
作家の読書道 第273回:荻堂顕さん
2020年に「私たちの擬傷」(単行本刊行時に『擬傷の鳥はつかまらない』に改題)で新潮ミステリー大賞を受賞、第2作『ループ・オブ・ザ・コード』が山本周五郎賞候補、第3作『不夜島(ナイトランド)』で日本推理作家協会賞受賞、第4作『飽くなき地景』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補と、注目度が高まり続ける荻堂顕さん。作家志望ではなかった荻堂さんが、小説を書きはじめたきっかけは? 国内外の愛読書とともに、来し方を教えてくださいました。
その8「新作と今後について」 (8/8)
――直木賞候補にもなった新作『飽くなき地景』は、東京が舞台です。
荻堂:『飽くなき地景』は、東京出身者だからこそ東京について書いてみたいな、という気持ちでした。だから『不夜島』と根源としてはそんなに差がない感じです。
最初の打ち合わせが2022年の年末だったんですが、その時は「日本版『グレート・ギャツビー』みたいな話を書きたい」と言いました。あとは、佐々木譲さんの『警官の血』みたいな話、とか言ってましたね。
――なるほど! 戦後、不動産事業で財を成した旧華族の烏丸家に生まれた治道が、刀を愛する祖父からは薫陶をうけ、建設業でのしあがっていく父・道隆を憎みながら生きていく姿が、戦後の復興やオリンピックなど変わりゆく東京を背景に描かれていますね。
荻堂:『グレート・ギャツビー』は一時期の短い話ですが、あれを一代記にしていく感覚でした。でもこの小説で純然たる一代記の良さみたいなものを追求しようとは思ってなかったです。逆に、一代記として読んだ時、主人公が変化しようと思ったところが変化していなくて、変化したくないと思ったところが変化している、みたいに描くことを意図していました。そこが『グレート・ギャツビー』なんです。決して『華麗なる一族』ではないんですよね。
――主な舞台となるのが、1954年、1963年、1979年です。
荻堂:54年は、東京国立博物館内に日本美術刀剣保存協会が設立された時期にしました。63年は東京オリンピックですね。79年は主人公に40代になっていてほしかったのと、実際にこの年にKDD事件というのがあったので。KDDIの前身となる国際電信電話株式会社が起こした密輸事件ですね。エピローグの2002年は動かせなかったので、そこから間が開きすぎないように逆算したという理由もありました。
――治道は祖父の残した名刀を守ろうとし、執着する。なぜ刀というモチーフを選んだんですか。
荻堂:最初に日本版ギャツビーを考えた時に、柴田翔さんの『されどわれらが日々―』が浮かんで、自分も学生運動とか書こうかなと思ったんです。高橋源一郎さんなんかもそうですけれど、左を書いたものって傑作が多いんですよね。だから自分が左を書いてもしょうがないから右を書こうかな、じゃあ右の小説って何があるだろうと思った時に、大江健三郎さんの「セブンティーン」とか、それこそ丸山健二さんの『ときめきに死す』とかが浮かんで。でも『ときめきに死す』なんかはまさにハードボイルドですが、それにするとこれまで自分がやってきたことと書き味が一緒になってしまう。そう考えていくなかで、必ずしも右にこだわらずに、なんとなく右から連想されるものを書こうとなって、刀はどうかなと思ったんです。それで刀に関する参考文献を読んでいたら、戦後、刀がGHQに取り上げられそうになった時に、細川護立さんが「刀は武器じゃなくて美術品なんだ」と説明して返還してもらったと知りました。それって嘘じゃないですか。刀って武器じゃないですか。美術品だと言った瞬間に自分で自分を去勢しているようなもので、そこまでしてでも認めさせたっていうのは、果たして日本にとって勝利だったのかどうか、みたいなことを考えました。戦後日本そのものだなと感じたので、それをテーマにしたいと思いました。
――祖父と父親と息子と、父親の愛人とその息子という関係は。
荻堂:そちらは西武、のちのセゾングループを作った堤家を参考にしています。今回は初めて実在の人物をモデルにして書いたって感じです。この本に出てくるエピソードは参考文献にも載せた児玉博さんの『堤清二 罪と業 最後の「告白」』にだいたい出てきますね。父親が公の場に愛人の息子を連れていったら女性団体に攻撃されて、妻と離婚して愛人と入籍するんで勘弁してくださいって言ったのは堤清二の父親、堤康次郎のエピソードですね。実際には堤清二が異母兄で堤義明が弟ですが、作中では逆転させています。
――エポックメイキングなことは現実の出来事を参考にして、個々人の内実を創作していった感じですか。
荻堂:そうですね。それぞれの人生観とかは創作です。堤清二は無印良品を作ったりしてアートに凝っていた人なので、そういうところは取り入れましたが、家族との関係とか、細かいところは創作です。
――治道は祖父の刀を守ろうとし、父親に対する複雑な感情を抱えつつ、最後にああいう決断を下し...。反発していたものを内面化していく感じとか、もうめっちゃ面白かったです。
荻堂:これは意外とお父さんとの確執の話じゃないんですよね。幻想と現実の話であって、主人公が最後に幻想に気づく話なんですよ。主人公は幼い頃の祖父との体験から刀に魅入られて幻想を抱いていたんだけれど、刀に対する慕情は本当の愛だったのか、みたいな。だから、刀とは違うもので書くこともできるんですけど。
今回はわりとこれまでの小説とは違って、得るものがないという虚しさを書こうと思っていました。それはやっぱり、東京って自分の故郷で好きだと思っているのに、好きになる構造でできていない街だというのがあって。変わっていくのが前提の街なので、自分自身が東京に対しての思い入れを諦められるような小説を書こうという気持ちがありました。僕にとっての東京が、治道にとっての刀、みたいな。愛してる愛してると思い込もうとしているんだけれど、幻想を投影しているだけで本当に好きだったのかどうかは最後まで分からない。
――刀を他のものにして書くこともできる、というのが最高の皮肉で、それこそ書きたかったことを書けているわけですね。それにしても、治道は結構本を読んでいますよね。実在の作家や作品にたくさん言及されていて、そこから時代感もすごく出ています。
荻堂:これはもう、分かる人には「こういう読書をする人だよ」と分かってほしいというのがありました。キャラクター的に筒井康隆があまり好きじゃないタイプだなとか、村上龍とか村上春樹も流行っているから読んだだけで、たぶんそんなに好きじゃないだろうっていう。
――治道が城山三郎を繰り返し読んでいると分かるシーンがあって、なるほどなと思いました(笑)。村上龍も先日ようやく読み終えたという記述があって、話題になった時にすぐ読まなかったんだなと思いましたし。
荻堂:文学をやっている人なら新しい小説はわりと早くチェックすると思うんですけれど、40代前半で、昔の読んだ本を何度も読み返す人になっている。
――治道が読んでいる作品で、ご自身が好きなものもありますよね。。
荻堂:やっぱり横光利一をかばうシーンはこの小説でいちばん好きなところですね。僕は横光だと「春は馬車に乗って」とか「花園の思想」が好きですけれど、なんとなく、治道は「機械」のほうが好きそうだなと思いました。文学の中でも構造で読ませるもののほうが好きなんだろうという感覚です。だから実は、治道の小説の好みはおじいちゃんよりお父さんに似ている気がしますね。文章の情景的な美しさはそんなに理解するタイプじゃなかったと思う。それはモデルになっている堤清二もいえることで、彼が本当にアートが好きで理解する心を持っていたかどうかは、僕はちょっと懐疑的なんです。あの人も結局、お父さんや弟と一緒で、わりと構造の人だったんじゃないかなという気がしています。
――あと、やっぱり『葉隠』を読んでいるというね。刀が好きなら読むだろうという。
荻堂:今回、どうしても三島由紀夫を出せなかったんですよ。三島を出すと、この小説すぐ終わっちゃうんですよ。この小説を登山にたとえると、三島ってロープウェイなんですよ。三島出したらすごくはやく片付いてしまう。それでは面白くないんで、三島を使わずに、いかに三島がやっていることを別ルートで書くかとなった時、ギリギリ出せるのが『葉隠』でした。だから参考文献では本当の『葉隠』も三島が書いた『葉隠入門』も挙げています。
――建築業界の話なので、いろんな建築家の名前も出てきますね。
荻堂:丹下健三も出てきますが、構想している途中で偶然、僕が通っていた幼稚園が丹下健三が建てものだと知ったんです。そういう縁ってある程度大事にしたほうがいいかなと思って。それもあって建築方向でやっていこうかなと思いましたね。
――このインタビューは直木賞の発表から数日後に行っていますが、発表当日はどこで待ち会をやっていたのですか。
荻堂:雀荘で担当者と麻雀してました。『ループ・オブ・ザ・コード』ではじめて山本周五郎賞の候補になった時、まだ担当編集者も多くなくて、少人数で新潮クラブで待っていたんですが、手持無沙汰でやることがなくて。あれが嫌だったんです。何かやることがあったほうが気が紛れていいなと思いました。
――1日のうち、執筆時間は朝型ですか、夜型ですか。
荻堂:夜型ですね。夕方から書き始めて、2時くらいに寝ます。いっときは1日何時間書くか決めていたんですけれど、時間をかけても0字の時もあると思ったので、最近は1日原稿用紙で10枚、4000字くらい書くのを基準にしています。調子がよかったらもっと書く時もありますけれど。
――以前、「全ジャンルを書きたい」とおっしゃっていましたね。SFやミステリはもちろん、恋愛小説とかコメディとかも...。
荻堂:それは、引き続きそう思っています。コメディも、笑える小説ってやっぱめっちゃ難しいと思うんです。いつかやりたいですね。
――今後の執筆・発表のご予定は。
荻堂:今月から新潮社で出す小説を書き始めます。それは弱者男性を主人公にした「少女革命ウテナ」にするつもりです。それと、今年はポプラ社から新刊を出します。「若い層に向けてどうですか」と言われたんです。そういう本を書きたかったのでお引き受けしました。それが夏くらいに出ると思います。
(了)