
作家の読書道 第273回:荻堂顕さん
2020年に「私たちの擬傷」(単行本刊行時に『擬傷の鳥はつかまらない』に改題)で新潮ミステリー大賞を受賞、第2作『ループ・オブ・ザ・コード』が山本周五郎賞候補、第3作『不夜島(ナイトランド)』で日本推理作家協会賞受賞、第4作『飽くなき地景』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補と、注目度が高まり続ける荻堂顕さん。作家志望ではなかった荻堂さんが、小説を書きはじめたきっかけは? 国内外の愛読書とともに、来し方を教えてくださいました。
その4「執筆のきっかけとなった作家の言葉」 (4/8)
――文化構想学部に入ったのは、やはり脚本や小説を書いてみたかったからですか。
荻堂:そうですね。その頃は脚本と小説の違いも分かっていなかったんですけれど、やっぱり何かしたかったので。他のことを勉強する気持ちも特になかったし、そもそも働くっていうヴィジョンがなくて。就職したくないなと思っていたので、ぬるっと仕事に関係なさそうな学部に入りました。
――実際、創作の授業を受けられたのですか。
荻堂:これがまた、そういう学部に行ったくせに、小説なんて習って書くもんじゃないと思っていたんですね。小説を書くコースに行った友達もいたんですけれど、自分は絶対にそこに行かないと思って、全然違うところに行っていました。
なんかずっと、自分の行動って矛盾しているなと思います。小説の授業は全然とらないで、いちばん受講していたのは演劇の授業でした。
――演劇の授業が面白かったのですか。
荻堂:すごく好きでした。僕は人の前に立つのは苦手なんで自分に演劇はできないと思うんですけれど、もし演技の才能があったら絶対やっていたと思います。
今でもゲームやアニメの仕事をしたいと思っているんですが、演劇もやりたいですね。台本を書いてみたい。
自分がいちばん好きなのは小説を読むことだし、それは他の体験にはかなわないと思っていますけれど、やっぱり演劇を観るとちょっと変わりますね。生の演劇はすごくいいなと思う。
――実際にいろんな劇場に足を運ばれたのですか。
荻堂:母親が芝居が好きでよく下北沢に行っていて、僕も学生の時にナイロン100%とかも観にいったし、NODA・MAPの芝居なんかも家にDVDがあったので観てすごいなと思っていました。大学生の時からゴールデン街で働いていて、店にいろんな劇団の人が来るのでその繫がりで阿佐ヶ谷や下北沢の小さい劇場に観に行ったりもしました。
こういう言い方はよくないけれど、演劇ってつまらなくても許せるんですよね。小説は熱い気持ちがあるってことを伝えるハードルが高いけれど、演劇は伝わりやすいというか。キャパ30人くらいの劇場の一人芝居とか、本当につまらなかったんですけれど、真剣に頑張っている姿を見ているうちに、この人の人生いろいろあるんだなと思って最後やっぱり泣けてきたりとかして。
――大学生の時から新宿のゴールデン街で働いていたんですか。
荻堂:働きはじめたのは大学4年の、ギリギリ卒業する前くらいからかな。大学2年生くらいの時に友達がはじめてゴールデン街に連れていってくれて。僕、大学に友達がほとんどいなかったんで、すごく新鮮で。いっときは週7のペースで、話し相手を探しに行く感覚でゴールデン街に通っていました。よく行っていたお店が2階に寝られるスペースがあったんで、お店の人が泊まらせてくれたりして。深夜まで飲んで寝かせてもらって、起きてまた飲む、みたいな時もありました。そうやってずっと通っていたら、「そんなにいるんだったら、もう中の人になりなよ。お金もかからないから」と勧められて働くようになりました。
――お酒強いんですか。どんなお酒が好きなんですか。
荻堂:いや、全然強くないです。ゴールデン街はお酒の美味しさを追求する場所じゃないんで、ビールとかハイボールを飲んでいました。
―――ゴールデン街のお店って、狭いスペースにカウンターがあってマスターやお客さん同士でちょっと雑談して、みたいな感じですよね。
荻堂:そうです。でも、面白いのって最初の1年くらいで、後はその繰り返しだなと思いました。最初は僕も若かったから、世の中ってこんなに面白い人がたくさんいるんだと思ったんです。新しい店に行って、知らない人にも「この人どんな人かな」と思って話しかけていたんですけれど、2年くらい経つと、もうだいたい7パターンくらいしかないと分かってくる。最初のうちは人から悩みとかを聞かされて、「こんなふうに悩んでいる人もいるんだ」とか興味を持って聞いていたんですけれど、だんだん「またその悩みか」みたいになってくる。
よくない言い方なんですけれど、人と話していると、もうこの人からこれ以上の話は出てこないなって思う瞬間ってあるじゃないですか。そう感じるのが早くなっちゃった気がするんですよね。だから、人と出会って話を聞きたいという気持ちがどんどんなくなっていったんです。話しかけても面白くないリスクのほうが高いから話しかけなくなりました。今もたまに飲みに行きますが、行くのは知り合いの店だけだし、新しい人とも一切喋らないです。
――小説を書き始めたのもこの頃ですよね?
荻堂:そうです。家でテレビを見ていたら、NHKのETV特集で「カズオ・イシグロをさがして」という番組をやっていたんです。僕はカズオ・イシグロもすごく好きだったんですね。
そのインタビュー全編いい話だったんですけれど、そのなかでイシグロはずっと基本的に記憶をテーマに書いていて、「記憶は死に対する部分的な勝利だ」って話していて。
僕、このフレーズがすごく好きで。エンタメだろうと純文だろうと、あらゆる小説が最終的に果たすべきことって、これだと思うんですよ。このカズオ・イシグロさんの話を聞いた時に、自分もなにか、記憶というものを書いてみたいなと思いました。
――カズオ・イシグロも読まれていたのですか。
荻堂:読んでいました。僕はカズオ・イシグロの作品の中では『忘れられた巨人』がいちばん好きですね。その後に出した『クララとお日さま』はあんまり好きじゃないです。
――ああ、AIを搭載したロボットと少女の話。
荻堂:やっぱりカズオ・イシグロレベルの人でも、年を取ってからAIみたいな現代のものに手を出すのは難しいのかなと思って。頑張っていてすごいなと思う一方で、そういうことはしないで『日の名残り』みたいなものを書き続けてほしい、みたいな気持ちです。
――年を取ってからAIものを書いたイギリスの作家ということで連想したんですが、イアン・マキューアンとかはお好きですか。
荻堂:マキューアンは『アムステルダム』が好きですね。だから僕、ブッカー賞作家が好きなんですよ。マキューアンもイシグロも受賞していますよね。これもさっきのオタク的権威主義じゃないですけれど、賞を獲ったものは読んでおかなきゃ、みたいな気持ちがあるんですよね。マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』も好きですし。
――他によく読んでいる文学賞といいますと。
荻堂:ミステリーのエドガー賞とか、SFやファンタジーのヒューゴー賞とか。ノーベル文学賞の受賞作は買ってはいるけれどあまり読んでいないんですよね。受賞してから翻訳が出るまでにちょっと時間がかかったりするのでタイミングがずれるというか。まあ、わりと賞基準で選んでいるから、僕、すごく権威主義ですよね。
――権威に立ち向かっていきそうなイメージもあるのに。
荻堂:権威ってただの椅子で、座る人がそれを汚くするだけなんで。そこに座る人次第でよくも悪くもなるんで、わりと胸張って自分が権威主義者だって言えます。
僕は権威ってフェアだなって思うんですね。たとえば読者を獲得する方法としてSNSで頑張って好かれる人間をアピールするとか、どこかに何百万も寄付したことを表明するといったことってフェアじゃないって感じるんですよ。みんながそれをできるわけじゃないし。文芸の賞を獲るってことのほうが自分にとってはフェアだなと感じます。僕は賞に向けて書いているわけじゃないけれど、賞を獲るクオリティの作品を出す、ということはひとつ念頭には置いています。