【今週はこれを読め! エンタメ編】今という時代を凝縮した小説〜朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
文=高頭佐和子
昨年大きな話題となった『生殖記』(小学館)に続く朝井リョウ氏の長編小説である。楽しみにしている読者が多いことはもちろん予想していたが、店頭に並べたとたん驚くほどの勢いで在庫が減っていき、速攻重版もかかったらしい。これだけ話題にもなると「ふーん、売れてるんだ。読まなくてもいいや」と思ってしまうタイプの人もいるだろう。物語の中心にある「推し活」というネタにうんざりしているとか「ファンダム経済」という言葉にピンとこないという理由で、読む気が起こらないと思う人もいるだろう。それもわかるんだけど......。
「そう言わずに読んでみてください」と頭を下げてお願いしたい気持ちだ。今という時代が、この小説の中に高い精度で凝縮されている。上から観察するようなつもりで読んでいたら、思わぬところに自分の姿を発見してハッとする。そんな気持ちに、多くの人がなるのではないか。
異なる年齢や経験を持つ三人の視点を通して、物語は進んでいく。レコード会社の社員である久保田慶彦は、かつて洋楽のプロモーションで活躍していたが、四十七歳になった今は経理財務部に所属している。若手社員とはコミュニケーションが取れず、仕事を離れて心を通わせる相手もいない。離婚以来別々に暮らす娘とは、月に一度のオンライン通話でも話が続かない。もはや、彼女の学費や留学資金を払うことで、希望を叶えてやることだけがつながりだ。
久保田の娘・武藤澄香は、両親の離婚後、母の実家がある大分に住んでいる。父親の影響で子供の頃から洋楽や洋画に関心があり、自宅から通える留学生の多い大学に進学した。高校まではトップクラスの成績だったが、大学では語学力もコミュニケーション能力も優れた学生に囲まれ、限界と孤独感を感じている。内向的資質に対するコンプレックスと溢れる情報に疲れており、今も海外留学という目標に向かってがんばっていると信じている父親に対して、複雑な感情を抱いている。
隅川絢子は、新進俳優・藤見倫太郎を応援する活動に全力を注いでいる契約社員だ。家族も恋人も友達もなく経済的にも不安な環境で、会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、倫太郎を知り他のファンたちと協力して応援するようになってからは、充実した日々を送れるようになった。同じく三十代独身の同僚・いづみさんが倫太郎のファンであることを知ってからは、共に過ごす時間に幸福を感じている。
そんな三人に、それぞれ転機が訪れる。久保田慶彦は、同期社員で有名プロデューサーとなった橋本から新しい企画に誘われる。これからデビューするアイドルグループを「物語を打ち出す」というやり方で仕掛けていくという試みに、かつて新進アーティストのプロモーションで成功した経験が活かせると言われ、参加することを決める。
武藤澄香は、アルバイト仲間を通してあるオーディション番組に出演しているアイドル志望の男性を知る。日本のアイドルに関心を持ったことがなかった澄香だが、彼の持つ自分と同じ内向的な性質に惹かれて、応援したいという強い気持ちを抱くようになる。
澄川絢子は、休養中だった倫太郎が突然この世を去ったことにショックを受ける。自ら命を絶つはずがないという思いから、真実を知るためにいづみさんや他のファンたちと連帯して活動を始める。新しい目的を見つけて動き始めた三人は、本人も予想していなかった場所に向かって走り出していく。
「物語への没入というのは、手っ取り早く我を忘れるために有効な手段の一つなんですよね」
橋本のチームの中心人物である人物が、久保田にいう言葉だ。人々は物語によって動かされる。物語を作って人々を熱狂させようとする者。消費することに没頭する者。冷静に振る舞おうとする者。全く違うことをしているようでいて、その境目は曖昧でもある。誰かの手によって提供された物語は、受け入れた人の中で変化し増殖する。やがてそれは新たな物語となって放出され、暴走する。それは、「推し活」という言葉で連想できる問題だけに限らない。読み進めるほどに、現実に起きたいくつもの出来事の残像が次々と脳裏に浮かんでくる。そして、この渦の中に私もいるのだということを、自覚せずにはいられない。
「還ってくるのは、これまでやってきたことよりも、これまでやってこなかったことのほうなのかもしれない」冒頭に久保田が思うこの言葉が、物語の最後に戻ってくる。読み終わった私も、繰り返し自分にそれを問いかけている。
(高頭佐和子)