第239回:岸政彦さん

作家の読書道 第239回:岸政彦さん

社会学者として生活史、社会調査の著作を多く刊行、2017年に『ビニール傘』を刊行してからは何度も芥川賞・三島賞の候補になり、『リリアン』で織田作之助賞を受賞するなど小説家としても注目される岸政彦さん。昨年は150人の聞き手が150人の語り手に話を聞いた編著『東京の生活史』が紀伊國屋じんぶん大賞を受賞。隣人たちの生活を見つめ続けるその源泉には、どんな読書体験があったのでしょうか。リモートでお話をおうかがいしました。

その4「ブルデューとの出合い」 (4/8)

  • ディスタンクシオン〈普及版〉I 〔社会的判断力批判〕 (ブルデュー・ライブラリー)
  • 『ディスタンクシオン〈普及版〉I 〔社会的判断力批判〕 (ブルデュー・ライブラリー)』
    ピエール・ブルデュー,石井 洋二郎
    藤原書店
    3,960円(税込)
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  • ランスへの帰郷
  • 『ランスへの帰郷』
    ディディエ・エリボン,三島 憲一,塚原 史
    みすず書房
    4,180円(税込)
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――進学先は社会学を学ぶことを優先して選んだのですか。

:東京の大学と関西の大学をいくつか受けましたが、全部、社会学部でした。東京の大学もいくつか受かったけれど、受験で訪れた大阪の町が面白かったので、迷わず関西大学を選びました。俺は一生大阪に住むんだと思いましたね。

――なぜそこまで大阪に惹かれたのでしょう。

:東京も好きですよ。だから『東京の生活史』ができて嬉しかったし、いまだに住んでみたいとは思う。だけど、これ、もうネタとしてよく言ってるんですが、受験で大阪に来て天王寺のホテルに泊まった時、朝起きてニュース見たら発砲事件があって、その現場が泊まってたホテルの真横の路地やったんですよ。不謹慎ですが、おもろいとこやな、って思いましたね。試験受けた後はせっかく来たからひとりで街をウロウロして、ここが通天閣でここが新天地かって感動して、ジャンジャン横丁のお好み焼き屋に入ったら、おじいちゃんがボケ倒してるんですよ。「あー、ハタチ過ぎたらしんどいわ」って。それをおばちゃんがガン無視してるのもおもしろかった。
 いまだに思うけど、大阪って他人に対するハードルが低いんですよ。すぐ他人に話しかけてくる。それが抜群に面白いし、人見知りなのに人の話が聞きたかったから、すごくよかった。ある人から「岸さんが大学で東京に行ってたら潰されていたと思う」と言われたことがあるんですが、大阪に来て良かったって心から思いますね。

――大学生活はいかがでしたか。

:大学でジャズを始めてウッドベースを弾くようになり、ジャズミュージシャンやって月10万円くらいは稼いでいました。
 同じ時期に本格的に哲学、人類学、社会学の本を読むようになったんですが、大学にはほとんど行ってないです。昼は一人で本を読んで、夜はジャズミュージシャンをやって、毎晩のようにミナミで朝まで飲んでました。どっかのバーに行けば友だちが誰かいる。親友がピアニストで、大学1回生の頃から千日前のキャバレーで弾いてたので、給料日にはみんな楽屋の前で待ってて、そいつの金で朝まで飲んだりしてましたね。
 当時の大学って、教授たちも手を抜きまくってて、授業に出なくても単位が取れたし、レポートも何かの丸写しでよかった。むちゃくちゃでした。今から考えると、あんなのよくないと思う。今は大学の規則が多くて厳しすぎるとかいわれてるけど、昔に比べたら、やっとまともになっただけですよ。
 僕は社会学をやると言いつつ、デュルケムやジンメルにはあんまりハマらなかった。ウェーバーもよくわからなかった。ウェーバーのすごさがわかったのってほんと、ごく最近です。当時はどちらかというとレヴィ=ストロースが好きでした。でも、大学2回生の時にピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』の翻訳が出たんです。上下巻を一晩で読みました。読んだ時の自分の姿勢や服装やデスクの明かりまで強烈に憶えている。そこから、藤原書店から連続で出されたブルデューの翻訳は全部読みました。フランス語の原書までは手を出せなかったけれど、英語で出ているものはいくつか読みましたね。

――なぜそこまでブルデューが響いたのでしょうか。

:『ディスタンクシオン』を読んで、これは自分の話だと思ったんです。経済資本も文化資本もない環境で育って、たまたま高校で進学校に入ったとき、階層格差というものを目の当たりにしたんです。とにかく全員金持ちだったので。僕は階級格差、階層格差っていうものを、普通の人よりは見てきたと思う。ブルデューも小さな村の郵便局員の子供で、奨学金で学校に通ってコレージュ・ド・フランスの教授になるんですよ。
 そして、そうしてのし上がった人が、労働者階級に対して一切ロマンがない、というところが好きなんです。僕は左翼の本を読んでいても、「大衆の知恵」みたいなことが語られていると違和感あるんです。俺の見てきた「大衆」はぜんぜん違うよって思う。学校も地域も荒れていて、ひどい状況をさんざん見てきたから、「国家権力なんて要らない」「ヴァナキュラーな自治でなんとかなる」とか言っている人がいると、「人々に自治任せるとどうなるか知ってる?」って思う。その点、ブルデューは階級格差を批判的に描くんだけど、労働階級にロマンを持ってない。剝奪論的なところもあるしね。晩年、すこし変わりますけども。
 ブルデューも居場所がなかったんだと思うんです。彼はワンマン気質で、たぶん誰も信用せず、予算を獲得してヨーロッパ社会学センターを立ち上げて権威を獲得して、自分の帝国みたいなものを築いた。でもそれは、従来のアカデミズムに居場所がなかったからなんじゃないか。ちょっと前にフランスの社会学者のディディエ・エリボンの手記が出たでしょう(『ランスへの帰郷』)。あれには、ゲイをカミングアウトするよりも労働者階級の出身だってカミングアウトするよほうがよっぽど恥ずかしかったって書いてある。フランスの知識人階級って、労働者階級に対してそういう扱いなんだろうなと思う。
 そのへんが『ディスタンクシオン』にも書いてあるんです。あの本は、ブルデューのルサンチマンが爆発しているんですよ。だから好き。いつか自分もそういうことを書きたい。

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