第169回直木賞選評を読んで徹底対談。杉江「京極夏彦さんが選考委員に入ったことは非常にプラス」マライ「魂に食い込むか?アドレナリンが沸き立つか?は重要じゃないのか」

マライ・メントライン&杉江松恋のチームM&Mによる第169回芥川・直木賞事前予想対談はおかげさまで好評をいただきました。『オール讀物』9・10月合併号に直木賞選評が掲載されたのを受け(選考委員・浅田次郎・伊集院静・角田光代・京極夏彦・桐野夏生・髙村薫・林真理子・三浦しをん・宮部みゆき)、選評から日本文学界を展望する振り返り対談をお届けします。
なお、この対談は8月25日、芥川・直木賞贈呈式の裏でひっそりと行われました。芥川賞選評編はコチラ

オール讀物2023年9・10月合併号(第169回直木賞決定&発表!)
『オール讀物2023年9・10月合併号(第169回直木賞決定&発表!)』
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冲方丁『骨灰』(KADOKAWA)3回目
垣根涼介『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)3回目→受賞
高野和明『踏切の幽霊』(文藝春秋)2回目
月村了衛『香港警察東京分室』(小学館)初
永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』(新潮社)2回目→受賞

目次
▼受賞作『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子)の「からくり小説としての端正さ」とは
▼受賞作『極楽征夷大将軍』(垣根涼介)高村薫評の「太平記読み」
▼『踏切の幽霊』(高野和明)はやっぱり小田急小説にすべき
▼『骨灰』(冲方丁)で考える最先端のホラー
▼『香港警察東京分室』(月村了衛)への違和感の表明
▼直木賞選評総括●芥川賞もまとめて勝手にプチMVP賞発表

受賞作『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子)の「からくり小説としての端正さ」とは

杉江松恋(以下、杉江) 江戸時代に芝居小屋が並んでいた木挽町を舞台に仇討ちにまつわる謎解きが関係者の談話を連ねる形で語られていく小説です。一部ではミステリーとしての趣向が話題になりましたが、その部分の出来についてはそれほど言及されず、角田評などを見ると、芝居という物語で現実を塗り替えるという演劇性の部分が評価されたように思います。いっぽうで桐野・高村評のように、構成を優先したゆえの作り物感に対する疑義を表明した委員もいます。個人的には自分語りの技法に注目した京極評や、真相を積み上げていくプロセスに言及した宮部評に好印象を持ちましたね。

マライ・メントライン(以下、マライ)「からくり小説としての端正さ」が異口同音に絶賛されているのが印象的でした。「作り物っぽい」という苦言すら、解釈によってはプラスに転じられてしまう(笑)。また、その端正さには「人間性」の美という要素がかなり深く入り込んでいて、このあたりが高く評価されたというか選考委員に好感を持たれた印象がありますね。選評を裏読みすると「スペック以上に読み手を萌えさせる多面的・多角的なサムシングがあるんですよ!」と言いたい感じがします。そのへんは永井紗耶子氏にとって今後の大きな強みになっていくのだろうな、と感じました。

木挽町のあだ討ち
『木挽町のあだ討ち』
永井 紗耶子 / 新潮社 / 1,870円(税込)
あらすじ
芝居小屋のある木挽町で起きた仇討ち。若侍・菊之助はいかにして父の仇を取ったのか。事件から2年後、謎の侍によって行われる聞き取り調査が意外な真実を浮かび上がらせる。芝居小屋周辺で生きる人々の見たものは。
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杉江 ものすごく極端な言い方をしちゃうと、物語の力ってやつですかね。物語でどうにもならない現実を塗り替えるというあたりが、他のことを全部すっとばしても評価できる、という感想の大合唱という気がしました。そこに私は危うさを感じちゃうんです。なんでもかんでも物語で肯定すりゃいいってもんじゃなくて、河﨑秋子『絞め殺しの樹』(小学館/167回候補作)みたいな、物語でもどうしようもない現実だって小説では扱うだろう、とも思います。

マライ これを現実逃避と批判することは論理的には可能なのだけど、それを超えるサムシングがある、というのが選考委員の結論なんでしょうね。杉江さんの言いたいこともわかります。選考委員のあの褒め方が続くと、何か自己啓発ライクな領域に踏み込む感が出てきて微妙にマズいんじゃないか的な。

杉江 だから作り物っぽさを指摘した高村薫や、聞き手の人物に一章を割かないのは作者の都合だろう、みたいに言う桐野夏生の評でちょっと安心したんです。このお二人らしい厳しい指摘でした。あ、そうそう。自己啓発ライクって言い得て妙ですね。物語サイコーですか、サイコーです、みたいになるの、私は嫌なんですよ。物語に何ができるか、できないか、の線引きに鈍感になるのは怖いことだと思っています。ただこの小説の場合、中心にあるのが芝居という物語なので、中心が虚ろになるのは仕方ない。だって虚構に価値を見いだす人たちの話なんだもの、ということで弁護は可能なんですよ。だからこそ物語至上主義の危うさみたいなものからは逃れられている。芥川賞の『ハンチバック』とは別の意味で小説の根本に関する議論を回避できてほっとした選考委員もいたと思います。今回の選評で、小説の構造についての言及がある選考委員は、私は信頼できると思いました。いい話だ、パチパチ、じゃなくて、どうやっていい話に作者は持って行っているのか、という技巧に着目しているというわけですからね。

マライ まあでも、選考委員の意図がどうあれ、永井紗耶子さんはほんとうに凄い文章表現者だと思いますよ。

杉江 はい。まだお若いので、今後が楽しみですね。

受賞作『極楽征夷大将軍』(垣根涼介)高村薫評の「太平記読み」

極楽征夷大将軍
『極楽征夷大将軍』
垣根 涼介 / 文藝春秋 / 2,200円(税込)
あらすじ
武家の棟梁と煽がれた男は、中身が空っぽだった。歴史上稀に見る英雄・足利尊氏を実弟・直義と腹心・高師直の視点から描く。何も考えていない男は、なぜ室町幕府を開くことができたのか。その生涯を描いた歴史巨編。
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杉江 室町幕府の始祖である足利尊氏の一代記を、弟・直義と腹心の高師直の視点から描いた作品です。歴史小説だが史実によりかかりすぎているという浅田評と、これはいわゆる「太平記読み」であるという高村評が対照的で私はおもしろかったですね。直義・師直という視点人物に着目した京極評も基本的には高村評と同じことを言っています。歴史其の儘で小説はいいのか、という問題提起が選評には含まれていました。

マライ うーん、やはりどうしても「歴史知ってるぞ自分」的な観点からの評に収束してしまうんですよね。できればそうでない文脈からの「読み解きの可能性」にもっと踏み込んだ評に接したかった。そういう観点をガッツリ意識しているっぽいのは、強いて言えば宮部みゆき氏でしょうか。さすがです。

杉江 私は「太平記読み」について言及している高村薫さんが、いちばん本質的なことを言っていると思うんです。少し長くなるんですけど、説明してもいいですか?

マライ どうぞどうぞ。

杉江 「太平記読み」って講談のことなんですよ。講談の元は「太平記」でした。戦国時代の始まりは室町幕府の瓦解でしたから、当時の武将は前の時代の起点である南北朝の戦争に対する関心が高かったわけです。つまり現代人における第二次世界大戦のような意味合いで、「太平記」の世界を理解することの需要があったんですね。当時の太平記読み、後の講談師たちはそれをやって、自分たちの理屈で従来の史実を解釈し、娯楽的な語り物として人に聞かせていたんです。大雑把に言えば、現代の歴史小説はそこが原点です。高村さんは垣根さんが書いた歴史の虚実はあまり問題じゃなくて、古の太平記読みに近いことを彼がしたことは評価できるんだ、という言い方をしてるんだと思うんですよ。このフレーズを選評で使った見識の高さには素直に感心しました。

マライ ああ、なるほど、そういうことですか。

杉江 あと京極さんも、直義と師直の視点から太平記を読みかえる、という風に言っているので、同じことを指していると思われます。

マライ それは、そのへんに感度の高い教養人じゃなきゃわからんですよ……。

杉江 つまり、史実に近いかどうかというミクロなことよりも、どういう観点で歴史を読むかというダイナミックな視点が大事なのよ、っていうことですよね。垣根さんは以前から、歴史に新解釈を入れた「だけ」みたいな言い方をされることが多かったんで、これはけっこう強力な再評価だったと思いました。

マライ でも今は、歴史についてそういう解釈を入れると、思想がらみで面倒なことになる可能性500%だったりするのでは。観念として明確化させるのが良いことなのか否か、考えさせられますね。

杉江 そうですね。近代史以降は歴史修正行為になってしまう可能性があるので慎重になるべきだと思います。中世だから可能だった、ということでしょうね。

マライ まったくです。私の場合は第三帝国に関する歴史認識がメインフィールドなので、ついいろいろと周辺が気になってしまいます。

杉江 第三帝国の問題も実は神聖ローマ帝国まで遡るわけですから、厳密に言えば中世だから何をしてもいい、というわけにはいかないですよね。だから今言った太平記なら新解釈が可能、というのは思考実験のための限定がちょっと入っています。あそこから天皇制の問題に踏み込んでいかなかったのは垣根さんの節度ですね。後醍醐天皇が南北朝の対立を煽ったことは実は近代まで尾を引く問題だから、天皇家の正統性云々に行くとえらいことが待っています。日本近代小説はいろいろな問題提起の上に成り立っていますが、森鷗外の「歴史其儘と歴史離れ」もその一つ。選評を読んでそのことを思い出しました。

マライ ちなみに神聖ローマ帝国が「なりきれない古代ローマ帝国のおっかけ」だったのは、いろんな意味で非常に興味深いと思います。歴史議論がセンシティヴでない領域でやるべき「大人の趣味」という感じなんでしょうね。

杉江 まあ、これ以上は「WEB本の雑誌」の領分をはみ出るので慎みますが、マライさんのおっしゃった「歴史詳しいぞ自分」問題は、実はいろいろなジャンルで、「わしのほうが詳しいからなめんな」と選考委員が若手を恫喝してきた歴史とも重なるんですよね。戦争行ってないのに太平洋戦争書くな、とか。知識が詳しくても小説としての評価とは別ものだから、選考委員もそっちばかりこだわるのはやめましょうよ、ということでもありますね。

マライ どの文化ジャンルでも同じですが、知識量と権威性が比例しやすい領域だと歯止めがききませんからね。

杉江 「知ってりゃいいのか」問題と名付けましょう。今後も要観察です。

『踏切の幽霊』(高野和明)はやっぱり小田急小説にすべき

踏切の幽霊
『踏切の幽霊』
高野 和明 / 文藝春秋 / 1,870円(税込)
あらすじ
小田急線下北沢の踏切に現れる影は1年前に殺された女性の霊なのか。元社会部記者の松田は取材の命を受け、故人について調べ始める。殺人事件の被害者であるにもかかわらず、その女性はいまだ身元不明のままだった。
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杉江 小田急線下北沢駅近くにあった踏切周辺で起きた怪現象を巡る物語です。舞台設定が1994年であることへの疑義が角田評、時代錯誤ではないかという批判が高村評で書かれていて、好評価な三浦・浅田評と対立していたのがおもしろかったです。宮部評では後の『骨灰』と合わせて、現代の倫理観と物語内で描かれる物語が齟齬をきたすのが現代ホラーの宿命ともいえる問題ではと書いている。もう一つ、これはジャーナリストによるゴーストストーリーだがホラーではないという京極評が非常に適切だと思いました。

マライ いやー、これ実は、「昭和・平成初期っぽい空気感よふたたび!」的なニーズに応えている部分があるんですよ、と改めて実感しました。市場の趨勢はどうなんでしょうね。「やっぱスマホやSNSが出てこない時代の話っていいな」という需要層を掘り起こしたら意外と巨大だった! 的な現実があれば、本作の方向性も侮れないのですが。

杉江 なるほど、これは平成レトロの賛美小説だったのか。

マライ そうなんですよ。小説内に出てくる政治家の醜悪さが、令和のそれではないんですよね。「当時をリアルに再現」ともちょっと違って、「過去のステレオタイプの再現」なので、そのへんもレトロ需要には合っているでしょうね。あと、やっぱり冒頭のロマンスカー運転席情景は共通して評価が高い。権威筋もわれわれと完全一致!

杉江 図らずもわれわれの小田急小説にすべきだったという意見が肯定されましたね。

マライ また野望に一歩近づきました(笑)

『骨灰』(冲方丁)で考える最先端のホラー

骨灰
『骨灰』
冲方 丁 / KADOKAWA / 1,980円(税込)
あらすじ
渋谷駅前の地下工事現場で松永光弘が見たものは、巨大な祭壇と鎖につながれた中年男だった。その男、原義一を逃がしてしまってから松永の身辺には怪事が続く。果たして原を見つけだして家族を守ることはできるのか。
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杉江 再開発中の渋谷地下で異変に遭遇した主人公が悪夢のような状況に迷い込むという話です。都市伝説というガジェットと語り手のサイコホラー的恐怖が釣り合っていないという京極評が実に的確でした。構成のちぐはぐさ(浅田・角田評)についての言及も多く、主人公の行為に対して責任を問う声が多かったのですが、前述の宮部評で危惧されているのはそうした倫理性の問題だと思います。総じて言えるのは、予想対談時にマライさんがおっしゃっていた『帝都物語』的ガジェットが「出しただけ」という評価になっているということでしょうね。

マライ 京極夏彦氏の評があまりに「かいしんのいちげき」すぎるので、それ以上何を言っても蛇足な気がしなくもない。

杉江 予想対談では、マライさんがホラーとしての風呂敷の拡げ方に対する不満をおっしゃっておられましたが、そこについてもやはり言及がありましたね。

マライ ええ、いまどきの実話怪談コンテンツをちょっとでもガチで見た人なら、そう感じるのではないかと思います。

杉江 読んでいない人のために書くと、予想対談のときにマライさんが、現代のホラー、特に実話怪談系はメタ次元の認知も含めてさまざまなものを取り込み、どんどん技巧を高めている、という指摘をされたんですね。それを考えると、今回の平成レトロ・ゴーストストーリーの『踏切の幽霊』と『骨灰』は、実はホラーではなかったのではないかという気がします。選評では宮部さんが「お仕事怪談」という表現をされていましたが、実はあれが本質を衝いていて「男が仕事の問題で面倒臭いことに巻き込まれてしまい、それを乗り越えていく話」という小説だったのだと思うんです。だから、ホラーとしても完成度はあまり高くなくても仕方ないのかもしれないですね。

マライ で、選考委員の意見を見ると、やはり狭義のホラーについていろいろ語っていて、最先端のホラーとは噛み合わないわけです。一発の威力はあって高度化されていても、別ジャンルを包含する器の大きさはまだ、ホラーは備えていないといえるかもしれません。

杉江 ホラーはまだ、直木賞には早かった、という結論になりますかね。

『香港警察東京分室』(月村了衛)への違和感の表明

香港警察東京分室
『香港警察東京分室』
月村 了衛 / 小学館 / 1,980円(税込)
あらすじ
日本と香港警察共同の分室が設けられることになった。最初の使命は殺人罪で追われる元大学教授の身柄確保だ。彼女は民主活動家であり、政治犯として香港側は狙っているのではないかという疑いを日本側は捨てきれない。
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杉江 政治的な理由から香港警察の分室が東京に置かれ、両国警察機関の共闘が行われるようになったという設定の小説です。ここだけどうしても個人の名前を出しちゃうんですけど、伊集院評の、香港らしさがない、というのはないものねだりなのでさすがに作者・作品に対して気の毒です。目立った意見は、アクションが視覚的で現代的だがそれは小説としての評価ポイントにならないという主旨のもので(林・桐野・高村評)、冒険小説と直木賞との相性悪さを改めて感じさせられましたた。他には国際情勢がきちんと反映されていないという意見もありました(角田・高村評)。シリーズものの第一作に見えるので不可、という意見は、これもお気の毒だと思うのですが、通俗読物的な作品は直木賞に入れないぞ、という意志を表しているようにも読めます。

マライ 選評全体を読んで感じるのが、「いま」の中国を、政治サスペンス文脈としてどう料理するのが適切か、どういう絵面を見せてほしいのか、のイメージが評者たちの中で形になってないっぽいな、という感触でした。「自分はその答えを知らぬ。だが月村了衛氏のこの作品は、とりあえず違うっぽい!」という感じの否定が連なる感じで、そこにいろいろと満たされない感が残る。

杉江 ああ、なるほどね。違和感の表明は事実関係の間違いを指摘しなくても可能ですし。

マライ 芥川賞でいえば『ハンチバック』への反応が構図としてこれに近いでしょう。障害者文芸というものは昔からありますが「どういうのが本当は良いのか」という確たる基準が実はなかった。そこに『ハンチバック』が出現したわけです。あれは、既存のジャンル概念やそれにまつわる議論の文脈そのものを凌駕する「自分が価値基準そのものだ!」という傑作だったでしょう。そういう期待を『香港警察東京分室』も担わされたと言えます。

杉江 予想対談で、この小説に出てくる中国の警察官僚が日本人の考えるそれだ、という意味のことをおっしゃっていました。そういうことですね。

マライ はい。安田峰俊氏みたいな「リアル中国」の「面白みを含めた凄まじい文脈のオモテウラ」を熟知している専門家をブレーンにして書いた方が、現実とタイマンを張れるオモシロなものができるだろうと思うんです。けど、本場の現物というのは観念的に飛び過ぎていて、うまく作品内で説明できない問題が別に発生しかねない。

杉江 うーん、それはノンフィクションに求められることで、フィクションの要件かどうかはちょっと疑問があります。ただ、国際社会の現実と比較して何か言われてしまうのは仕方ないことでしょうが。もう一つ、アクションが視覚的すぎて小説っぽくないという批判は考えさせられるものをはらんでいます。では大衆小説とは何かという問いかけになりますから。私は月村さんの活劇が動画的だとは思っていなくて、非常に小説としてこなれた文章だと思います。これで駄目だとしたら、直木賞は活劇では駄目だということなのかもしれません。

マライ それって、ぶっちゃけいえば「この領域で、日本の小説はマンガを凌駕していない」ということの遠回しな表現かもしれません。あの「視覚的」という批判は、「ゲームアニメ的」というのとけっこう同義だと思うのですよ。

杉江 それはありますね。直木賞について考えることは、この国で文章のエンタメをどう提供するの、という問いに拡大されていきます。最近の直木賞を巡っては、マライさんとずっとその点について議論になっていました。今回の月村作品はそうした問題をはらんでいますね。

マライ 佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA/165回受賞作)だって充分に「視覚的」だったと思いますしね。

杉江 重要な問題なので、選考委員にはさらに具体性を伴った技巧への批評眼を持ってもらいたいと思います。たとえば京極さんが今回の月村作品を肯定しているんですけど、一方で「技法としては小説的展開は単層化して、キャラクターの掘り下げもできなくなる」と問題点もちゃんと書いている。そういう風に言語化された批判なら耳を傾ける価値があると思うんです。批判をするときは丁寧に書くべきなんです。京極さんみたいに。

マライ 知的誠意というものですね。

杉江 視覚的という乱暴な括りで言うから何も情報がなくて、単に拒絶したように見える。これからは「直木賞的に駄目」と言う場合、何がどう駄目なのかという説明が従来以上に必要になってくると思います。その意味では京極さんが選考委員に入ったことは非常にプラスになったと思いました。あの人は言語化して伝える術を持っているから。

マライ まったく同感です。

杉江 では、京極さん偉い、ということで直木賞編も終わりにしましょうか。

直木賞選評総括●芥川賞もまとめて勝手にプチMVP賞発表

マライ エンタメ文芸の場合、一般市場では(文芸業界とは違い)わりと遠慮なく他メディア作品との比較に晒されやすいと思うのです。前にも述べたような気はしますが、たとえば私の場合、ノワール系の国際アクションエンタメ作品はぶっちゃけ『BLACK LAGOON』(広江礼威)を基準に、理屈抜きに「面白いか?」「魂に食い込むか?」「アドレナリンが沸き立つか?」という観点で根本を見ている気がします。選考委員の皆様はどうなんでしょう?  文芸賞の精髄を選び抜く立場上、あまり「理屈抜き」要素を優先させて判断を下すわけにもいかないでしょうけど、なんとなく、特に歴史モノ・時代モノについては映画やドラマの知識や滋味も踏まえた上で、強力な評価を下しているように見えなくもないのが興味深いです。

杉江 直木賞は創設時から賞の定義があやふやでした。マライさんがおっしゃるような他メディアとの横の比較はもちろん大事なことだと思うのです。市場を確立するためには、それがどういう商品なのかを周知する必要がありますから。ただ、私は逆に今こそ他との比較ではなく原点に立ち返って、そもそも直木賞とはどういう賞なのか、大衆小説が対象ではないのか、だとすればどのような評価基準が成り立ちうるのかを明言していただきたいと思いますね。

マライ 個人的には芥川賞直木賞の総合総括、というか勝手にプチMVP賞があって、印象的だった評者キャラが二人いました。芥川賞では平野啓一郎氏。評者の多くは「自分はこの物語をどのように再定義可能か?」という自問の中で言葉を導出していると思うんですけど、平野氏は、予防線を一切張らずに「オレ的にこれはこうだ!」と再定義の剛拳を容赦なく正確にヒットさせていく。肯定するにしても否定するにしても、北斗の拳のラオウとかグラップラー刃牙の範馬勇次郎みたいな「圧倒感」「絶対感」があって凄い。ダメ出しの秘孔を突いててヤバいです。この人物とは絶対に対戦したくないなと思いました(笑)。直木賞は宮部みゆき氏です。選評のはずなんですけど、「みんなみてみて! ここにこんなオモシロなものがあるぞよ! 読み方次第で三倍も面白くなるからみんな読むべし!」みたいな雰囲気で、本来の趣旨とは違う気もするんですけど、これはありだ! と思わせてしまう凄みがよいです。文化人たるものこうありたい。素晴らしいです。

杉江 ああ、私はまったく違って、芥川賞が奥泉光氏、直木賞が京極夏彦なんですよ。直木賞は今言ったとおりで、高村薫氏や桐野夏生氏ほどの鋭さはないものの、印象批判が皆無で、技巧面からの評価に徹している。すべての作品評に納得しました。芥川賞の奥泉氏は、『ハンチバック』が結末でエゼキエル書を引用したことに疑義を呈しながらも、作者はなんらかの意味をそこに見出しているはずだ、と結んでいる。そういう風に自身の読みによって作者の意図を解釈していこうとする態度が誠実で、心打たれるものがありました。

マライ あああ、ものの見事にプロ・アマ視点の違いが浮き彫りになりましたね! また次回(が、もしあれば)勝手にMVP選出しましょう(笑)

第169回芥川賞選評を読んで徹底対談はコチラ

 

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