第169回芥川賞選評を読んで徹底対談。杉江「俗情と結託した読みと芥川賞の間には線を引くべきだという態度が見える」マライ「『ハンチバック』衝撃の波及についてもっと読みたかった」

マライ・メントライン&杉江松恋のチームM&Mによる第169回芥川・直木賞事前予想対談はおかげさまで好評をいただきました。『文藝春秋』9月号に芥川賞選評が掲載されたのを受け(小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・平野啓一郎・堀江敏幸・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一)、選評から日本文学界を展望する振り返り対談をお届けします。
なお、この対談は8月25日、芥川・直木賞贈呈式の裏でひっそりと行われました。直木賞選評編はコチラ

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■第169回芥川龍之介賞候補作
石田夏穂「我が手の太陽」(「群像」2023年5月号 )2回目
市川沙央「ハンチバック」(「文學界」2023年5月号 )初→受賞
児玉雨子「##NAME##」(「文藝」2023年夏季号)初
千葉雅也「エレクトリック」(「新潮」2023年2月号 )3回目
乗代雄介「それは誠」(「文學界」2023年6月号)4回目

目次
▼受賞作「ハンチバック」(市川沙央)は露悪的?
▼『我が手の太陽』(石田夏穂)興味深い異口同音ぶり
▼『それは誠』(乗代雄介)に見えた選考委員の強い意志
▼『##NAME##』(児玉雨子)に好感はもたれてそう
▼最も言及が少ない『エレクトリック』(千葉雅也)
▼芥川賞選評総括●パンドラの匣を開けた『ハンチバック』受賞

受賞作「ハンチバック」(市川沙央)は露悪的?

杉江松恋(以下、杉江) ほぼ満場一致に近い形で受賞したのはこの『ハンチバック』でした。作者の市川さんが主人公と同じ筋疾患性先天性ミオパチーによる症候性側彎症および人工呼吸器使用・電動車椅子当事者ということで、障害者による障害者小説という点が注目された作品です。あるテーマについて、書き手がそれにふさわしい資格者であるかという当事者性が最近は問題視されることが多く、東日本大震災の記憶を非被災者が小説化した作品が批判されたこともありました。今回、市川さんの当事者性については全選考委員が巧みに回避している印象です。当事者であることによって評価したのではなく、小説の技術・言葉の力に授賞したのだということですね。その中で、語り手の露悪的な態度に若干の疑義を示している松浦評と、語り手がストレートに突きつける問題提起を受け止めきれるかと書いた平野評は対照的だと感じました。この作品は結末の評価が分かれるところで、いわゆる開かれた物語となって終わります。この点についてはおおむね好意的でした。市川さんが単なる社会の告発者ではなく小説の表現者であることを選んだことへの安堵感があるのかな、と。

マライ・メントライン(以下、マライ) 「当事者であることによって評価したのではなく、小説の技術・言葉の力に授賞した」というのはまったく同印象なんですが、「単なる社会の告発者ではなく小説の表現者であることを選んだ作者への安堵」という点には、別の可能性もあると思います。ありていにいえば、「社会の告発者よりも小説の表現者という路線に収まってほしい」という選考委員たちの願望が既成事実化されたというか。みんな、これからの市川沙央氏がどんな形で何を挑発してくるかを気にしていると思うんです。市川さんは頭がいいだけでなく、すごいネット民的な表現者で、それ系のメンタリティと言霊ベクトルで120%武装しているんです。そしてネット民というのはえてして旧来の文壇的な表現者の「敵」なんですよ。だからあの選考委員の褒めっぷりというのは、大和朝廷にとっての出雲大社というか、荒ぶる大物怨霊を鎮めるための何かっぽい印象がなくもない(笑)。「露悪的」という評は、そのへんの危惧の地味な表れなのかもしれない。

ハンチバック
『ハンチバック』
市川 沙央 / 文藝春秋 / 1,430円(税込)
あらすじ
先天性ミオパチーのため30年間自身の足で歩くこともせずに暮らす〈私〉こと井沢釈華は、ネットや電子媒体に文章を発表し続けている。自身の体は出産には耐えられないが妊娠と中絶を体験したいと考え、ある行動に出る。
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杉江 御霊信仰ですか(笑)。市川さんが保守派論客として書いた文章がネットに掲載されていましたけど、まさにそういう路線に対する予防線ということですよね。

マライ そうそう、ここはデリケートだけど今後に向けて重要なポイントだと思います。

杉江 私がマライさんと意見が少し違うのは、ネット民的な決まり文句を市川さんが使うことで、そういう消費のされ方をする書き手になるのはよくないよ、という小説家の先輩としての意見でもあると思うんですよね。論客であるよりもまず小説家であってもらいたいというのが、あのラストシーンの好意的な評価に現れていると思います。

マライ あー、なるほど。それは納得。そして、それを踏まえて敢えて反発して「界隈」、つまりネット拡散を主武器とする言論的閥族が形成されそうでもあり。そういう先輩言論人の配慮に対し、「小説家」を「無害枠」みたいなものとして押し込めるな! という反発が湧いて出てくるのが見えるようです。どういう力が最終的にイニシアチブを握るかでしょうね。

杉江 なるほど、その陣取り合戦はありそうですね。できれば小説家は、そこに巻き込まれずに小説を書く人であってもらいたいと私は思います。もう一つ、当事者性の問題が棚上げされた件もあります。他人の体験談を自作にとりこんだ作品が、言葉は悪いですけどパクリとして批判されることが過去何度かありました。書き手は当事者なのか、それとも取材した「だけ」なのか、という問題がかなり意識されるようになり、当事者以外は口を出すな的な雰囲気が形成されたと思うんですよね。

マライ 書き手の「資格」の問題ですね。今回、『ハンチバック』に対して選考委員はそこに直接踏み込むことをしなかった。

杉江 そうそう。この作品で当事者こそ書き手にふさわしいという論調にしちゃうと、既成事実化がかなり進んだはずなんです。意図的なのか無意識か、それを回避したい気持ちが見えるよなあ、というのは今回の選評を読んだ印象です。当事者性を書き手と評価する人たちがどう考えているのかということは、継続して観察していくべきでしょうね。

マライ 結局、その場に出現した傑作に当てはめてそれらしい文脈を構築していくしかないのかもしれません。

『我が手の太陽』(石田夏穂)興味深い異口同音ぶり

我が手の太陽
『我が手の太陽』
石田 夏穂 / 講談社 / 1,650円(税込)
あらすじ
雇用形態が流動化し、特に現場仕事の人手不足が常態化している現代日本で、職人気質を保持する男を主人公とする小説。ベテラン溶接工として働く伊東は現場で問題を起こし焦りを感じていた。その彼が取った行動とは。
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杉江 この作品については、松浦評のみが触れていません。溶接という作業を克明に描いた職人を主人公とする小説なのですが「リアリズムに徹した結果文章の強度を得た」という奥泉評が端的で最もわかりやすいと感じました。一方で、この小説には主人公の分身と思しき謎の検査員が出てくるんですが、それについての言及はありませんでした。文章については支持者がいるが、構造についてはそれほど評価されていないという印象です。

マライ 技巧を磨いて高度化して、業界文脈的に「尖った」といえるかもだけど『我が友、スミス』(集英社/166回候補作)のほうが根本的に面白かったんだよなぁ、という選考側の裏感想が透けて見えませんか、これ(笑)。でも平野啓一郎氏の「この作品のいいとこはコレだ!」という力説には圧倒されました。作品本体より熱量が凄かったかもしれない(笑)。

杉江 褒めている人はだいたい、溶接ばっちり書いているから文章としてこれはいいんだ、という意見なんですよね。

マライ そうそう!  興味深い異口同音ぶり。あれを作者はどう感じたのか。

杉江 すごく芥川賞っぽいですよね。溶接すごい、って本の帯には絶対使わないもの。つまり売れるか売れないか、世間的に波及するかどうかの判断とはまったく別のところで芥川賞は評価するよ、ということですよ、これは。

マライ それって、実際に世間で喝采されて評判になる芥川賞作品とは何か違うのではないですか? ある方向性に特化して修行で鍛えるより、天然の自分の良さをフルに発揮して「結果的に」受賞するほうがいいんじゃないかなという気が私はするんですよ。

杉江 それはそうですね。綿矢りさ『蹴りたい背中』以降の売れる芥川賞路線とはちょっと違うところに「も」賞の基準はあるんだ、と言いたいんじゃないのかなあ。たぶんそれは商業主義的なものに乗っかると流されちゃうぜ、という本能的な回避活動のような気がするのです。

『それは誠』(乗代雄介)に見えた選考委員の強い意志

それは誠
『それは誠』
乗代 雄介 / 文藝春秋 / 1,870円(税込)
あらすじ
高校生の〈僕〉は、修学旅行の自由行動で東京の日野に行きたいと考える。そこに生き別れのおじが住んでいるはずなのだ。その申し出に対して、他の班員からは意外なことが提案された。果たしておじには会えるのか。
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杉江 北海道在住の高校生が修学旅行で生き別れの肉親と会うために逸脱行為をする。それを許すクラスメイトたちとの関係を描いた青春小説です。私が最も共感したのは、一人称の語りを選択した戦術を高く評価している奥泉評・堀江評でした。終盤に、幼稚園児が葉っぱを投げ上げて遊ぶ美しい場面があるのですが、そこに言及した小川・川上評にも。ただ全般的には、ウェルメイドでおもしろいので芥川賞には適さない、ということが手を変え品を変え言われている印象があるんですよね(小川・吉田・島田評)。表現という意味では、松浦・堀江評が孤独という言葉の濫用について戒めています。ここにも、俗情と結託した読みと芥川賞の間には線を引くべきだという態度が見えると感じました。

マライ 様式美・構造美的な観点から小説を堪能する読者であるか否かの試金石みたいな作品だな、という印象を、選評を通じて強く受けました。推す人は「小説の作法というものをそれなりに知ってる人ならこれを好きで当然でしょ?」みたいな推し方になっていて、そこが興味深い。しかしその流儀はどこまで力を保つのか?

杉江 世間への波及という意味では、『スタンド・バイ・ミー』(スティーヴン・キング)的な物語、と言ったほうが強いと思うんです。でも、そういう売り方は芥川賞じゃないよ、と言いたいのではないかと思いました。だから褒めている選考委員も、幼稚園児の遊びとか、場面の描写のほうに行きますよね。文章は美しいと褒めても、物語のプロットには加点しない。そこが芥川賞というものなのかなあ、と今回思いました。

マライ 本歌取りというかオマージュは、その巧みさで「俗」かどうかが分かれるという面もあると思います。そのへんが選考委員の主観で分かれるのかも。

杉江 少なくとも『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー)へのオマージュと思われる部分は否定されてましたね。そして庄司薫的作品世界と本作を重ね合わせて否定する山田詠美の切っ先鋭さ。

マライ ああいうのを食らうとやはり作者としてはマットに沈んでテンカウントなのでしょうか?

杉江 どうなんだろう。私だったらと思うときついです(笑)。とにかく文章表現への批判はかなりテクニカルなところに入り込んでました。プロットではなくて文章表現を仕上げてこないとこの先には行かせない、という選考委員の強い意志を感じました。

マライ うーん、なんか筋トレみたいな道ですね。

杉江 文章が多少雑でもとれる直木賞とそこは違いますね。あ、これはちょっと悪口になっちゃったか。マライさんが筋トレとおっしゃったように、求道的な方向に行くのはある程度仕方ないんだと思うんですよ。だから『我が友、スミス』は正しかった(笑)。だって「純」文学だから。でも、そういう狭い方向に行くということと、マライさんが重視される文学の波及力というのをできれば両立させてもらいたいと私も思います。

マライ そこが「並の傑作」には難しいところなんですよ。やはり何か強烈な突破力を有する場合、あっさりクリアされたりするんでしょうね。

杉江 宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出文庫)はそうだったわけですからね。でも、天才の出現は点ですからねえ。線でつながっていくわけじゃないから。

マライ 計算できないっす。

『##NAME##』(児玉雨子)に好感はもたれてそう

##NAME##
『##NAME##』
児玉 雨子 / 河出書房新社 / 1,760円(税込)
あらすじ
ジュニアアイドルとして活動していた主人公は、成長してBL小説などを愛読する普通の大学生になった。そんな彼女がある事件が元で自分の過去を振り返ることを迫られる。思い出すのはかつての親友・みさちゃんのことだ。
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杉江 元ジュニアアイドルとして活動していた語り手が、成長して性的簒奪を受けていた過去を自覚していくという作品です。とにかく、さまざまな問題をうまくとりまとめたことへ対する評価が高いですね(松浦・小川評)。一方で紋切り型の表現を使うことなどの文章の甘さも指摘されていました(平野・吉田・堀江評)。非常に芥川賞らしい。これも結構テクニカルなところで用語を直されていました。

マライ 選評を読んで作品の本質に関する理解が深まった気がします。イマドキ的な芥川賞文脈の中ではそんな新鮮味も無い材料で出来た作品といえなくもない。粗さもあるけれど、それを踏まえてなお捨てがたい「良さ」がある! という総合評価がハッキリしました。今後、何か社会的・時代的なテーマについて、最終的にいいものを書く人なのかもしれないな、と思いましたね。

杉江 前著の『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)はかなり文体が違うんですよね。どっちかといえば、ネット民的な粘着的な感じを意識して使っています。あれはわざとやっていたと思うんです。文体の力で問題を炙り出していこうとしていた。今回は、主人公に寄り添うためにあえてそういう異形の部分を捨てたのかもしれないです。そしたら、優等生的な言葉遣いだけどここは変、とか言われちゃった。

マライ なるほど。でも、この作者は教え魔に潰される感じがしないので、なんとかなりそうに思います。

杉江 マライさんはもともとこの作品が『ハンチバック』に次ぐ評価だったわけですよね。選評を見て、ご自身の意見が変った面はありましたか?

マライ 無いですね。表現の細部については、まあ、そういう指摘もありでしょうとしか。その上で純然たる傑作で、支持する人も確実にいると思います。

杉江 読者に届くという意味では、これが実は『ハンチバック』よりも広いと思うんです。視点人物の設定も含めて共感する読者は多いだろうし。

マライ ですよね。なんか、「誠実さの本筋を見失っていない」信頼感があるのです。だから、評者はいろいろ指摘していても、好感は持っていると思いますね。

杉江 やろうとしていることはわかるが、まだ技術が追い付いてないぞ、という感じなのかな。全国一千万のハロプロファンのためにも応援していきましょう。

マライ ああ、なんという組織票(違)。

最も言及が少ない『エレクトリック』(千葉雅也)

エレクトリック
『エレクトリック』
千葉 雅也 / 新潮社 / 1,650円(税込)
あらすじ
インターネット普及の兆しが見えた1995年、志賀達也は高校生として宇都宮にいた。東京は遠く、「新世紀エヴァンゲリオン」で描かれたネオ東京のように実感がない。だが世界が一変する節目はすぐそこまで近づいていた。
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杉江 千葉さんが半自伝小説のような形で書き続けている連作で、今回は主人公が宇都宮で送っている高校生活が描かれています。選評では最も言及が少なかったですね。松浦評では言及されていません。全体的に構成の詰めが甘い(平野・吉田・山田・川上・堀江評)が多く、私小説から離れるべきではないかという意見もありました(奥泉・吉田評)もありました。

マライ いやー、選評を総合すると「材料は最近の芥川賞っぽさに満ちてるんだけど、【ぽさ】だけでは、むしろ個々の勝負で不利なのよね」みたいな集合的認識がみごとに窺えてしまって、これはつらかったです。

杉江 勝負できる題材がなかったということもあるでしょうね。ただ、このあいだ宇都宮に行ってきたんですけど、『エレクトリック』は本当に栃木をよく書けていますよ。そこがいちばんいいところです。

マライ それは、英国コメディ的な褒め方だ……。

杉江 モンティ・パイソンじゃないです(笑)。前回の対談で、二人ともこの作品の評価すべきポイントがよくわからなくて悩んだじゃないですか。選考委員も同じだったんだ、とちょっと嬉しかったです。

マライ 最後に選考委員との連帯が(笑)。

芥川賞選評総括●パンドラの匣を開けた『ハンチバック』受賞

杉江 選評全体を見渡してどうお感じになりましたか。

マライ 恐竜を絶滅させた隕石なみの威力を誇る『ハンチバック』受賞は、パンドラの匣を開けたよう事象だと思うのですが、今後そのインパクトが文芸界と社会にどう波及するのか、選考委員の言葉でそのへんもうちょっと穿った本音を聞いてみたかった気もします。既存文壇に対する真性ネット民的な感性からの挑戦というのは、どちらかといえば直木賞で展開しながらずっと膠着していたわけですが、今回それがなんと芥川賞で「縦深突破」してしまった感がある。そのあたりをどう認識しているのか等、気になります。

杉江 当事者性、文章・文体の注視など、さまざまな点が今回の芥川賞選評からは見えてきたように思います。その中でやはり感じるのは、俗情との結託を避けるといいますか、現代性にはもちろん十分注意していきつつも、純文学としての芥川賞は一線を引き、小説を書くという創作行為、作品本位主義こそが重要なのだという強い主張が見えてきたという点でした。ここは以降も気を付けていくべきことだと思います。

マライ できれば、評価観点自体の面白みが、固定客的な読者だけでなくもっと広く伝わるような情報演出があるといいですね。言霊競技的な面も強いですから。

第169回直木賞選評を読んで徹底対談はコチラ