
作家の読書道 第270回:金子玲介さん
今年5月、第65回メフィスト賞を受賞した『死んだ山田と教室』を刊行するや話題を集め、鮮烈なデビューを飾った金子玲介さん。8月には第2作『死んだ石井の大群』、11月には第3作『死んだ木村を上演』を刊行と勢いにのっている。そんな金子さん、実は長く純文学の新人賞に応募していたのだとか。ではその読書遍歴と、エンタメに転向した経緯とは?
その6「デビュー前からの執筆仲間」 (6/8)
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――ところで町屋良平さんや大滝瓶太さんとは、twitterを通じて親しくなられたのですか。
金子:twitterもありますが、以前文藝賞を受賞された今村友紀さんが作り上げた「CRUNCHMAGAZINE」という、小説投稿サイトがあったんですね。当時は「カクヨム」とか「小説家になろう」といった、ラノベ寄りの小説投稿サイトが流行っていたんですけれど、「CRUNCHMAGAZINE」は私の知る限り初めて出来た純文学寄りの小説投稿サイトだったんです。それを通じて町屋良平さんや大滝瓶太さん、佐川恭一さんとかと仲良くなりました。町屋さんは2016年にデビューして、ものすごいキャリアを築いていったんですけれど。
――大前粟生さんとも、デビュー前からお知り合いだったとか。
金子:2016年にtwitterで知り合ったんですよ。面白い感想言っているな、みたいな感じでお互いにフォローしあったのがきっかけです。そうしたら、その数か月後に大前さんが「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトで、「彼女をバスタブにいれて燃やす」という短篇で最優秀作に選ばれてデビューされるんです。大前さんは当時京都在住だったんですが東京に来る機会があったので、デビューしたての大前さんと、デビュー直前の町屋さんと、私の3人で飲んだことがあります。それ以来、ちょこちょこ連絡を取り合っていました。この前、「文學界」2024年10月号に、この3人の鼎談で呼んでいただいたんです。私はずっと、デビューしたらいつか町屋さんや大前さんと対談したいなという夢を抱いて投稿を続けてきたので、夢が叶ったのが嬉しすぎて、家に帰ってから感極まって、ポロポロ泣いちゃって...。
なんか、自分が最終候補で落ちたりしているなか、twitterとかで知り合った人たちがどんどんデビューしていって、なんとなく「金子くん待ってるよ」状態だったんです。私だけずっとずっと落ち続けて、苦しかったんです。
途中で「もう無理」となった時に大滝さんに相談したら、「一回エンタメに転向してみてくれ」と言われ、それでエンタメに転向してデビューできたんです。
大滝さんも最初は純文学を書いていたんですけれど、あまり予選を通らなかったのでSFとかミステリを書くようになったんですよね。最初の単著が『その謎を解いてはいけない』という、ミステリ作品です。大滝さんがミステリを書き始めた頃に、私が純文学のほうでうまくいかなくて心がポッキリ折れちゃって、LINEしたんです。「私、もう無理なので、応援してくれたのは嬉しかったんですけど、小説から離れると思います」って。そうしたら「自分は今ミステリを書いてるから、一緒に書かないか」って。「最後に一度、エンタメへの転向を試してからやめてよ」みたいなことを言われ、そこからミステリの勉強を始めました。それで結果的に『死んだ山田と教室』でデビューできたので、もう、本当に、大滝さんのおかげですね。
なんなら私、その前にも一回大滝さんに助けられているんです。大学2年生の時に群像新人文学賞の最終選考のひとつ前まで残ったことは先ほどお話ししましたが、それがちょうど会計士の勉強に集中しなくてはいけない時期だったし、ちょっと小説に関してはやりきった感があったんですね。「こんないいところまで通過したから、後は会計士の勉強を続けて、会計士一筋で生きていこうかな」と思っていた頃に、twitterで大滝さんと知り合ったんです。それで群像の最終のひとつ前まで残った原稿を読んでもらったんですよ。そうしたら、「すごく面白かった」と言ってくれて。学生のうちにこんなに笑えて構造的にも面白い小説を書けるのはすごいから、また何か書いてよ、って。それで、「小説はやめるかもしれない」というふわふわした心の状態から、「大滝さんがああ言ってくれたからまた書くか」という気持ちになったんです。だから大滝さんには2回、小説の世界に引き留められています。大滝さんがいなかったら、私は小説を書くのをやめている可能性が高いです。
――会計士の試験が終わって執筆を再開し、戯曲を書き直した作品で文藝賞の最終に残ったのが、大学4年の時になるわけですか。
金子:大学3年生の時、2014年8月に会計士受験が終わり、11月の合格発表まで時間が空いた時に10月末締切だった北海道戯曲賞に応募します。その結果が帰ってきたのが年末か年明けくらいで、それを「夏の暫定」という小説に書き直して、2015年の3月末締切の文藝賞に間に合わせ、結果が出たのが大学4年の夏でした。
その後、大学4年の時に書いた「林冴花は宗教が苦手」という、お父さんがイスラム教徒の女の子がグループアイドルを辞めようとする小説がまた文藝賞の最終に残ったんです。こちらは心理描写もたくさん入れて、最初から小説として書き進めたものです。2年連続で最終に残ったんだから、書き続けていればどこかの賞に引っかかるんじゃないかと思いました。それで、卒業後も働きながら文藝賞やすばる文学賞に応募を続けました。だいたい年に新作を1、2本、改稿したものを1、2本送っていました。
――卒業後は会計士の事務所に就職されたのですか。
金子:はい。「監査法人」と呼ばれる、大手の会計事務所がいくつかあるんですが、そのひとつに入って、主に監査業務に携わっていました。
その後、2020年にすばる文学賞に送った「ファンファーレ」が最終まで残り、選考委員の金原ひとみさんに激賞いただいたんです。木崎みつ子さんの『コンジュジ』が受賞され、デビュー前の朝比奈秋さんも同じく最終で落選した回です。翌年の2021年は「次で絶対受賞したい」と思って結構気合を入れて新作を2本書き、過去の小説1本を改稿して、すばる文学賞と新潮新人賞と文藝賞に送ったんですけれど、全部最終にも残らなかったんです。それで「もう無理だな」となって大滝さんに連絡し、エンタメに転向し、2023年にメフィスト賞をいただく、という流れです。
――働きながら投稿していた頃、読書生活はいかがでしたか。
金子:純文学ばかり読んでいました。文芸誌で、次の芥川賞候補になるのはこれかな、みたいなものを読んだりして。
――そのなかで印象に残った作家や作品は。
金子:滝口悠生さんの『死んでいない者』がめちゃめちゃ好きで。「文學界」に掲載された時に読んで、これが芥川賞を獲らなかったら嘘だろうと思っていたら、本当に受賞されました。
滝口さんの作品は全部好きです。『寝相』とか『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』とか『高架線』とか。
あとは、『ナイス・エイジ』や『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』の鴻池留衣さんの小説も好きで、単行本化はされていないんですけど「文學界」2020年12月号掲載の「わがままロマンサー」には特に打ちのめされました。日和聡子さんも大好きで、『校舎の静脈』がお気に入りですね。木下古栗さんも大好物です。『いい女vsいい女』とか『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』とか、最高ですよね。
以前、移人称がけっこう話題になったことがあったじゃないですか。人称が自然に移ろっていくというか、一人称なのに一人称で語り得ないことを語っている小説というか。その頃は、そういう人称のあり方の小説をよく読んでいました。現代文学では山下澄人さん、滝口悠生さん、岡田利規さん、柴崎友香さん、松田青子さんの小説とか。あとは青木淳悟さん。最近、町屋良平さんが「小説の死後――(にも書かれる散文のために)――」というプロジェクトで青木淳悟さんの小説の再解釈をされていますけれど。青木さんの『私のいない高校』という三島賞を受賞した小説は、『死んだ山田と教室』に繋がっていると思っています。
――『私のいない高校』は、とある高校の、留学生を迎え入れた一年間の話ですよね。定まった視点人物がいないままに、教室の様子が淡々と綴られていきますよね。
金子:留学生が来たというドラマはありつつも、ものすごく平板な筆致で高校の一年間を書いていますよね。ああいう感じをエンタメにもできるんじゃないかと思って、『死んだ山田と教室』の第一話なんかは、青木さんのあの、教室そのものに視点があるみたいな書きっぷりに影響を受けています。
エンタメに転向はしたんですけれども、ずっと純文学を読み書きしてきた経験をなかったことにしたくなかったんですよね。エンタメは視点を定めないと読みづらいから駄目だ、というセオリーは重々承知した上で、でもやっぱり、純文学で自分が面白いと思った書きっぷりとか、視点の動かし方というのは、読みやすさを損なわない範囲でエンタメに取り入れていけたらなという意識はあります。