
作家の読書道 第234回:青山美智子さん
今年、『お探し物は図書室まで』が本屋大賞で2位を獲得した青山美智子さん。14歳で作家になりたいと思い、ずっと書き続けるなか、卒業後はオーストラリアへ行き、帰国後は編集者&ライターとして奔走し…。そのなかで吸収してきた本たちとは? 作品や作者に対する愛があふれるお話、リモートでたっぷりうかがいました。
その6「溺愛する作家、そしてデビュー」 (6/8)
――40代はいかがでしょう。
青山:石井ゆかりさんの文章に出合うんです。私は自分の成分の2%くらいは石井ゆかりでできていると思っていて。それくらい溺愛しています。
彼女の星占いは文章がアドバイス的に書いてあるけれど、絶対に答えは書いていない。どちらかというとキーワードを提示してるだけなんですよね。読み手がそれをどう思うか委ねている。だから読むたびに思うことが違ったりして、自分と向き合うことになるんです。石井さんの星占いは毎日見ているんですけれど、イメージワークだなと思いますね。言葉から連想するいろいろな自分の姿を知ることになる。
石井さんの「鳥の本」シリーズは、『青い鳥の本』『金色の鳥の本』『薔薇色の鳥の本』などあって、人に薦める時はそっちにするんですが、実はいちばん好きなのは『黒い鳥の本』。人間の黒い部分がいっぱい書いてあって、正しさや明るさに疲れた時に読むと救われます。絵も美しくて宝石箱のような一冊です。
――青山さんの『お探し物は図書室まで』にも、石井さんの『月のとびら』が登場しますね。
青山:そうなんです。自分も救われてきたので引用させていただきました。その時に、石井ゆかりって本当にいるんだなと思って(笑)。もちろん実在していることは知っていたけれど、なんだかこの世の人じゃないように感じていたんです。でも『お探し物は図書室まで』に引用させていただきたくてコンタクトをとったら、ご本人から「青山様」って、返事がきて、大興奮でした(笑)。本当に大好きです。
――愛が伝わってきます(笑)。他にはどのような本を?
青山:あまり小説が読めなくなった時期があったんですよね。その人が何を考えているかを読みたい、という方向に気持ちがいって、エッセイを読んでいました。川上未映子さんのエッセイが好きです。『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』をはじめ、ほぼ全部読んでいると思います。
本屋さんで見つけたのは宮田珠己さんの『なみのひとなみのいとなみ』。ちらっと読んで大爆笑して、こんな面白い人がこの世にいるんだと思ってレジまで持っていきました。その時読んだのは「おつかいナプキン」で、妊娠中の奥さんにナプキンを買いにいかされる話でした。
エッセイではなく小説ですが、栗田有起さんの『ハミザベス』も自分の中でヒットしましたね。『親指Pの修業時代』と同じように奇想天外な話なんですが、たんたんと、フラットな視点で世界を見ているんです。夢中で読みました。よくこんなことを考えつくなと思いました。
――その間も新人賞の応募を続けられていたと思うのですが、応募先はどのように決めていたのですか。
青山:「公募ガイド」を見て、いろんな新人賞の締切や枚数、選考委員などを表にして貼って、それを目指して書いていました。年に3、4作は送っていたのかな。書いては送り書いては送り、いつも駄目で、それが普通になっていました。新人賞は「落ちました」という連絡はこないので、出したらとりあえず1回忘れて次を書く、という感じで。
1回、2003年、33歳の時に小学館のパレットノベル大賞の佳作に入選したんです。佳作でもデビューしている方がいたので、自分もデビューできるのではと期待していました。授賞式も金屏風にビュッフェもある豪華な式で、楯をもらって「2作目も書いてくださいね」と言われて。佳作となったのは50枚くらいの短篇なので、本にまとめるためには長いものを書かないと、と勝手に思いました。
それが結婚して静岡に住んでいた頃で、妊娠7か月だったんです。でもなんとか200枚くらいのものを書いて編集部に送ったんですが、返事がなくて。読んでもらえたのかどうかも分からないけれど、怖くて聞けなかった。でも赤ちゃんが生まれたという報告をしたメールには返信があったんですよね(苦笑)。その後横浜に越した後も小学館からは何の連絡もなくて、もう駄目なんだなと思ってまた違う賞に応募するようになりました。
――その後、2017年に『木曜日にはココアを』で単行本デビューされますが、これはもともとシドニーの「月刊ジャパラリア」公式サイトで連載された小説を改題したものなんですね。どういう経緯だったのでしょうか。
青山:シドニーの新聞社の先輩が情報誌を立ち上げて、その中で私もずっとライターとしてコラムを連載していたんです。公式サイトで小説の連載も何度かやっていて、本誌が12周年のとき、記念的に12個のお話を作ろうかという話になりました。1か月に1個、色をテーマにして1年間連載したんです。
――第一話の舞台が東京のカフェで、そこから前の話の主人公と繋がりのある人が次の話の主人公となって話が進んでいく。そのなかで、途中でシドニーが舞台になりますよね。そういう媒体だったからだと納得しました。
青山:向こうに住んでいる日本の方が読者さんでしたが、短期留学者やワーキングホリデーで短い期間だけ滞在している人も多いので、日本とオーストラリアの両方を舞台にしたいと思いました。でも、視点人物が変わっていく作風が自分の作家人生を決めるとは思っていませんでした(笑)。
その後、ご縁があって宝島社さんから1冊の本として刊行しましょうということになって。もともと人と競うのは苦手なので、新人賞からデビューするのではなく、フリーマーケットに並んでいるもののなかから選んでもらったようなデビューの仕方は自分らしいのかなと感じています。