第239回:岸政彦さん

作家の読書道 第239回:岸政彦さん

社会学者として生活史、社会調査の著作を多く刊行、2017年に『ビニール傘』を刊行してからは何度も芥川賞・三島賞の候補になり、『リリアン』で織田作之助賞を受賞するなど小説家としても注目される岸政彦さん。昨年は150人の聞き手が150人の語り手に話を聞いた編著『東京の生活史』が紀伊國屋じんぶん大賞を受賞。隣人たちの生活を見つめ続けるその源泉には、どんな読書体験があったのでしょうか。リモートでお話をおうかがいしました。

その8「25年の集大成」 (8/8)

  • 質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)
  • 『質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)』
    岸 政彦,石岡 丈昇,丸山 里美
    有斐閣
    2,090円(税込)
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――『東京の生活史』という大きな仕事をされた直後ですから、一息つきたい時期なのかもしれませんね。

:あの本を出すために、25年間ずっとやってきた感じがします。出版不況のなかで、こんな無編集のモノグラフを、この厚さで、この値段で出せるなんて、誰も思っていなかったんじゃないでしょうか。僕が『街の人生』からずっとやってきたことって、この本を出す準備だったのかもしれないって思うんです。
 まあ、飽きたとかそういうことではなくて、休みたいんですね。書きすぎたんですよ。休みたい。一回世間から忘れられて、『街の人生』を20巻くらい、1500部売り切りみたいな感じで地味に出し続けたい。『東京の生活史』で僕が話を聞いたジャズドラマーの話の完全版も書きたいし。なんかもう、インターネットの中だけで、趣味でやってた頃に戻りたい気持ちが強くある。
 でもね、「本書いてください」ってメール、いちばん嬉しいんですよ(笑)。承認欲求がいちばん満たされる。だからいつまで経っても抱えてる仕事が減らない......。
 でもほんと、僕、48歳まで無名だったんです。最初の本を出したのが45歳で、48歳で出した『断片的なものの社会学』が紀伊國屋じんぶん大賞を受賞したぐらいから、急にお仕事が増えましたが。そんな自分が、筑摩書房みたいな、学生の時からずっと読んできた出版社から依頼をもらったり、学生の時から通って僕を育ててくれた梅田の紀伊國屋書店に自分のサイン本が飾られたり、なんか夢みたい。すごく幸せですよ。
 でも、48歳まで無名でよかったと思う。大阪の場末で誰にも知られず35年暮らして、世の中をゆっくり経験できましたから。大阪の街に育ててもらったんです。だから『リリアン』で織田作之助賞をもらったのは本当に嬉しいんです。もちろん『東京の生活史』でまた、じんぶん大賞をもらったのも嬉しいけれど。織田作之助賞は、はじめて大阪に褒められた、受け入れてもらえた気がしましたね。あの賞は今は関西に関連する作品縛りじゃないけど、でも大阪ゆかりの賞ですから。
 いますでにたくさんの出版の企画を抱えています。いろいろ迷いながらやってますけども。『断片的なものの社会学』の続きみたいなものを書く企画もあるけれど、ああいうスタイルでまた書くと狙っている感じが出てしまう。本当はイチからコンテンツを作りたいんですよね。珍しさがないとやりたくない。同じ本を作るぐらいなら、なんかマーベルみたいな映画を撮りたいという気持ちのほうが強い(笑)。

――『東京の生活史』は、数年前にツイッターで「こういうことをやりたい」とつぶやいたことがはじまりで、そこからたくさんの参加希望があったそうですね。

:ああいうことをずっとやりたいなと思っていて、お酒飲んだ時にポロっとつぶやいたら、驚くほどの反響があった。それまでにも、大学の授業で学生さんたちを連れて沖縄に行って聞き取りをしてもらう、ということをしていたんですが、最小限のことだけ教えたら、とても良い聞き取りをしてくるんですよ。そういう授業をやっていくうちに、それまで自分がずっとやってきた方法も自分自身で言語化していくし、学生に教えることで、「人に話をどうやって聞くか」ということの、スタイルやノウハウが蓄積していた。だから、今度は大学の学生じゃなくて、一般の方と協力してやっていくこともできるはずだ、という思いがあった。
 私の方法論は、共著の『質的社会調査の方法―他者の合理性の理解社会学』という教科書になってます。
 そもそも、どういう心構えで何を聞くか、という、理論的で抽象的な方法論も書いてますし、それから例えば、ICレコーダーを出すタイミングとか、手土産の値段とか、現場でセクハラされたらどうするかとか、話を聞く時にカラオケは使いやすいけれどディスプレイがまぶしいから電源切れとか、一問一答にするな、とか、相手の喋る流れに身を任せろ、とか、そういう、テクニカルなことも含めて、私の方法のすべてがここに書いてあります。

――聞き手希望者には、応募する時に誰に聞きたいかも挙げてもらったのですか。

:それも応募書類に書いてもらいました。「こんな感じの人に聞きたい」というのではなく、具体性がないと本当に話を聞きにいけるかどうか分かりませんから、調査の実現可能性みたいなことを重視した。480人分の応募動機を4周読んで200人に絞って、もっかい最初から読んで絞って、最後の最後は抽選で決めました。
 説明会や研修会、相談会も何度もやりましたが、僕からは最低限のことを伝えただけで、自由にやってもらいました。聞き手からの質問も原稿についての細かい質問が多かったですね。「ここの段落削っていいですか」とか聞かれて「好きなとこ削ってください」って答えたり。改めて、俺は要らんなと思いました(笑)。みんなが好き勝手に動いて、そしてみんな素晴らしい語りを聞き取ってくる。この本に関しては実質、僕は何にもしてないです。

――なぜ「東京」にしたのですか。

:いちばんニーズがあるだろうと思ってはいましたが、作ってから、こんな分厚い本にこれだけ反響があって話題になったのを見ると、つくづく東京の人ってあらためて、「語られたことがなかった」んだと思いましたね。東京はいつも中心で中央で主体で、言葉を持っていて語る側で、語られる側ではなかった。東京で普通に暮らしている人って、何かの対象になったことがほとんどないんです。東京って「24時間眠らない街」みたいな語られ方をされるけれど、東京で普通に夜寝ている人のことは表現されていなかった。
 なんだろう。『大阪の生活史』だと「大阪の人」の話になっちゃうというか。言葉で表現しづらいんですけど、他の地域だと「その地域の人」の話として読まれてしまって、「普通の人」という読まれ方をしなかったんじゃないかなと思う。
 とりあえず、大規模な企画の最初の本としてと、東京から始めようと思ったんです。もし他の地域で続けられるなら続けたいです。実際に沖縄でもすでに始まってますし、できれば大阪でもやりたい。

――ちょっと自分の話になってしまいますが、読んでいて「あっ」と思ったのが、聞き手の一人にすっかり疎遠になっている学生時代の友人がいたんです。それもあって、「ああ、これは隣人たちの話なんだ」という実感が強まったというか。

:そういう話聞きます。これ、知っている人が出てくる確率が高いんですよ。直接の知り合いでなくても、知り合いの知り合いまでいくと繋がりがある人は多いかもしれない。実際に、同じ学歴、階層、文化資本のひとたちって、社会的には閉じたネットワークを形成しがちなので、ひょっとしたらわりと狭い領域のなかで作られた本なのかもしれませんね。そういう意味でもこれは「東京の代表」ではないです。やっぱりブルーカラーの労働者の語り手があんまり入っていないし。
 まあ、それでも、これだけ多種多様な人びとがカバーされていて、自分たちの隣人が語っている、自分たちの隣人が聞き取っているって実感できる本って、これまでほんとになかったんだろうなと思います。

――今、1日のタイムスケジュールはどんな感じですか。

:今年度、たまたまサバティカル(長期休暇)なんですよ。1年間授業がないので、昼は寝たいだけ寝て、夜は酒飲んでネトフリ観て、ツイッター見て......というマイペースな生活ですが、でもなぜかめちゃめちゃ仕事多いです。こういうインタビュー原稿の校正とか(笑)。他の本もたくさん並行して書いてますし、次の調査の計画も立てて資料も集めてます。結果的には、やっぱり今年度も「仕事ばっか」の1年でした。

――せっかくのサバティカルがコロナ禍と重なってしまって、残念ではないですか。

:ほんとうに心からそう思ってます。10年に1回ぐらいしかとれない休暇なのに、今年度は1回しか沖縄に調査に行けなかった。

――今度は『沖縄の生活史』を作るそうですね。

:復帰50周年を記念する『沖縄タイムス』の企画に、社会学者の石原昌家さんと一緒に、監修として参加しています。復帰の年(1972年)にちなんで聞き手を72人募集するつもりだったんですが、160人の応募があったんです。みんな応募動機が熱くて、絞れないんですよ。「母親に話を聞きたい」って言っている人も落とせないし、「おばあちゃんに聞きたい」って言っている人も落とせない。だから、人数を100人に増やしました。順次、沖縄タイムス紙上で記事にしていって、最終的にはみすず書房から一冊の本になる予定です。
 これからも生活史モノグラフを作っていきたいですね。たぶん一生この仕事をしていくんだと思います。

(了)