ギターを持って日本中を回りながらライブハウスで歌っていた。そんな感じでひとりでやっていくつもりだったのだが、5年前に昔録音した歌がドラマの主題歌に使われてヒットした。そのことがきっかけとなり、ブックデザインの仕事をしている母ちゃんに出会って結婚した。3年前にはタロが生まれ、半年前に三浦半島にある古い家に引っ越してきた。コロナの影響もあって、父ちゃんには最近仕事がほとんどない。ヤバいと思いつつ、毎日タロと遊んでいる。「ジョン・レノン以上に子育てをやっている」というが、世界的ミュージシャンと比べている場合ではないことは明白だろう。それは本人もよくわかっているのだが、48歳の父ちゃんがタロと過ごせる時間は決して長くない。一緒にいる時間を大切にしたいという思いもあるのだ。

 タロの部屋には古道具屋で買ってきたちゃぶ台があるのだが、天板にオニとカッパに似た傷がついている。タロは時々この「オニ」と「カッパ」を呼び出して「会議」をするようになった。その様子をこっそり壁の穴から覗いていた父ちゃんは、うっかり牛のぬいぐるみ「上田ウシノスケ」としてタロに声をかけてしまい、それ以来「会議」が始まるたびにウシノスケになりきって部屋の外から参加している。

 そんなゆるやかな日々が、まもなく終わりを迎えようとしている。父ちゃんは、久々にひとりでライブツアーにいくことになった。帰ってきたら、早朝に起きて近所に住む漁師・竹蔵さんの手伝いをすることになっている。タロは幼稚園に行くので、そうなれば毎朝一緒に散歩に行くことも、一日中ふたりで過ごすこともなくなるだろう。ところが、仕事を頑張りすぎた母ちゃんが病気になってしまった。タロは父ちゃんと一緒に「どさまわりツアー」に出ることになったのだが......。

 小さい頃から落語を聞かされているタロの喋りが愉快だ。親子というより兄弟みたいな関係や、町に住んでいるちょっと変わった人々もいい。大人げない父ちゃんに呆れる母ちゃんにも共感しつつ、ふたりの会話を楽しんでしまう。まだトイレでウンチもできない小さな子と長旅をし、夜のライブ会場に毎日のように連れていくなんていかがなものかと思う人もいるだろう。だが、タロは想定外のこともいろいろ起きる旅先で少しずつ成長していく。ユニークな人々と自然に打ち解けて、父ちゃんのライブにも辛辣なダメ出しをする。ツアーにはウシノスケも同行し、オニやカッパとはリモートで会議をする。

 旅を終えたタロはすぐに幼稚園に馴染み、いずれは小学生になって、やがて大人になるのだろう。今は父ちゃんや母ちゃんのことが大好きだけど、いつかは秘密にしたいこともできて、もしかしたら仲良くできなくなる日も来るのかもしれない。大人げない父ちゃんと過ごした日々も、出会った愉快な人たちのことも、オニやカッパやウシノスケとの会議のことも、ぼんやりとしか思い出せなくなるのかもしれない。だけど記憶は薄れていっても、みんなが笑っていて自分がすごく安心していたことはきっと心のどこかに残り続けるのではないか。

 時はどんどん過ぎていって二度と戻ることはできないのだけれど、積み重ねたなにげない日常の温かさは、絶望に陥った時に人を助けてくれるのだと思う。それを知っている私は最後の四行を読むと、泣きたいような笑いたいような気持ちになる。他人から見たらどうでもいいだろうけど、なんかすごく大切な気がする記憶が溢れてきてしまうのだ。

(高頭佐和子)

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