
作家の読書道 第231回:佐藤究さん
今年『テスカトリポカ』が山本周五郎賞と直木賞を受賞、注目を集める佐藤究さん。幼い頃はプロレスラーになりたかった福岡の少年が、なぜ本を読み始め、なぜ小説を書き始め、なぜ群像新人文学賞受賞後に江戸川乱歩賞で再デビューしたのか。そしてなぜ資本主義について考え続けているのか。直木賞発表前の6月、リモートでおうかがいしました。
その2「違うライフを求める読書」 (2/8)
――勉強は好きでしたか。
佐藤:勉強というか、まず学校が大嫌いだったんです。狭い場所にみんな集まって揃って何かやるというのが退屈で駄目でした。サボって家にいると父親が怖いから学校に行っていただけですよ。小学6年生の時に担任の先生に立たされて、「家に帰りなさい」って怒鳴られたんです。何でそうなったのか思い出せませんが、生意気だったんでしょうね。でもそこで帰ったら、今度は父親に怒られるのが怖いから帰れなくて。じっと立っていたんです。その日の放課後、クラスの友人が集まってきて、「どうして帰らなかったんだ? お前が帰ったら俺たちも帰るつもりだったのに」と言われたんです。胸が熱くなりかけたんですが、やっぱり帰らなくてよかったと思いましたね。騒ぎが大きくなると、結局また怒られるから。何をやっても怒られる(笑)。まあ、友人には恵まれました。
――学校ではどんなタイプでしたか。リーダータイプとか参謀タイプとか。
佐藤:自分ではよくわからないんですが。そういえば、暴力団員の息子じゃないかと周囲に思われていたんです。父親に「お前はこれが似合う」って、ガッと剃り込みを入れられていたんですよね。高校までその髪型だったんですよ。そりゃ学校で怒られますよね。僕の意思ではなかったんですが。
振り返ると、「全日本プロレス中継」にはじめてザ・ロード・ウォリアーズが出てきた瞬間、「この世には親父より強い奴がいるらしい」と思えたことは大きかったですね。衝撃的な感覚でした。小さな世界が急に広がって、あの感覚の延長で今ここにいる気がします。『テスカトリポカ』を書いている間も、ホークとアニマル、あとマネージャーのポール・エラリングの3人が写っている本のページを拡大コピーして、仕事場の壁に貼ってましたし。
――以前別の媒体でお話をうかがった時、ペンキ塗りの仕事を手伝っていた時に、本を読もうと思った、とおっしゃっていましたね。
佐藤:消去法で考えたんです。現場で会う大人たちがやっていないことをやると違うライフが待っているんじゃないか、って。昼休みに見ていると、みんな漫画雑誌を読んだり、単純に昼寝したりしていて、誰も本読んでねーなって。じゃあ俺は小説を読もう、と。小説って、いろんな人の人生に触れられるんですよね。やがて複数のアングルで物事を眺められるようになる。
――どんな本を読んだのでしょう。
佐藤:こう言っておきながら、どんな本と言われると、すぐに出てこないんですけれど(笑)。えっと、中学の時はヘルマン・ヘッセのヘビーユーザーでした。大人になってからの知人に、10代の読書について「太宰に行くかヘッセに行くかの二択だよ」と言った人がいたんですけれど、僕は国語の教科書か何かで紹介されていた『車輪の下』を、太宰や芥川の作品より身近に感じたんですよね。主人公が学校嫌いのアウトサイダーなところに惹かれたのかな。それからせっせと新潮文庫で『デミアン』や『荒野のおおかみ』、『シッダールタ』に『知と愛』なども読みました。内容はおぼろげだけど、『デミアン』は格好よかった印象があります。
――教科書に載っているもの以外は、読む本はどう選んでいったのですか。
佐藤:自分の本を書店のいい場所で展開して頂いている今、あんまりこういうことを言うと差しさわりがあるんですが......。当時は本屋さんで平積みになっている本には目もくれず、店の一番奥の、誰も読まないような本を選んでいました。
それで読んだのが、まず、チェスタトンの『木曜の男』ですね。同じイギリスでもシャーロック・ホームズとは違う。こういうのもありなんだと衝撃でした。これを読むと、ビートルズのアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」に入っている「アイ・アム・ザ・ウォルラス」っていう、サイケな感じだけどどこかクラシックな曲が浮かびますね。
もう一冊が、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』。こっちはビートルズでいうと「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、交響楽団を使って高揚して終わっていくあの曲のラストと重なりますね。
――2作とも超のつく名作ですよね。それを選ぶなんて、素晴らしい嗅覚。
佐藤:どこにも居場所がなくて、ある種の圧力をかけられると、人は必要なものを嗅ぎ分けるのかもしれないですね。背伸びして何か学ぼうというのではなく、洞窟の中で光を探すような気持ちでしたから。
よく憶えていないんですが、『幼年期の終り』は中学時代に塾に通っていた時に見つけたんじゃないかな。平和町のアパートを出て、平尾という駅から電車に乗って、大橋駅で降りて、駅の本屋に3時間くらいいて、塾に行かずに蕎麦を食って帰っていたんです。そこの塾は家に電話はしないという、素晴らしいところだったので。
――サボっても親にばれない(笑)。
佐藤:その後、その塾はやめちゃったんですけれど。学校サボって近所の霊園の林の中で寝っ転がって読んだのは福武文庫の『チェーホフ短篇集』です。主人公の医師が精神病棟に閉じ込められてしまう「六号室」なんかを読みながら、暗い気分になっていました。読んだら「俺も一旗揚げてやるぜ」って気持ちになれるような明るい本は読んでなかった。
チェーホフも国語の参考書で紹介されていたんです。何ていうんですかね、メインの教科書とは別にあるやつ。資料集でしたっけ。たぶん〈ロシア帝国の闇を描いた〉といったような紹介文をそこで読んで、これは俺に合いそうだなと思ったんでしょうね。で、その本が本屋の隅のほうに置いてあったりする。そうした本を読むと、巻末の解説にまた別の読んだことのない本の名前が出てきて、それを芋づる式に読んでいったのかな。
――高校は地元の学校に進学したのですか。
佐藤:はい。公立に落ちて、私立の大濠高校という男子校に行ったんです(現在は共学)。学校嫌いなのに、学費で親には迷惑をかけました。3年間帰宅部だったんですが、外でちょっとだけ空手を習ったりして。高校は図書室が充実してたのを憶えていますね。
――どんなものを読んだか憶えていますか。
佐藤:確実に高校時代に読んだといえるのは椎名誠さんの『長く素晴らしく憂鬱な一日』です。ただ図書室の蔵書ではなくて、本屋で買った角川文庫ですけど(笑)。椎名さんの「あやしい探検隊」シリーズも好きだったんですが、これはまた違った味わいの、ダークな感じが出ているのがよかった。
私小説風の作品で、語り手は新宿御苑の近くのマンションに仕事場を持っているんです。ある雨の日、どこかのビルの屋上の給水タンクから腐乱死体が出てきたという話を思い出して想像をめぐらし、このビルの給水タンクにも何かあるかもしれないと考えて、ちょうどやってきた編集者をしたがえて、雨の中屋上に行く。
これを読んで、物書きは都会のビルに閉じこもってじめじめ書くイメージを持ちました。
――学生の頃、自分で文章を書いたりはしなかったのですか。
佐藤:17歳の時に、カフカの『城』みたいなものを書こうとして挫折しました。あの時は、ガチャンと音を立ててゲートが閉じられた感覚がありました。あやふやな感じではなく、はっきりとギロチンのように壁が落ちてきて終わった気がしたんです。書けないもんだなと思いました。