第258回: 斜線堂有紀さん

作家の読書道 第258回: 斜線堂有紀さん

大学在学中の2016年に『キネマ探偵カレイドミステリー』で電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞してデビュー、本格ミステリ大賞の候補になった『楽園とは探偵の不在なり』をはじめとするミステリーのほか、SF、恋愛小説、怪奇幻想譚など幅広い作風で魅了する斜線堂有紀さん。大の本好きでもある斜線堂さんがこれまでにはまった作家、影響を受けた作品とは? その膨大な読書遍歴の一部をお届けします。

その6「ドイツ語で詰む」 (6/9)

  • 源氏物語 1 (河出文庫 か 10-6)
  • 『源氏物語 1 (河出文庫 か 10-6)』
    角田 光代
    河出書房新社
    880円(税込)
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  • ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)
  • 『ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)』
    スティーヴン キング,Stephen King,浅倉 久志
    新潮社
    924円(税込)
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  • 掌の小説(新潮文庫)
  • 『掌の小説(新潮文庫)』
    川端康成
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  • ブエノスアイレス午前零時 (河出文庫)
  • 『ブエノスアイレス午前零時 (河出文庫)』
    藤沢 周
    河出書房新社
    550円(税込)
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  • しんせかい(新潮文庫)
  • 『しんせかい(新潮文庫)』
    山下澄人
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  • 魔の山(上) (新潮文庫)
  • 『魔の山(上) (新潮文庫)』
    トーマス・マン,義孝, 高橋
    新潮社
    1,034円(税込)
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――受験勉強は嫌だったけれど、受験して上智大学に進学されるわけですね。

斜線堂:本当に勉強したくなかったので、問題に使われそうな漢文や古文は現代語訳を全部読んでおいて、実際に試験で『源氏物語』から出題されたから解けた、みたいな絡め手でなんとか受かりました。なんで受かったのかよく分かりません。

――どの学部だったのですか。

斜線堂:ドイツ文学科です。学部も、勉強する気がないから学部を調べる気がないままに決めたんです。その頃、スティーヴン・キングに異常にはまっていて、ちょうど読んでいたのが『ゴールデン・ボーイ』だったからドイツ文学科にいったんですよね。それで私は究極に落ちこぼれることになるので、おとなしく国文科とかに行っとけと思うんですけれど...。

――アメリカ人のキングにはまったから英文科とはならず、「ゴールデン・ボーイ」に元ナチスの将校が出てくるからドイツ文学科というわけですか(笑)。

斜線堂:英文科はスピーキングが壊滅的だったから、ちょっと選べなかったんです。
ドイツ文学科に進むと、まずドイツ語を学ぶところから始まってしまって。今までちゃんと勉強をしたことがないから、当然、落ちこぼれるんですよ。今までは、本を読んでいるので国語とか英語とか日本史はカバーできる部分も多かったけれど、ドイツ文学科に入るとそもそも授業がドイツ語で行われるようになって。基礎の授業を真面目に聞いていなかったから、三ヶ月も経つ頃には先生が話していることすら1ミリも分からなくてしまいました。じゃあまずドイツ語の文法と単語を覚えて、授業の内容を理解出来るようにならなきゃ...と思ったんですが、初歩的な勉強の仕方もわからないからあっさり挫折してしまって。集中力が無いから暗記も出来ない、今まで取ってこなかったからノートの取り方も分からない、意味が分からないから真面目に授業に出席できず、どんどん落ちこぼれていって...。なにもかもが嫌になったからすべてを投げ出してしまいました。教授に怒られても「いや、私はもう勉強なんかしないんだ」と開き直る始末。でも、人生で一番の挫折でした。本当に、毎日怒られたり溜息をつかれたりするために大学に行っているようで...真面目にやり直したくても周回遅れだから、今更取り返す方法もない。二年次で取れた単位が十六単位しかなかったんですよ。しかも殆どが必修じゃない科目。自分って、ここに来るべきじゃなかったんだ...と自尊心が削れていきました。そうなると自分の自尊心をどこで回復するかというと「勉強は出来ないけど、でも本をいっぱい読んでいる」ということを拠り所にするようになったんです。その二つには全く関係ないのに...。授業にはまともに出ずに、逃避するように本を読むようになりました。
その時に文芸サークル、といってもあまり文芸サークルとして活動せずに飲みサーになってしまった文芸サークルに入ったんです。そこの部長だった先輩が、明らかに自分よりも本を読んでいる人だったんです。「無人島に1冊持っていくとしたら何にする」みたいな話題の時に川端康成の『掌の小説』を挙げるような、ガッチガチの純文学国文学の人で、その人に「お前は古典も全部読んでないのか」「青空文庫に入るようなものすら網羅していないくせに読書家といえるのか」と、異常にマウントをとられて、この分野でもボキボキに心が折られました。その先輩はとにかく国文学が大好きな方だったので、梶井基次郎の「ある崖上の感情」(『檸檬』所収)について話し合った時も、私の解釈がちょっとでも浅いと「お前は小説を読むことができていない」みたいなことを言われて「くーっ」となって。
じゃあ自分がやるべきことはこの先輩と渡り合えるくらい本を読むことだと思って。それで、古典を改めて読み直すことと、芥川賞作品をある程度のところまで全部読むことにしました。その時に藤沢周先生の『ブエノスアイレス午前零時』とか、津村記久子先生とか阿部和重先生とか川上未映子先生にはまったりしました。
先輩とは毎回、芥川賞と直木賞を予想していました。先輩は私が候補作を選ぶと絶対に逆張りして、私の予想をめちゃくちゃに言うんですよ。でも山下澄人先生が『しんせかい』で芥川賞を獲った時は私が当てたので、その時は私が異常に先輩にマウントをとりました。「あれ、先輩、え? 読みが浅くていらっしゃる?」って。あれが大学生時代でいちばん嬉しかった思い出かもしれません(笑)。

――結果的に読書の幅がまた広がりましたね(笑)。

斜線堂:大学に入ってよかったことは、自分の知らない小説を読んでいる人たちがいっぱいいたことですね。イタリア人作家のティツィアーノ・スカルパの『スターバト・マーテル』という小説がすごく好きなんですが、それはドイツ文学科の友達に教えてもらったものですし。いろいろ新しいものを吸収できました。
 ドイツ文学科では、私は一切ドイツ語が読めないんですけれど、翻訳されたドイツ文学を読むのは好きだったので、それこそトーマス・マンの『魔の山』を友達より先に読んで解説することで宿題を教えてもらって、ウィンウィンの関係を保ってどうにかクラスでの地位を担保していました。「私ドイツ語1ミリもわかんないけどさ、ノヴァーリス読んできたから解説するよ?」「君のレポートに必要な文献ってこれだと思うんだけど、これ貸す代わりにここの文章全部和訳してほしい」「『魔笛』全部読んできたからさ、詳しいあらすじ全部説明してあげる。その代わりにこの作文ちょっとやってくれない?」とか。そのために、岩波文庫から出ているドイツ文学作品で購買に売っているものは全部読みました。必死すぎて...。

――それで卒業できたのだからすごい(笑)。

斜線堂:私2留年して本当に怒られながら卒業したんですけれど、ドイツ文学の文献演習とか、レポートの成績だけは非常に良くて。卒業論文も最高評価をもらいました。でもドイツ語は1ミリも話せないっていう。

――卒業論文は何をテーマにされたのですか。

斜線堂:映画史です。ドイツの映画の歴史は結構深いので、それをまとめて提出して、はじめて教授に褒めてもらいました。それまではすごく嫌われていて...嫌われるのも当然なんですけれど。授業は基本的に全部ドイツ語で、日常会話をする時や学生を叱責する時もドイツ語だったんです。でもある時、私があまりにもドイツ語が分かっていないことに気づいたのか、叱責の途中でピタッと止まって、「あなた、私が何を言っているか分からないからって平然としているけれど、それは人生をなめているわよ」って言われて、「あー日本語で怒られた!」ってとても傷ついたおぼえがあります。確かにドイツ語で叱られている時は「なんか怒ってるぽいけどよくわからないな...」って流せていたんですけれど。
 逃避のためにいちばん小説を読んでいたのがその頃だと思います。このまま自分はどうるのかな、卒業できないのかな、ドイツ文学科に入ってしまったことで人生が詰むことがあるんだな、みたいに結構絶望的に考えていたので。

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