第169回芥川賞受賞予想。マライ「市川沙央『ハンチバック』が凄すぎる、有り金全部!」杉江「乗代雄介『それは誠』と『ハンチバック』が同率」

今回からWEB本の雑誌にお世話になって、芥川・直木賞予想対談をすることになりました。どうぞよろしく。〈職業はドイツ人〉マライ・メントラインと〈書評から浪曲まで〉杉江松恋のチームM&Mが7月19日に選考会が行われる第169回芥川・直木賞を語り倒しますよ。
では、芥川賞候補作をじっくり語ります(選考委員は、小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・平野啓一郎・堀江敏幸・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一)。直木賞編はコチラ

■第169回芥川龍之介賞候補作
石田夏穂「我が手の太陽」(「群像」2023年5月号 )2回目
市川沙央「ハンチバック」(「文學界」2023年5月号 )初
児玉雨子「##NAME##」(「文藝」2023年夏季号)初
千葉雅也「エレクトリック」(「新潮」2023年2月号 )3回目
乗代雄介「それは誠」(「文學界」2023年6月号)4回目

目次
▼石田夏穂「我が手の太陽」リアルに溶接という作業を書く
▼市川沙央「ハンチバック」異様なホンモノの輝きを放つ
▼児玉雨子「##NAME##」オタク的生活文化描写のリアリティが良い
▼千葉雅也「エレクトリック」文化的事象の扱い方がどう評価されるか
▼乗代雄介「それは誠」『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を想起
▼芥川賞候補作総括●お前の脳にはいったい何が見えているのか

石田夏穂「我が手の太陽」リアルに溶接という作業を書く

杉江松恋(以下、杉江) というわけで新天地での初対談です。どうぞよろしくお願いします。最初にお互いの一押し作品とこれが受賞するだろうという予想を話しましょうか。

マライ・メントライン(以下、マライ) よろしくお願いします。私は今回は「ハンチバック」 の画期性に圧倒されました。一押しとか予想とかいう以前の問題です。有り金ぜんぶ賭けます。もし外してもまったく後悔はありません。もし他の作品だけが受賞したら、それは「ハンチバック」が芥川賞よりスゴイのだ、それだけのことだと言ってみる!

杉江 おお、強気だ。私は一押しが「それは誠」で、受賞は『それは誠』と『ハンチバック』が同率かな、と思っています。二作にするのは芋引きじゃなくて、一応根拠あり。

マライ ええですのう。

我が手の太陽
『我が手の太陽』
石田 夏穂 / 講談社 / 1,650円(税込)
あらすじ
雇用形態が流動化し、特に現場仕事の人手不足が常態化している現代日本で、職人気質を保持する男を主人公とする小説。ベテラン溶接工として働く伊東は現場で問題を起こし焦りを感じていた。その彼が取った行動とは。
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マライ 頑固一徹職人を巡る神秘体験的ストーリーなわけですけど、昭和世代に向けたメッセージみたいなものでしょうか。主人公の伊東に対して肯定的なのか否定的なのか目線が微妙ですね。

杉江 これまでの石田作品の多くは女性視点だったんですけど、これは中年男性の話で、人手不足が構造的なものになり、職人的な価値観が顧みられなくなった時代に、溶接という技術を持っていることを誇りとする男性が主人公です。彼の生き方そのものがそっくり時代からずれていて、そのアナクロニズムを描くこと自体が主題といえるかと。彼は偏狭で、村上という後輩の忠告にも耳を貸さない。溶接へのこだわりがパラノイアックでもありますね。溶接というのは目の前のアーク灯だけに集中して周囲を見ない作業ですから、そこは社会と前時代的な職人気質の隠喩を感じさせます。作者は職人的価値観をおもしろがりつつ愛でている感じがします。作者と伊東との間には距離がありますよね。

マライ ありますね。ゆえにある意味、結末が予想しにくい。

杉江 幻の検査員という存在もありますが小説としての仕掛けはそのくらいで、あとはただリアルに溶接という作業を書くだけという。

マライ メタファーを読み取れない人にはどのくらい届く小説なんでしょうね。杉江さんがこれ好きなのはわかりますが、選考委員に刺さるポイントはどのへんでしょう?

杉江 石田さんは溶接について書きたかっただけなんだと思います。ただ、職人の仕事場を選んだために、構造の必然としてそういうメタファー要素が入ってきてしまったと。火というのはギリシャ神話のプロメテウス以来、文明の核と見なされるものですから、そういうこと深読みして味方についてくれる選考委員が出れば目はあるかも。『我が友、スミス』もよかったよね、と言い出してくれれば。

マライ なるほど、過去作との微妙な合わせ技ポイントでしょうか。

杉江 ただ、石田さんの武器であるギャグがあまり使われてないんですよね。この前に出た『黄金比の縁』(集英社)のほうが本筋に近い気もするんです。

マライ 私も楽しんで読めたことは確かなんですが、特に推せるポイントは無かったんです。『我が友、スミス』が傑作で好きだっただけに、うーん的な残念感がありますね。

杉江 『黄金比の縁』は人事部を題材にしてかなり笑える小説なのでそっちもぜひ。

市川沙央「ハンチバック」異様なホンモノの輝きを放つ

ハンチバック
『ハンチバック』
市川 沙央 / 文藝春秋 / 1,430円(税込)
あらすじ
先天性ミオパチーのため30年間自身の足で歩くこともせずに暮らす〈私〉こと井沢釈華は、ネットや電子媒体に文章を発表し続けている。自身の体は出産には耐えられないが妊娠と中絶を体験したいと考え、ある行動に出る。
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マライ いまの現実現世を生きる上での渇きを描き抜いた作品としてベストでしょう。本格文芸っぽい気取りのない剛速球さが骨身に沁みます。今回、芥川賞直木賞ひっくるめて一番すごい作品です。傑作です。今回両賞で、ちょっと過去に舞台をもってくる作品が目立ったんですが、これはあからさまにジャストナウ「いま」の時点で勝負しているでしょう。その堂々たる姿勢も◎です。私は最近の世間が極論化や逆説化に傾きがちであることを憂いているんですけど、この作品に満ちている「極論」や「逆説」はそれと同じようには否定できない。こういう視点の活かし方があるのか、と驚きました。私がイマドキ的アリガチ的な「極論」「逆説」を嫌うのは、それらが得てしてケチな論争マウンティングの道具に使われるからなんですね。本作はそうじゃなくて、展開される各種の極論的な想念は、登場人物にとっての飾り気のないリアルそのものであり、ゆえに異様なホンモノの輝きを放ちます。

杉江 あらかじめ奪われていた権利や生き方をいかにして取り返すかということを書いた小説だと思うんですが、障害者女性の権利を取り戻すためにあえて極端なことを望む主人公の意志が説得力十分に伝わるところが凄いですね。

マライ 作者が意図したかどうかはわかりませんが、「呪い」も本作のテーマだと思います。しかも社会的通念として流通している呪詛を、完全に咀嚼しきって再構築した上で小説に内包している凄みがある。呪いをこれほど自然で説得力のある形に昇華させた例というのは見たことがないです。

杉江 当事者性ということにも踏み込むんですけど、作者が主人公釈華と同じ先天性ミオパチーであることを「抜きにして」有無を言わせぬ説得力があります。作者のキャラクターを前に出すまでもなく、小説自体で書ききっている。そこが凄いなと思いました。小説内でリアリティの欠如を感じたのは、電子のBL小説を売っても施設にフリカケ代を寄付することもできないんじゃないか、というぐらいかな。

マライ そこですか(笑)。いわゆる障害者文芸とか障害テーマ文芸というか、そうした業界にこの作者は凄い風穴を開けましたね。既存作品でお約束的に期待されていた予定調和、善意・安心・希望的な要素が何ひとつなく、最先端の文芸でありえている。これこそ世界の現状に対する見事で価値ある挑発です。素晴らしすぎる。

杉江 けっこう下ネタも多いしネットスラングも使うんですけどそれが下品に見えないのは文章が美しい証拠ですね。私がわからなかったのは、終盤に聖書の創世記が出てくるんですけど、あれは場面転換にはいいんですけど、引用として適切なのかどうかが判断つかなかったです。きちんとした聖書読者に意見を聞いてみたいな。あのあとに小説の幕引きが訪れるんですが、ちょっと開かれた終わり方なんですよね。なので、聖書を使って意味づけをしちゃうのは少し危険なのではないかと思いました。でも致命的な瑕じゃない。マライさんがおっしゃるように作品を覆う呪詛が実に効果的に用いられていますし、生半可な反論では突き崩せないぐらいに主人公の主張は堅固です。

マライ ひさびさに建前抜きの凄みを間近で見た気がします。

杉江 私がなるほど、と思ったのは重量のある物質としての本を主人公が憎んでいて、出版業界が健常者本位のマチズモに知らず知らず支配されているという指摘でした。ああいう風に社会の固定的な視点を覆す指摘が随所にある小説ですよね。

マライ そう、健常者が気づかないアレコレ、というのはよくあるのですが、読書文化としてあれはけっこう刺さるものがありましたね。

杉江 新人の第一作としては驚くべきレベルですよね。これはもう褒めだすときりがないので、先に進みましょう。

マライ 機会があれば一晩中でも語れますとも!

杉江「新人の第一作としては驚くべきレベルですよね」

児玉雨子「##NAME##」オタク的生活文化描写のリアリティが良い

##NAME##
『##NAME##』
児玉 雨子 / 河出書房新社 / 1,760円(税込)
あらすじ
ジュニアアイドルとして活動していた主人公は、成長してBL小説などを愛読する普通の大学生になった。そんな彼女がある事件が元で自分の過去を振り返ることを迫られる。思い出すのはかつての親友・みさちゃんのことだ。
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マライ 2005年から2017年に至るアイドル文化の「価値観の転換」について、ミクロかつ底辺インサイダーの視点から概要を描こうとした作品です。これはいいですね。そしてキツい。同じ候補作の「エレクトリック」で表現しかけていた「共有体験から個の体験の並立へ」という時代変遷的テーマも、本作がよりナイスな形で具体化していると感じます。個の実感をどう得るかという結論が最後に示される、その収束感が素晴らしい。

杉江 お、「エレクトリック」をそう読みましたか。あとで伺いましょう。

マライ さらに言えば、いわゆるオタク的生活文化描写のリアリティが良いです。オタクという垣根を超える、訴求力の高い表現が展開されていますね。女子の生活感覚の柔らかさ・繊細さ・エグさが、ことさらイマドキっぽく主張する感じでなく描かれていて、男子にもわかりやすい点も◎でしょう。空気感の言語化能力が素晴らしい。

杉江 児玉さんはハロプロを始めさまざまなアイドルやアーティストに信頼される作詞家で、この人の出現によってハロプロには革命的な変化が起きた、と同い年の藤田香織さんに教えてもらいました。急いで前著の『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)も読んだんですけど、これもなかなかいいんですよ。本作は児童ポルノの問題が中心にあるわけですが、ジャニーズ事務所の性加害問題も取り沙汰されている現在では非常に関心度の高い内容にもなっていますね。

マライ 狙ったわけでもないのに! 主人公が惚れ込んでいるオタク漫画家が児ポで逮捕されちゃうとか、前々からどっかで見たような材料が散見されるけど、全体として既視感に呑み込まれない点も良いです。食材をベストな形で調理していること、作品を通しての主張・問題提起に作者ならではの独創性があることの証明でしょう。

杉江 突き詰めていえば奪われていた自分の身体を取り戻そうとする物語ですよね。それを直線的に書いていないところがいいと思うのです。テーマに求心性を持たせることだけに汲々とする作品は、小説として成功しているとは言いがたい場合がある。本作はみさちゃんという友人との関係性を道糸にして、主人公が現在の立場から過去のアイドル活動を振り返るという視点で書かれています。声を上げることに積極的ではなくて、彼女は行きつ戻りつしますよね。あの余裕が小説だと思いました。

マライ じらしますよね。正直、途中で話がやや引き延ばされている感覚も無くはなかったけど、あのラストですっごく感動しました。キッズアイドルの友人がとても固執することがあるんですけど、それにピンとこない主人公は拒否る。そのエピソードの意味がラストで判明して、主人公から友人に重心が移るんですよね。その感じが気持ちよかったです。

杉江 複合的な小説ですよね。スクールカースト、大人の男による性消費、プロダクションの搾取、女性を攻撃する女性というさまざまな要素が実に的確にはめこまれたプロットだと思いました。あの結末はいいですね。私もじんとしました。私がぞっとしたのは尾沢さんというBL研究会の人ですね。主人公が自分の性被害について積極的に声を上げようとしないことを詰って、「あなたが書かないなら私が書いてもいい?」と聞いてくる。実はそれも相手からの簒奪なんですけどまったく無自覚で、正義の名の下にやろうとしている。あのへんの絶対正義の書き方には痺れました。正義の人コワイ。

マライ 「ハンチバック」が無かったら私はこれがイチオシです。

マライ「空気感の言語化能力が素晴らしい」

千葉雅也「エレクトリック」文化的事象の扱い方がどう評価されるか

エレクトリック
『エレクトリック』
千葉 雅也 / 新潮社 / 1,650円(税込)
あらすじ
インターネット普及の兆しが見えた1995年、志賀達也は高校生として宇都宮にいた。東京は遠く、「新世紀エヴァンゲリオン」で描かれたネオ東京のように実感がない。だが世界が一変する節目はすぐそこまで近づいていた。
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マライ 1995年を「価値観の転換点」として、ミクロの視点からその概要を描こうとした作品ですね。何の転換かといえば、クラスの誰もが知っている的な人気コンテンツの体験共有から、ネットを介した個の体験の並立へ、的な感じでしょうか。語り手の父親の脱・強権的、友達的キャラが興味深いです。いっぽう、母親とか妹のキャラにはそんなに深みや面白みを感じなかった。

杉江 たぶん、父親と息子のホモソーシャルな関係を描くために、そこから外れた女性は類型的なキャラクターとして関心の対象外にされているのではないでしょうか。

マライ なるほど。あと、せっかくエヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)を隠喩的に強くピックアップしていながら、いまいち使いこなしていないっぽいのがやや残念です。あれは多重変奏的な「父親殺しチャレンジ」の話なので、いろいろ面白く作品テーマと絡められたはず。また、先述した「共有体験から個の体験の並立へ」というコンテンツ受容文化の変質という観点でも、エヴァはかなりエポックな作品だったのでそこがスルーされているのは惜しい。エヴァを永遠の夏の象徴としてだけで消化しちゃうのは、正直かなりもったいないと思う。

杉江 私、エヴァのときってセーラームーンに夢中だったんで、リアルタイムではまったく関心なかったんですよね。ただおっしゃる通りで、文化的事象はうまく使えてないな、と思いました。思ったあとで、そうか宇都宮だからなのか、と栃木県民に叱られそうなことを思ってしまいました。急いで言葉を足すと、1995年だからまだそんなにネット文化も発達していなくて、地域の温度差は著しかったはずなんですよ。

マライ やっぱ、濃いファン層がいる時代象徴的なコンテンツは、使い方が難しいですよ。宇都宮感のピント外し+自虐的なノリは私も「一周まわって」良いと思いました。栃木県民もそんな真剣には怒らないんじゃないかな。というか、もしエヴァの代わりにセーラームーンが出てきたら、杉江さんが苦言を呈していましたよたぶん(笑)。

杉江 1995年を代表する事件であるオウム真理教もぼんやりした使い方なんですよね。テレビで何かが起きているけど、宇都宮にいるからよくわからない、ということが重要な地方小説なんだろうな、と思いながら読んでました。そういう地域性がインターネットの普及によって変わってくるだろうという予感と共に本作は終わるわけなんですけど。自分の性自認が曖昧で、ハッテン場にも関心があるけど普通のAVも見て興奮できてしまうという「あいまいな地方の私」が距離の近すぎる父親の庇護下にいて、やがてそこから出てくるだろうという小説ですよね。この小説については、私小説的要素が入ってくると思うので、マライさんのおっしゃる文化的事象の扱い方についても選考委員がどう評価するのか見えにくい部分があります。エヴァについて苦言を呈する人はいるかな。

マライ 高校生という主人公の年齢を考えると彼の中では整合性が取れているんでしょうけど、小説の表現として読むとなんかコレジャナイ感が際立ってしまうんですよね。あと性的な描写は、作者が狙っているほどにはグッと来ない予感があります。

杉江 性の問題については前の『デッドライン』(新潮社)とかのほうがはっきり書かれていていてよかったと思っています。高校時代の未分化な意識を書いているゆえの曖昧さなのかも。あと、いつまでも頼んだアンプを直してくれない野村、という問題がありまして。彼の絡んだ小説の終わり方がよくわからなかったんですよね。時間進行が変な風に処理されているのかな、とも思ったんですけどどうもそうではないらしい。なんでこういう幕引きなのかな、と不思議に感じました。

マライ なんか「スタイリッシュでファンタジックに決めたぜ!」的じゃないですか。観客的にはピンと来ない。

杉江 とりあえずマライさんの共有体験から個の確立というフレーズはとてもしっくりきたので、これからはそれを頼りに生きていこうかと思います。

マライ お役に立ててよかったです!(笑)

マライ「エヴァはかなりエポックな作品だったのでそこがスルーされているのは惜しい」

乗代雄介「それは誠」『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を想起

それは誠
『それは誠』
乗代 雄介 / 文藝春秋 / 1,870円(税込)
あらすじ
高校生の〈僕〉は、修学旅行の自由行動で東京の日野に行きたいと考える。そこに生き別れのおじが住んでいるはずなのだ。その申し出に対して、他の班員からは意外なことが提案された。果たしておじには会えるのか。
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マライ 傍観者でいたい&悪目立ちしたくない的なイマドキ的生活感覚の奥底に何が潜んでいるか、を焙り出した点が興味深い作品です。嫌なやつキャラの印象変化の雰囲気に好感が持てました。特に前半、物語に関係するディテールを増殖的に書き連ねる技法は、若者に見える世界を読者に紹介するのに効果的かもですね。途中で高校教師と展開する、溺れる人を助けるか、それとも一緒に溺れるかという談義はお坊さんの有難いお話みたいで面白かったです(笑)。これ、杉江さんは一押しなんですよね?

杉江 そう、舞台は日野市で、多摩ニュータウン出身の私からするとまさに地元でした。たしかにあのへん新選組推しなんですよ。

マライ 地元愛かいっ!

杉江 いやまあ、それだけじゃないんだけど(笑)。これ、叙述の技法にぐっと来たんですよね。主人公は自分が体験した修学旅行の顛末を書きたいのだけど、なかなか書けずに最初だらだらしている。書きにくいキーボードのせいにしたり、都合悪くなると改行したりしながら、なんとか自分がフェアであるという印象を与えようとしながら書いている。じゃあ、誰に対してフェアになろうとしているの、そんなに書きにくそうなのはなぜなの、でも事実に忠実になろうとしているのはどうしてなの、と彼の書きぶりにまず引き込まれてしまう。そこに冒頭からもうやられてしまってめろめろでした。読むのが楽しい。本当に言いたいことはいちばん書きにくいんだよ、って小説だと思うんですよね。心の中をなるべく正直に、言葉を偽らずに書こうとしている人の心情を、直接ではなく、文章のありようで表現するというのが素晴らしいです。これ、さらっと書いちゃえばライトノベル青春小説みたいにもできる話だと思うんです。でも、心情の汁気がなるべく少なくなるようにして書いている。そういう技法が素晴らしいですねえ。

マライ おお! 私は逆に「マウント取り傾向のある言い訳がましいやつだな」的な印象を主人公から受けてしまって、だからいかんかったのか(笑)。読み手によって磨かれる作品、と考えるとなかなか滋味ぶかいです。

杉江 前に候補になった『旅する練習』も、なんで姪と一緒に徒歩旅行をしているのか、それについて記録しているのかを明かさずに書いていって、最後に納得できる理由を書いたわけです。私はその種明かしを読んで、情に訴えちゃって、としらけちゃったんですね。もしかするとその読み方はフェアではなかったかもしれない。真情を伏せながら叙述していって最後に理由を明かすというミステリー的な技法を効果的に使った点を自分は評価しないといけなかったのかも、という反省があります。それもあって私は一押し。

マライ 個人的には正直、杉江さんの読み方も加わって作品に関する印象が改まりました。なのでノーヒントで単体勝負した場合、私みたく魅力的な読みが出来ずに終わってしまうリスクがあるんじゃないかと思います。

杉江 主題としては『ハンチバック』や『##NAME##』のほうが時代と切り結んでいる感じがあるでしょうけど、文体の技法では他にないものがあるので、私はこっちを推さざるをえないんですよね。たとえばこれ、書評とか推薦文とかで「泣ける」って書いたらプロ失格だと思うんです。

マライ 「なぜ」泣けるか、で勝負すべきでしょう!

杉江 そうなんですよ。泣けるのは結果で、作者の技法について言及してないですから。そういうところなんです。あと、さっきマライさんがおっしゃった「助けるか溺れるか」のところで私が思い出したのはJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)だったんですよね。

マライ あー、そうか。

杉江 「つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」(村上春樹訳)というやつですね。それが掛かっていて、もしかすると乗代さんなりの『ライ麦畑』挑戦だったんじゃないかという気がするんです。そうすると主人公のちょっとすねた感じがウィリアム・ホールデンに重なって見える。

マライ 読み方で価値が変動する逸品ということですねえ。そうなるとやはり、社会情勢的にキャッチーな話題とあまり噛み合っていない点がどうなのか、というところですね。

杉江 そういう現代性があるのは『ハンチバック』と『##NAME##』ですが、その両方が勝負して『ハンチバック』が残り、じゃあ乗代君も入れて二作でいいじゃん、という話になるかと。『旅する練習』だってけっこう本命視されてましたし、あれを落としてすまなんだと思っている選考委員もいると思うんですよ。私もすまなんだと思ってます!

マライ なんという作戦級の解釈!(笑)

私もすまなんだと思ってます!

芥川賞候補作総括●お前の脳にはいったい何が見えているのか

杉江 ということで五作の検討でした。マライさん、今回の候補作を振り返ってどう感じますか。

マライ はい、ここしばらく続いてきた、「東日本大震災に、パンデミックに、平等性の問題にどう向き合うか?」という社会≒文芸的な呪縛が、「ハンチバック」によって思わぬ形で断ち切られたというかリセットされた感があって、とても興味深いです。主流文芸でもこれからは、「目をそらすわけにはいかない社会的テーマにどう寄り添うか」よりも、「お前の脳にはいったい何が見えているのか」という、知覚と認識の本質がよりシビアに問われていくような気がします。「ハンチバック」のコンセプト的な衝撃は、地味ながらかなり大きい気がします。

杉江 わかります。小説が現代を映す鏡であり、優れた作品は現実を少し先んじるという一面があるので、「ハンチバック」「##NAME##」の秀逸さは否定しがたい。一方で芥川賞はいかに小説表現を行うかの場でもあるのでできれば「それは誠」が評価される賞でもあってもらいたい、というのが私の率直な希望ですね。

直木賞予想対談も!

今回から「WEB本の雑誌」にお世話になって、芥川・直木賞予想対談をすることになりました。どうぞよろしく。〈職業はドイツ人〉マライ・メントラインと〈書評から浪曲まで〉杉江松恋のチームM&Mが7月19日に選考会が行われる第169回芥川・直木賞を語り倒しますよ。波乱が予想されるのは直木賞ですが、さていかに。

M&Mは、マライ・メントラインと杉江松恋の文芸ユニット、以後よろしく!