第231回:佐藤究さん

作家の読書道 第231回:佐藤究さん

今年『テスカトリポカ』が山本周五郎賞と直木賞を受賞、注目を集める佐藤究さん。幼い頃はプロレスラーになりたかった福岡の少年が、なぜ本を読み始め、なぜ小説を書き始め、なぜ群像新人文学賞受賞後に江戸川乱歩賞で再デビューしたのか。そしてなぜ資本主義について考え続けているのか。直木賞発表前の6月、リモートでおうかがいしました。

その6「ノンフィクションと哲学書」 (6/8)

  • 新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)
  • 『新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)』
    松本 清張
    文藝春秋
    825円(税込)
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  • 下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)
  • 『下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)』
    柴田 哲孝
    祥伝社
    943円(税込)
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  • 資本主義リアリズム
  • 『資本主義リアリズム』
    マーク フィッシャー,セバスチャン ブロイ,河南 瑠莉
    堀之内出版
    2,200円(税込)
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  • アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)
  • 『アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)』
    ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ,宇野 邦一
    河出書房新社
    1,320円(税込)
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――佐藤さんの小説は参考文献リストを見るのも面白いですよね。ノンフィクションもかなり読まれていますね。

佐藤:ノンフィクションは好きですね。『シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち』とか。海外のノンフィクションって、こっちの頭が追いつかないようなすごい話がある。これは第二次世界大戦時のUボートが、沈んでいるはずのない場所で見つかった、という話。ここまでスケールが大きいと、人間ってすごいなって気持ちになりますね。松本清張さんの『日本の黒い霧』は下山事件や帝銀事件を追っていて、これもすごいなと思う。柴田哲孝さんの『下山事件 最後の証言 完全版』も必読書ですよね。
 こういうノンフィクションを読むと、悲惨な話でも突き抜けたスケール感が得られたり、ひどい話だけどたしかに人が生きた物語を読んだ、と感じられます。

――『テスカトリポカ』では、古代アステカの生贄の儀式と現在の心臓売買の話が重なっていく。きっかけのひとつが、スコット・カーニーの『レッドマーケット 人体部品産業の真実』というノンフィクションだったそうですね。

佐藤:麻薬とか犯罪系のものは資料としても趣味としてもよく読むんです。『シャドウ・ダイバー』は深海というまったく目の届かないところの世界を見せてくれましたが、『レッドマーケット』は臓器売買という、ニュースでなんとなくしか知らない世界を見せてくれた。臓器だけじゃなくて、毛髪の売買の話もあるんですよ。今は日本でもヘアドネーションなどがあるけれど、この世には死体の頭から毛髪をはぎ取って商品にするという、芥川の作品みたいなことが本当にある。
 そういうことが書いてあるから、アングルが広がるんですよね。『テスカトリポカ』でも書きましたが、個人個人って生きている間は安く扱われて死んだ瞬間に値段が跳ね上がる。人にパーツとして価値をつけることが資本主義の怖さなんですよ。

――佐藤さんは資本主義とは何か、深く考えられていますよね。前にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』の話もされていましたし。

佐藤: ドゥルーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』という哲学書でも、資本主義が批判され、分析されています。
 今は後期資本主義の時代で、資本主義がシステムの頂点に立った世界です。しかし資本主義はもう限界かもしれないのに、みんなその先のブラックホールに突っ込もうとしている。いや、もう入っているかもしれない。
 そんな時代に何かを書くということは資本主義について考えることなんですよ。パーツとして扱われる身体や、現代の生贄のことを考える。魂のこととかダンスとしての肉体はどうなんだとか、いろいろ考えますね。
 土方巽さんの弟子だった室伏鴻さんというダンサーがいるんですが、『室伏鴻集成』を読むと、やっぱり舞踏家って言葉が鋭いんですね。人は死ぬというけれど、死とは一体「何人称なんだ」、って。一人称とか二人称とか三人称とかあるけれど、誰が死ぬのか、この肉体に人称はあるのかって。そういうことを考える人はあまりいませんよね。名前は親や親戚に名づけられるものだけれど、でも名付けられる前から肉体はある、これはいったい何なのか。
 ドゥルーズ+ガタリは、人が登録された身体として生産活動に参加させられるのが資本主義だというようなことを言っている。映画の「マトリックス」を観ずとも、現実の世界がもうああなっているんだな、と思いますね。僕らはものすごいスケールの思い込みの中で生きているのかもしれない。
僕は、最初は自分の居場所がないってことから社会の仕組みを考え始めて、そこから資本というか、人間とモノってことを考えるようになった。人間が人間って呼んでいるものは何なのかをフーコーは考えましたよね。存在とは何かを言い出したのはハイデガー。 いろいろ考えようとすると、やっぱりそうした哲学を知る作業が必要になってくる。
 もし僕が大学を出てたら、哲学書を書こうとしたかもしれません。ところが実際には高卒なので、そういう人間が哲学書を書いても誰も読まないし、論文もやったことがないから書けない。だから小説って、僕にとって限られた選択なんですよ。そこは学歴のない人間でも思考と深く関わることのできる貴重な場なんですね。
『Ank: a mirroring ape』を書いていた頃は、「これは哲学書じゃないからな」って自分に言い聞かせていました。思弁だけで書かないようにって。読者はエンタメを期待して買ってくれるんだから、その要素がないと。そういうところで非常にもがいていましたね。何とか哲学とエンタメをブレンドして、ジェットコースターに乗っているような感覚を味わってもらいたい、大げさにいうとニーチェの本を一冊読んだような気持ちにさせたいって。自分もそれができたら楽しいし。映画でやろうとすると芸術映画になるんでしょうけれど、小説の中で、しかもバイオレンスも出てくる中でやったら、面白がる人がいるんじゃないか、というのが僕の基本スタイルかもしれません。

――それで見事にブレンドさせられているのだからすごいですよ。

佐藤:どうなんですかね。だといいんですが。ところでフーコーの「エノンセ」って概念がありますよね。「言表」って訳されてるんですが。その考えでいうと、同じ言葉でも時代ごとに言葉が放射するものが変わるんですよね。分かりやすい例でいえば、コロナですよね。たとえば2019年に「コロナ」と聞けばたいていの人は太陽のコロナかビールの銘柄を思い浮かべていた。でも2020年以降、この言葉はまったく違うインパクトを持つようになっている。言葉って実は意味を持ったものではなく、穴のようなもので、時代によってそこから放たれるものが違うのかもしれない。時代によって、磁力で砂鉄の描く模様が変わるように、言葉は変わる。だから小説家は、文法学者が言うような意味とは別の見方をしなくてはいけないのかもしれませんよ。

――たしかに。

佐藤:僕は、そのフーコーの考え方で作者というものも考えるんです。たとえばここにたまたま『カフカ短篇集』がありますけれど、フランツ・カフカという人がいて本ができたんじゃなくて、最初はプラハの保険会社で一生懸命働いていた無名の人間がいただけなんですよね。僕もそうだけどカフカだって、本を書く前は無名の、たくさんの知られざる声のひとつだったんです。それが本を書くことで、ここに、ホログラフィーのように作者のイメージが出現した(と、掲げた本の前の空間を指す)。僕も、『テスカトリポカ』って本があるから佐藤究というイメージが出来上がって、ふわーっとホログラムが浮かび上がっている。つまり僕の中では、"作者"っていうのはどう考えてもフィクションなんですよ。本当は無名の、名づけようのない声がコツコツ書いているんです。
 でも資本主義では、浮かび上がったこのホログラムのほうにアイデンティティーを集中させて商品にしようとするんですよね。それがフィクションであるにもかかわらず、そこからの逸脱を許さない。本人とあまりにもイコールになっている。
 だから、僕がインタビューで話していることはぜんぶ嘘ですよ。本の前にあるぼんやりしたホログラムみたいなものに合わせて僕も喋っているし、みなさんも合わせて聞いているだけなんですよ。

――ふふふ。

佐藤:資本主義は「私とは誰か」という問いかけを許さないんです。フィクションであるホログラムに焦点を当てて主体化させて、そこからの逸脱を許さない。許すと労働させられないから。搾取できないから。税金払ってもらえないから。それだけのために、人は大きなものを譲り渡しているんです。生きるのがきつくなるのも分かりますよね。
 これって政治よりも根が深いですよ。アイデンティティーの檻を作っていることが、資本主義リアリズム、マネージメント原理主義の根底にある。そのフォーマットによる刻印が、差別やいじめなどに繋がっている。
 フーコーは、人間は今のようでなければいけないという必然性はないと言っている。人間は波打ち際に書いた文字が消されるように、いつか消える。人間という概念の話ですが。18世紀に人間と呼んでいたもの、19世紀に人間と呼んでいたものと、21世紀の人間というものは違う。市民という概念すら違うんですよね。『サージウスの死神』を書く前から、河村さんとそういう話をしていて、資本主義の問題を考え始めると、いろんなアングルで物事が見えてくるので、面白い話もできるようになるんです。作家が資本主義について考えるのって、オプションじゃなくて、創作の前提なんですよ。

  • カフカ短篇集 (岩波文庫)
  • 『カフカ短篇集 (岩波文庫)』
    カフカ,紀, 池内
    岩波書店
    858円(税込)
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