
作家の読書道 第273回:荻堂顕さん
2020年に「私たちの擬傷」(単行本刊行時に『擬傷の鳥はつかまらない』に改題)で新潮ミステリー大賞を受賞、第2作『ループ・オブ・ザ・コード』が山本周五郎賞候補、第3作『不夜島(ナイトランド)』で日本推理作家協会賞受賞、第4作『飽くなき地景』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補と、注目度が高まり続ける荻堂顕さん。作家志望ではなかった荻堂さんが、小説を書きはじめたきっかけは? 国内外の愛読書とともに、来し方を教えてくださいました。
その2「海外ミステリにはまった中学生時代」 (2/8)
――中学は早稲田実業に進まれたわけですよね。受験勉強が大変だったんじゃないんですか。
荻堂:僕の頃は本当に運っていうか。今は違うだろうし、当時も本当にトップの学校の受験は違ったと思うんですけれど、自分の頃の中学受験って、要領の良さだけでどうにかいけたんです。自分は要領の良さだけで入った感じです。
――そんなに要領良かったんですか。
荻堂:良かったですね。小学生の頃から一夜漬けっていうのが成功する概念だと分かっていました。今はどんどん錆びついていますけれど小学生の頃は記憶力もよかったから、塾の勉強も前日にパーッとやっていました。
――中学生になってからの読書はいかがですか。
荻堂:うちの母親が趣味で読んでいた本をよく借りて読みました。その頃流行っていたパトリシア・コーンウェルの検視官ケイ・スカーペッタのシリーズだったり、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』だったり。あれは映画も好きでした。
中学生の時はひたすら海外ミステリを読みました。その頃は講談社だとか新潮社だとか分かっていなかったけれど、パトリシア・コーンウェルが講談社文庫から出ていたので、青い背表紙の海外ものは面白いという感覚があって、講談社文庫から出ているリー・チャイルドの『キリング・フロアー』から始まるジャック・リーチャーのシリーズを読んだり。このシリーズは9作目の『アウトロー』がトム・クルーズ主演で映画化されていますよね。あとはスティーヴン・ハンターの『極大射程』から始まる、ボブ・リー・スワガーのシリーズを読んだりとか。中3くらいの頃にはジョン・ル・カレのスパイものもよく読みました。
SFでは、母親がレイ・ブラッドベリも好きだったので、『何かが道をやってくる』なんかも中1の頃に読みました。フィリップ・K・ディックとかウィリアム・ギブスンも読んでいました。
だから、自分の文章がわりと翻訳調と言われるのは、自分でそう書こうと思っているわけじゃなくて、本も映画も翻訳もののほうが触れてきた数が多いんで自然とそうなっているだけだなと思います。
――国内小説はまったく読まなかったのですか。
荻堂:中学時代、ライトノベルもすごく流行っていたんです。中1の時にアニメで「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送されていたので見ていたし、小説も読みました。あとは滝本竜彦さんの『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』とか『NHKにようこそ!』とか、秋山瑞人さんの『イリヤの空、UFOの夏』とか。世代的には僕より前ですけれど、上遠野浩平さんの『ブギーポップは笑わない』とかも読みました。
――学校の国語や現国の授業は好きでしたか。
荻堂:苦労したことはなかったですけれど、あんまり好きじゃなかったですね。作家って作文が得意だった人と嫌いだった人に分かれると思うんですけれど、僕はずっと嫌いでした。
高校では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を1年かけて教える先生もいました。授業内容はあまりよく憶えていないしその先生はもう亡くなっているんですけれど、のちに名前をググったら宮沢賢治の論文をめっちゃ書いている人でした。授業は厳しくて、寝ている生徒がいると「ラッコの上着が来るよ」と言って教科書の角で叩いていました。
――今振り返ってみて、どんな子供だったと思いますか。表立って反抗するわけでなく、でも教師のことも冷ややかに見ていた、とか。
荻堂:なんだろう。わりと怒られていました。中学生の頃だったかな、先生を教室に閉じ込めて鍵かけたりしていました。うちの学校では校長訓告を2回受けると退学なんですが、それを1回受けました。
――クラスの中でリーダー的なタイプだったんですか。
荻堂:全然リーダーじゃなかったです。やっぱりうちの学校にもスクールカーストみたいなものがあって、僕はアウトカーストじゃないけれど、クラスのみんなが何かやると決めた後、僕と吉田くんというもう一人の奴が「お前らも来いよ」と誘われる、みたいな感じでした。
――10代の頃って、将来何になりたいとかってありましたか。
荻堂:映画かアニメの脚本家になりたくて。大学卒業する時までどっちかになりたくて、映画やアニメの制作会社を受けたんですけれど全部落ちたんで。それで小説を書いたら新潮ミステリー大賞の最終のひとつ前まで残ったんで、じゃあ小説家目指すかっていう。なんか、小説家にめちゃくちゃなりたかったわけではないんです。
――自分でも脚本とか、物語を作ったりはされていたのですか。
荻堂:世に発表したりはしていないですけれど、中学生の時も家で一人でゲームを作ったりしていました。RPGゲームです。
――仲間と冒険するような、物語性のあるゲームってことですか。
荻堂:そうですね。わりと仲間が途中で離脱したり、裏切ったりという話を作っていたんで、のちにミステリを書く伏線にはなっていたんじゃないかなと思います。