第231回:佐藤究さん

作家の読書道 第231回:佐藤究さん

今年『テスカトリポカ』が山本周五郎賞と直木賞を受賞、注目を集める佐藤究さん。幼い頃はプロレスラーになりたかった福岡の少年が、なぜ本を読み始め、なぜ小説を書き始め、なぜ群像新人文学賞受賞後に江戸川乱歩賞で再デビューしたのか。そしてなぜ資本主義について考え続けているのか。直木賞発表前の6月、リモートでおうかがいしました。

その4「詩人・河村悟さんとの出会い」 (4/8)

  • 宇宙からきたかんづめ
  • 『宇宙からきたかんづめ』
    佐藤 さとる,順, 岡本
    ゴブリン書房
    1,430円(税込)
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――19歳のときに、大事な出会いがあったとか。

佐藤:詩人の河村悟さんですね。あれも衝撃的でした。本物の詩人なんかもういない、いるわけがないと、なぜか上目線で僕は周囲に豪語していましたから(笑)。河村さんは学生運動の元活動家で、ある大学で全共闘の議長代行をやっていた人です。コピーライターを経て詩人になって、僕が会ったときはトランクひとつで友人の家を泊まり歩いて、ようするに全国を放浪していました。あくまでも当時ですけれど。いろんな舞踏家とも交流があって、実際に会っていた暗黒舞踏家・土方巽の話をよく聞かせてもらいました。
 土方巽の代表的な著書に『病める舞姫』があって、僕はこれを日本語で書かれた書物の最高峰のひとつだと思っているんですが、まあ、とにかくよくわからない本なんです。それもそのはずで、テクストとして読むためだけの本じゃなくて、舞踏論ですから。肉体の謎が暗号のようにしてそこに書かれている。
 河村さんはその難解な『病める舞姫』論として、『肉体のアパリシオン ――かたちになりきれぬものの出現と消失――』を書いて、2002年に刊行したんですけれど、手書きの原稿をキーボードでデータ入力する作業を僕も手伝ったんですよ。四百字詰め原稿用紙で完成した論文とひたすら向き合う中で、少しだけ「書くこと」の秘密に近づけた気がしました。
 河村さんからは、本当にいろんな話を聞きました。カフカ、ベンヤミンからグノーシス主義まで。こういうと、何だかこのインタビューの最初に紹介した『宇宙からきたかんづめ』みたいですが(笑)。話を聞くうちに、60年代の三島由紀夫がいかにスター的な存在だったのかも知りました。

――三島由紀夫の印象が変わったわけですか。

佐藤:それまでは漠然と読んでいただけでしたが、話を聞いてからは見えてくるものが違ってきました。重みが分かったというか。いうまでもなく、三島さんの存在は全共闘とは真逆ですよね。でも河村さんによれば、あの人は若者を茶化すようなことはしなかった、と。大人って歳を取っていくうちに、真剣に若者と向き合わなくなるじゃないですか。「まだ青いな」とか「今にわかる」とか適当なことをいって、のらりくらり保身を計ろうとする。でもあの当時の三島さんは若者を茶化さず、常に緊張感を持ちながら相手になっていた数少ない大人だったそうです。そうと知って三島作品を読むと、ずいぶん違うんですよ。
 そうだ、いきなりですが、僕は2013年に河村さんの本を作ったんです(と、モニター越しに四角いものを掲げる)。『純粋思考物体』っていうタイトルで、限定5部なんですけれど。

――本? それ、革製の小さなトランクですよね。

佐藤:装幀がヴィンテージのトランクなんです。マルセル・デュシャンに「グリーンボックス」という作品がありますよね。コンセプト的にはあの方向です。トランク本体にステンシルを使ってスプレーでロゴを入れて、開けるとまず暗室で現像した河村さんの写真作品が納めてあるんですが、写真はトランクごとに違うものが入っています。それと、僕が書いた解説書みたいなものがあって、オーダーしてカットしてもらったドイツ製のガラス板があります。表面には河村さんの足形が押してあります。「詩人は大地を踏まない足を持っている」という河村さんの言葉があるので、だったら足形を取ろうと思って。文字を印刷した紙は製本せずに、上下をガラス板で挟み込んで、さらにそれを布で包んで、さらに全体を皮ひもで結んであります。

――ああ、ページの真ん中に数行だけ書かれてありますね。

佐藤:綴じていないベルギー製の便箋にアフォリズムの形式で言葉が書かれています。今みたいに数行で終わる章もあれば、数ページにわたって続く章もあります。たとえば「97」の番号を印字した紙に書かれているアフォリズムは、次のようなものです。

〈ミッシェル・セールによれば、船乗りは海を走っているのではなく、跳んでいるのだという。だから、船乗りは大地に着地することが下手なのだ。歩くことが不器用なのだ。詩人もまた、大地を踏まない足をもっている。その片足は天国に置いてきた。したがって詩人は大地に一本足でしか立つことができない。かれにとって歩くことは、それゆえ、跳ぶことなのだ。詩人は船乗りの子供である。〉

 トランクを装丁に用いたこの作品に関わることによって、本にはいろんな形があるんだなと実感しました。カフカに「鳥かごが鳥を探しに行った」という言葉がありますが、最初は鳥かごの中に分厚いテクストを入れようかと思ったんですよ。でも、それだとテクストを取り出す方法がない(笑)。

――2013年というと、江戸川乱歩賞を受賞するちょっと前の頃に、そういうことされていたんですね。

佐藤:僕はこういう物づくりが好きなんですよ。

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