
作家の読書道 第258回: 斜線堂有紀さん
大学在学中の2016年に『キネマ探偵カレイドミステリー』で電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞してデビュー、本格ミステリ大賞の候補になった『楽園とは探偵の不在なり』をはじめとするミステリーのほか、SF、恋愛小説、怪奇幻想譚など幅広い作風で魅了する斜線堂有紀さん。大の本好きでもある斜線堂さんがこれまでにはまった作家、影響を受けた作品とは? その膨大な読書遍歴の一部をお届けします。
その4「ブックガイドを参考に」 (4/9)
――中学校時代はいかがでしたか。
斜線堂:佐藤友哉先生が作品でよくサリンジャーの引用をされるので、自分もサリンジャーを理解しようと思って、野崎孝先生訳の『ナイン・ストーリーズ』を読んだりして。その頃は村上春樹先生訳のサリンジャーは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』しか出ていなかったんですけれどそれも読み、話も面白いし文体やセリフ回しもなんて洒落ているんだろうと思い、そこから村上春樹翻訳ライブラリーのレイモンド・カーヴァーにいきました。『必要になったら電話をかけて』や『愛について語るときに我々の語ること』を読み、センチメンタルなところや、愛というのはこんなに不確かなものなんだというところにすごく共感して、今度はレイモンド・カーヴァーにはまり倒したんですよね。
レイモンド・カーヴァーを読み終えたら次はフィッツジェラルドにいって、『グレート・ギャツビー』や『マイ・ロスト・シティー』を読み、私は海外文学の中でもフィッツジェラルドが好きなんだと気づきました。その頃に書いたものは佐藤友哉先生とフィッツジェラルドを混ぜたようなものが出力されていました。
私がフィッツジェラルドでいちばん好きな話は「残り火」です(『マイ・ロスト・シティー』所収)。仲睦まじい夫婦の夫のほうが植物状態になってしまい、周りが「もう離婚しなよ」みたいなことを言うのだけれど、妻はずっと献身的に介護していて、「私は今のその人が好きなんじゃなくて、思い出を愛している」みたいなことを言うという話なんです。「そこにあるものは、燃え尽きた残り火の中に微かな暖を求める、祈りにも似た想いだった。」という一文がすっごく好きで。その頃はまだエモいという言葉はなかったんですけれど、自分はエモい話が好きなんだと理解していきました。そこから自分の求めるエモさを追求するようになるんです。
――エモさを求めて、どのように本を探していったのでしょうか。
斜線堂:何を読めばいいのか分からなくなったので、まずブックガイドを読もうと思って。それで『桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。』を手に取るんですね。桜庭一樹先生は作品も大好きで、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』から入り、『少女には向かない職業』などを読み、どはまりして著作をすべて読み終え、こんなに自分がはまった作家さんだからきっと趣味が似ているだろうと思って、『桜庭一樹読書日記』で紹介されている本を読むようになるんです。
桜庭先生はものすごい読書家で、海外文学にも造詣が深いんですね。シャーリイ・ジャクスンの『くじ』や『ずっとお城で暮らしてる』を紹介されていて、それを読んで海外文学には自分の心に響くものが結構多いなと気づきました。
それと、かの有名な二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』という、読書家の女性のブログを書籍化したものも、書かれている言葉にものすごく感銘を受けました。そこからポール・オースターの『孤独の発明』とか、引間徹さんの『ペン』という心を持ったぬいぐるみを巡る話とかを読み、室生犀星先生の『蜜のあわれ』を読んで耽美なものにも惹かれるようになりました。
それと、「人間の文学」というシリーズが河出書房新社から刊行されていて、手に取ったら全部ちょっとエッチな感じの物語だったんです。最初に手に取ったのがブリジッド・ブローフィの『雪の舞踏会』で、これが仮面舞踏会で出会った男女が一夜の逢瀬をするみたいな話で、中学生でこれを読むのはなにかまずい気がすると思いながらも、愛はエモいな...と思って読んでいました。ナボコフの『ロリータ』とか、そういう作品がラインナップに入っていたシリーズで、今なら確かに「人間の文学」だなって思うんですけれど。
その頃にいちばん影響を受けたのはシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』です。その時は宗教的な思索としてとらえるというより詩を味わうように読んでいて、この世界観がすごく好きだなと感じていました。よく「隔たり」について書かれているんですけれど、それがなぜかその時の自分にすごく刺さりました。
その頃、はじめてちゃんと自分のお小遣いで高級な本を買ったんです。これがリチャード・フラナガンの『グールド魚類画帖』でした。これもたしか桜庭一樹先生が紹介されていて、どうしても読みたいと思って手に取りました。
――『グールド魚類画帖』って中学生にとっては高くなかったですか。
斜線堂:高かったんですよ。4000円近くしました。フルカラーで文字にも色がついていて、章ごとに魚の絵が挟まれていて。その本が欲しくて欲しくて、母親に「他にも欲しい本があるだろうから、それは買うのやめたら」みたいなことを言われても「いや、私はこれを買う」と言って買ったので、その頃の自分の文学トピックスとして思い出深いです。
――中学生時代、創作はしていなかったのですか。
斜線堂:あんまりしていなかったですね。読むことに必死だったのと、部活が忙しかったので。休みの日もたっぷり活動があるバレーボール部に入ってしまって、結構疲労困憊していました。運動がすごく嫌いだったので...。
――運動嫌いなのになぜバレーボール部に入ったのですか。
斜線堂:私の親友がバレーボール部に入りたいというので、その子に格好いいと思われたくて同じ部活に入ったんです。その子がとにかく大好きだったので...これで私がレギュラーになったらきっと格好いいと思ってくれるな、というノリで入ったらガチガチの運動部で大変な目に遭いました。
――友達に格好いい姿は見せられたのですか。
斜線堂:本当に運動が嫌だったのに、執念でレギュラーまで上り詰めて、親友に「本当にすごいね」みたいなことを言ってもらえました。でも根が不真面目だしバレーボールにも愛着がなかったので顧問の先生にはすごく嫌われていたんです。私が最後の試合でサーブを入れられなかった時に、顧問の先生に「お前はこのサーブの失敗を一生引きずるんだな」みたいなことを言われました。
――えー、ひどい。
斜線堂:多感な中学生にそんなこと言うな!と思いましたけれど、本当に最後の最後でサーブがネットにぱんってかかったのを、確かに今でも鮮明に憶えています。でもその親友には大人になった今でも一緒に飲みながら「本当にレギュラーになってすごかったね」「スパイク上手かったもんね」って言ってもらえているので、頑張った甲斐はありました。元は取った。
――映画は観続けていましたか。
斜線堂:そうですね。やはり夕食の時に映画は流れていましたし。ただ、父が適当に流しているので、絶対に途中から始まるんですよ。なので気になった映画だけ、後で自分で最初から観る、みたいなことを繰り返していました。
その頃は「キル・ビル」が好きでした。たぶん観ちゃいけない年齢だったと思うんですけれど、家の車で「キル・ビル」の挿入歌の「怨み節」が流れていて興味を持ち、映画も観てタランティーノ監督ってなんて格好いいんだと思いました。めちゃめちゃ強い女が殺人鬼の男を倒す「デス・プルーフ in グラインドハウス」という娯楽に振り切ったタランティーノ作品がものすごく好きで何度も見ました。ミステリー的な観点でいうとやっぱり「レザボア・ドッグス」は最初は込み入った状況で一体何が起こっているのかと思わせて、ものすごくテクニカルなことをやっていて、なんてよくできた話なんだと思って。最終的には当時はそれがいちばん好きでした。今は「ヘイトフル・エイト」が好き。
――高校に進んでからはいかがでしょう。
斜線堂:その頃になると、村上春樹先生の翻訳ではなく作品そのものを読むようになるんですね。『神の子どもたちはみな踊る』とか、『スプートニクの恋人』を読んで、なんて村上作品は面白いんだろうと思って、そこからマジックリアリズムという言葉を知り、自分が好きなものはこれかもしれないと思い、マジックリアリズム系統の本を好んで読むようになりました。
相変わらず海外文学にはまっていたので、自分の好きな本を出している出版社のシリーズを片っ端から読むようにもなりました。思い出深いのが、松籟社の「東欧の想像力」シリーズで、ボフミル・フラバルの『あまりに騒がしい孤独』などが好きで、その後『厳重に監視された列車』など「フラバル・コレクション」から出ている作品も読みました。
同じ出版社から「創造するラテンアメリカ」というシリーズも出ていて、コロンビアの作家、フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』などが語り口が面白くて好きでした。
他にはフラン・オブライエンの『第三の警官』とか、それこそ村上春樹的な現実と幻想の境目にあるような作品にはまって、それと同時にこの頃には『異形コレクション』のシリーズにもはまっていました。それで自分にゴシックな趣味があることに気づき、モーリス・ルヴェルの『地獄の門』を読んだりして。『夜鳥』に収録されている「暗中の接吻」という短篇がすごく好きでした。振られた女が愛した男に硫酸をかけて顔を焼くんですが、男のほうも同じことやり返して、自分たちは永遠に一緒だな、みたいな。そういうブラックな愛情を描いたものに惹かれるようになりました。