第239回:岸政彦さん

作家の読書道 第239回:岸政彦さん

社会学者として生活史、社会調査の著作を多く刊行、2017年に『ビニール傘』を刊行してからは何度も芥川賞・三島賞の候補になり、『リリアン』で織田作之助賞を受賞するなど小説家としても注目される岸政彦さん。昨年は150人の聞き手が150人の語り手に話を聞いた編著『東京の生活史』が紀伊國屋じんぶん大賞を受賞。隣人たちの生活を見つめ続けるその源泉には、どんな読書体験があったのでしょうか。リモートでお話をおうかがいしました。

その2「SFにハマる」 (2/8)

  • 寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)
  • 『寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)』
    ジョン・ル・カレ,宇野 利泰
    早川書房
    990円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 発狂した宇宙
  • 『発狂した宇宙』
    フレドリック・ブラウン,稲葉明雄
    グーテンベルク21
  • 商品を購入する
    Amazon
  • 新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉
  • 『新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉』
    トールキン, J.R.R.,Tolkien, J.R.R.,貞二, 瀬田,明子, 田中
    評論社
    2,420円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 大いなる助走 (文春文庫 (181‐3))
  • 『大いなる助走 (文春文庫 (181‐3))』
    筒井 康隆
    文藝春秋
  • 商品を購入する
    Amazon

――その頃の読書生活は。

:そんな親でも本は買ってくれたんで、小学生の時になぜかアガサ・クリスティーをほぼ全巻読んだんです。人間関係の描き方が好きだったし、女性の視点が入っているところもよかった。「あしながおじさん」の延長で、女性的な視点が好きだったようです。一緒に育った従姉妹の影響かなと思ってます。そこからミステリを読むようになり、ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』みたいなスパイものやサスペンスものも読みましたが、あまりハマらなかった。
 SFにはハマりました。「ほら男爵」の延長ですね。サンリオSF文庫、ハヤカワ文庫SF、創元SF文庫のメジャーな作品はほとんど読みました。ハインラインとかアーサー・C・クラークとか。ロバート・シェクリィやフレドリック・ブラウンがすごく好きでした。ロバート・シェクリィは『人間の手がまだ触れない』という短篇集に、ロボットと2人で月に行く話があるんです。主人公は最後死ぬんですが、教えた言葉しか知らないはずのロボットが、そこで突然聖書を暗唱しだすんです。誰もいない星の上で、祈りを捧げる。その話を死ぬほど繰り返して読んで泣いてました。フレドリック・ブラウンは『発狂した宇宙』が好きでしたね。レイ・ブラッドベリの『スは宇宙(スペース)のス』とか、あとはラリー・ニーヴンの、SFというかファンタジーの『ガラスの短剣』という魔法ものが結構好きだったかな。でもほら、名前何だっけ、ポーランドのSF作家がいるでしょう。

――スタニスワフ・レムですか。

:そうそう、レム。あれは小学生の時に読んで一切分からんかった。もっとエイリアンが出てきてレーザービームとかで闘う話のほうが好きやったんで。
 当時、アメリカSF映画にもハマっていったんですよね。「ソイレント・グリーン」とか「ウエストワールド」とか。懐かしいなあ。それと、6歳の時に親父に連れられて場末の映画館で「007/死ぬのは奴らだ」とブルース・リーの「死亡遊戯」と「夕陽のガンマン」の三本立てを観て、「007」がすごく好きになったんです。

――ジェームズ・ボンドがロジャー・ムーアの頃ですね。

:そう、だから僕にとって「007」といえばロジャー・ムーアなんです。次の「黄金銃を持つ男」は観てなくて、10歳で「私を愛したスパイ」を観てまたハマりました。あれはロータス・エスプリが潜水艇になるところが好きやった。でも「ムーンレイカー」で月に行くのはさすがにやりすぎだろうと思ってたら、次の「ユア・アイズ・オンリー」で最初の路線に戻った。
 小学4年生の時に「スター・ウォーズ」が公開されるんですよね。あれにはハマりすぎて、コカ・コーラの壜の王冠の裏側にキャラクターの絵がかいてあるのを袋いっぱい集めてました。まだビデオがない時代で、上映が終わると二度と観られないから、フィルムが中に入っていて手回しで10秒くらいの動画が見られる子供向けの玩具を頼み込んで買ってもらって、擦り切れるくらい見ていました。
 それとスピルバーグですね。「未知との遭遇」とか「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」とか。インディ・ジョーンズのシリーズは高校生ぐらいだったかな......。「E.T.」は中学生のときに一人で観に行きました。「E.T.」は完全に、形式としては犬と少年ものですよね。僕は犬と少年ものに弱いんです。それで思い出しましたが小学生の頃に「ベンジー」という映画があって、そこに出てくる犬が当時うちで飼っていたミニチュアシュナウザーにそっくりやったんです。あの映画も死ぬほど観に行きました。DVDは中古のやつが買えるけどネット配信はされてないですね。

――中学生になると読書傾向は変わりましたか。

:筒井康隆にハマるんです。今読むと女性差別や障害者差別がひどくて読めないんですけどね。最初に読んだのは小学生のうちか中学生になってからか忘れましたが『虚人たち』でした。筒井康隆が最初に書いた純文学的・実験的作品で、「読む速度」と物語が進む速度を一致させてるんです。1分間の物語を、ちょうど読むのに1分間ぐらいかかる文章で書いている。つまり、物語のなかの時間と、それを読む時間が同期してるんです。
 それで途中、主人公が寝てたり気を失っている場面があるんですが、その箇所はページが空白になってるんですよ。寝てる時間が経過してるあいだ、読む方にもその時間が流れるようになってるんですね。普通に読んでいったら本の中に空白のページが突然出てきて、それにめちゃくちゃ衝撃を受けて、そこから筒井康隆の実験的な小説を読むようになりました。
『虚航船団』なんかは『指輪物語』と同じ構造なんですよね。マクロの話とミクロの話が同時に進んで、最後は神話の領域になるっていう。他にもカギカッコの使い方が面白い短篇もあって、発話がだんだん地の文になっていく作品があって、それもすごく好きでした。カギカッコが閉じられてなくて、いつのまにか地の文になってるんです。
 たぶん、僕が今『東京の生活史』みたいな、コンテンツと形式を分けない書き方の本を作ったりしていることの根底には、そうした小説を読んだ経験があると思うんです。でもフェミニズムの本なんかを読むようになってからは、筒井康隆の小説のほとんどの女性の描き方が「聖なる母親」か「可愛らしい娼婦」のどちらかのパターンになっていて、主体的な行為者として表現されていないなと思うようになるんですけれど。

――じゃあ、七瀬のシリーズとかは......。

:嫌いなんですよ。好きなのは実験的作品です。あとは物語性の強い中編、たとえば『大いなる助走』とか「三人娘」とか「村井長庵」とか。でもまあ、影響を受けたのは『虚人たち』ですね。
 その後は小松左京にハマりました。小松左京は根が明るくて、人間に対する希望がある。暗い話をいっぱい書いているけれど、スケールの大きな大らかな人やったんやろうと思う。僕は「少女を憎む」という短篇に一番影響を受けてますね。どこかに書きましたけれど。

――「給水塔」(『図書室』所収)に書かれていましたね。

:ああそうでした。他には、僕は近代文学を体系的に読んではいないんですけれど、中学の時に読んだ二葉亭四迷は好きでした。それと野坂昭如。そうそう、中学の時に野坂昭如や田辺聖子、筒井康隆、小松左京を読んで大阪の地名がインプットされていったんです。最初に大学受験で大阪に来た時、ここが曽根崎か、ここが淀屋橋かって、謎の感動をしました。

――野坂さん、田辺さんで好きだった作品は。

:野坂昭如は『エロ事師たち』。あれは千林の話でしょ。『火垂るの墓』も面白いし泣くけど、神戸の話やし。田辺聖子は読んだけれどあんまり憶えてない。小松左京と筒井康隆は、エッセーに出てくる大阪が好きやったんです。筒井康隆の父親は天王寺動物園の園長やったんですよね。小松左京は大阪の町工場の息子で、京大でイタリア文学を専攻した。でも実家は戦後すぐに破産して、彼も苦労するんですよ。だから小松には「庶民が生きていくためにはカネ大事じゃん」っていう商売人のノリがある。僕、今でも、「経済成長しなくていい」とか「お金を追い求めすぎて心が貧しくなっている」とか言ってるインテリの人がいると、なに言うてんねん、と思います。小松は戦争中の軍国主義も描いていますが、戦後の復興期のほうが辛かったって書いてますね。戦後のほうが人間のドロドロした部分が出てきたって。「少女を憎む」もそういう話やし。
 ただ、こうした小説を読んだからといってそんなに「大阪!」とはなってないですよ。後から考えたら中学の時にいろいろ大阪の話を読んでいたな、っていうだけで。

  • アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)
  • 『アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)』
    昭如, 野坂
    新潮社
    605円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

» その3「社会問題に目覚める」へ