第231回:佐藤究さん

作家の読書道 第231回:佐藤究さん

今年『テスカトリポカ』が山本周五郎賞と直木賞を受賞、注目を集める佐藤究さん。幼い頃はプロレスラーになりたかった福岡の少年が、なぜ本を読み始め、なぜ小説を書き始め、なぜ群像新人文学賞受賞後に江戸川乱歩賞で再デビューしたのか。そしてなぜ資本主義について考え続けているのか。直木賞発表前の6月、リモートでおうかがいしました。

その3「大学には行かないと選択」 (3/8)

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――大学は嫌だからと進学しなかったそうですね。

佐藤:椅子に座って黒板見るだけで気分が下がるのに、そんな奴が大学行ってもしょうがないと思ったんですよ。ただ今思えば、学業というのは、習いたい科目とか、教わりたい先生を自分で見つけるものなんですよね。つまりは、教わりたい人間のいるところに行く。そういう選択をすれば学ぶことも楽しいと思います。僕の場合、学校ではそれを見つけられなかったんでしょうね。

――卒業後はお父さんと一緒に働いたのですか。

佐藤:父親が〈有限会社サトー・ペイント〉を作って人手を必要としていたし、僕も独立しようにも金がなかったので、とりあえずそこである程度の技を身に着けておくかと思いまして。
 フルタイムで働くようになったら、土日だけ手伝っていた時とは違う世界が見えました。
 とび職人のハートの強さもすごかったですね。地上30mなんて僕は足がすくむんですけれど、彼らは安全帯もつけないでスタスタ足場を歩いて行く。それがすごいことだとも思っていない。工事現場もなかなかいい世界だなと思いながら、月給もらって押し入れに放り込んでました。でも、ずっとそこにいたいとは思わなかった。

――〈サトー・ペイント〉にはどれくらいいたんですか。

佐藤:たしか8か月で辞めました。父親と朝からずっと、家に帰っても一緒にいるのはもう限界でしたね。その頃、お金を使う暇もなくて手元に貯まっていたから、のちに地元の大学で空手部の主将になる友人と一緒に、ゴム製のカヤックを買いに行ったんです。空気を入れて膨らませるカヤックですね。
 カヌーイストの野田知佑さんの『北極海へ』が好きだったんですよ。この単行本の新装版は僕が持っている中でも最も美しい装丁の本のひとつ。自分も乗ってみたいけれどカヌーは高いから無理だなと思っていたら、アウトドア雑誌に6万円くらいのゴムのカヤックが紹介されていて、「これ買えるんじゃねえか」と。チェコのグモテックス社のヘリオスというカヤックでした。アウトドアショップに行ったら展示品一点限りで売っていたので、すぐ購入して、友人と担いで帰って、筑後川に持って行って乗りました。まあ、息が合わないから当然、転覆するんですけれど。
 野田さんの本を読んだり、自分でも漕いだりして、カヌーの素晴らしさや、夜明けの水面を漕ぎ進む神秘的な感覚を知っていたので、それが『テスカトリポカ』でコシモとパブロがカヌーに乗る場面に繋がったと思います。あの場面が好きだという感想をよく言われます。

――お父さんの会社を辞めた後はどうされたんですか。

佐藤:博多駅で新幹線に荷物を積む仕事をやりました。車内販売のワゴンに缶ジュースとかをセットして、地下基地からエレベーターでホームまで上げるんです。異なる新幹線のダイヤを担当している同僚とは、朝から晩までひたすらすれ違うだけなんですが、ある同僚のジーンズの後ろのポケットに、いつも『ハックルベリー・フィンの冒険』の文庫本が挟んであるんですよ。キャップ被って、ジーンズのポケットに文庫本を挟んで肉体労働しているのって格好いいじゃないですか。少なくとも工事現場にはいなかった。そして1年くらいするとジーンズと一緒に本もどんどんヴィンテージ化していくんです(笑)。僕も長く続けるつもりはなかったけれど、彼が僕より先に辞める日が来たので、「その本面白かったか?」って訊いたんです。彼は一瞬考えてから、ぱっとポケットを見て「あっ、忘れてた」って(笑)。

――1年間気づかなかったってことですか?

佐藤:でしょうね。作業用のジーンズなので、仕事が終わると脱いでロッカーに入れますから、家で気づくこともない。たしかに読んだ形跡はなかったな。ジーンズと文庫本が一体化してましたからね。いつかは俺もあんなふうに愛読される文庫本を書きたいって思っていたんですけれどね。

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