
作家の読書道 第273回:荻堂顕さん
2020年に「私たちの擬傷」(単行本刊行時に『擬傷の鳥はつかまらない』に改題)で新潮ミステリー大賞を受賞、第2作『ループ・オブ・ザ・コード』が山本周五郎賞候補、第3作『不夜島(ナイトランド)』で日本推理作家協会賞受賞、第4作『飽くなき地景』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補と、注目度が高まり続ける荻堂顕さん。作家志望ではなかった荻堂さんが、小説を書きはじめたきっかけは? 国内外の愛読書とともに、来し方を教えてくださいました。
その3「名作を読み漁った高校時代」 (3/8)
――高校時代の読書生活は。
荻堂:自分の作風に影響しているものだと、高1の頃に読んだマイケル・シェイボンの『ユダヤ警官同盟』です。たしか年末の『このミステリーがすごい!』の海外編にもランクインしていましたよね。歴史改変SFなんですよね。これを高1の時に読んで、めちゃくちゃ衝撃を受けました。その頃は作家になろうとは思っていなかったですけれど、自分の『不夜島(ナイトランド)』も歴史改変SFだし、影響を受けていると思います。
昔からディックの『高い城の男』とかも好きだったので、自分は宇宙に行くようなSFよりも、社会派の歴史改変SFが好きなんだろうなと思う。
それと、中学時代に読んでいたライトノベルが橋渡しとなって日本の小説もわりと読みました。
――国内小説はどのようなものを。
荻堂:ブックガイドに沿って読むのが好きではなかったので、とにかく目についたものを選んでいました。あと、名作と言われているものを読もうと思ったので、谷崎潤一郎とか芥川龍之介とか、横光利一とか、菊池寛とか。やっぱり谷崎と横光が好きでしたね。どちらも文章が好きでした。それぞれ魅力が全然違うんですけれど。
谷崎で何か好きかと訊かれて『春琴抄』とか『痴人の愛』を挙げるのは、好きな映画を訊かれて「レオン」とか「グラン・ブルー」を挙げるようなものなので、僕はどちらも好きだけどちょっと恥ずかしいというか。もうちょっと奇をてらいたいというか。
――直球すぎるってことですかね(笑)。
荻堂:僕は谷崎だったら、『少将滋幹の母』か『人魚の嘆き』がすごく好きですね。『人魚の嘆き』は自分の元にとどめておきたいものを手放す話なんで、『春琴抄』とは真逆の内容で、谷崎の根底にはこういう一面もあるんだよと思うんで。『少将滋幹の母』は谷崎が書くお母さんと息子の話として気持ち悪いんですけれど、これを超える母と子の話ってない感じがしますね。
横光は基本的に短篇を書いていますよね。僕は「花園の思想」という短篇がいちばん好きです。たぶん、横光が好きだという人は「春は馬車に乗って」を挙げる人が多いと思うんですけれど、これはそれとほぼ一緒の話で、結末だけ違うんです。
――妻が病気で療養中で、という話なわけですね。
荻堂:そうです。まったく一緒なんですよ。でも、「花園の思想」のほうが気持ち悪さがないんですよね。ちゃんと人間を尊重した話なので。
横光が戦中に国粋主義者みたいになって、それで戦後の評価が低くなったという経緯に思いをはせながら「花園の思想」を読むと、この人は戦争がなかったらどうなっていたんだろうなと思う。この時代の人のことを考えると、やっぱり戦争は切っても切りはなせないんですよね。僕が『飽くなき地景』で第二次世界大戦後の話を書いたのは、戦中から戦後にかけて作品を発表していた作家について考える時間が多かったことが影響していると思います。
その頃、日本の現代作家も読んだりはしているんですけれど、やっぱり数は少ないです。っていう中で、高校の頃から読んでいて今もずっと好きなのは、小川洋子さんです。日本の作家でいちばん好きです。
――小川洋子さんは何から読みました?
荻堂:最初は、幼い時に『博士の愛した数式』を読みました。その後、『薬指の標本』とか『完璧な病室』とか『人質の朗読会』とかを読んで。『完璧な病室』は頻繁に読み返しているし、『人質の朗読会』もすごく好きですね。
小川さんの作品って、なんか不思議なんですよね。現代の作家っていろんなものに影響を受けているから、基本的に代替不可能な存在っていないと思うんですよ。でも、小川洋子さんって代替不可能なんですよ。ジェネリック小川洋子さんみたいな作家を挙げろといわれたらいるだろうけれど、小川さんの代わりになる人っていないんです。文章もそうだけれど、書き手の資質の問題という気がします。
デビュー前に一度、小川さんのサイン会だかイベントだかに行ったことがあるんです。僕はあんまり人に緊張することはないんですけれど、やっぱり緊張したというか怖かった。人間としてオーラを放たれていました。同じ意味で、湊かなえさんも授賞式の時にお会いした時に怖かったです。
――畏怖の気持ちが湧いたということですよね。一応申し上げておくとおふたりともお人柄はまったく怖くなくて、むしろとってもお優しいです(笑)。ところで、古典的名作を読もうと思ったのは、どうしてだったのでしょうか。
荻堂:ひと昔前のオタク的教養主義とか権威主義じゃないけれど、とりあえず一通り読んでいないと語っちゃいけない、みたいな感覚がずっとあるんです。面白い面白くない関係なく、とりあえず読んでおかなきゃ駄目だろうという感覚で読んでいました。今もその感覚は自分の根底にあって消えないんですよね。
――海外作品に対してもその感覚はありましたか。
荻堂:ありました。映画とかでよく引用されるからシェイクスピアは全部読んで、なおかつちょっと暗唱できないと駄目だろうと覚えたり。あとは、とにかく引用されることが多いのでダンテの『神曲』とかトーマス・マンの『魔の山』とかゲーテの『ファウスト』とか。
――引用が多いといえば聖書ですよね。
荻堂:聖書もちゃんとしたものを買った上で、「はやわかり聖書」みたいなものを読んでいました。僕がキリスト教徒ではないこともあるからか、聖書よりも岩波文庫の『コーラン』のほうが面白かったですね。文章が美しいし。ただ、『コーラン』も単独で読むのは不可能だったので、解説本みたいなものを併読してました。とにかく無知が恥ずかしいから読もう、という感じでした。
それが高校から大学にかけてですね。やっぱり受験がないっていうアドバンテージは大きかったです。
――受験勉強しなくていいから、そういうことに時間が費やせるという。
荻堂:そのかわり、世界史と日本史の知識がないんですよ。受験勉強で詰め込んだ人って、後になってもちょっと知識が残っているんですよね。僕はそれがないんで、世界でこれが起きた時に日本はどうだったか、というのがぱっと出てこないんですよ。今でも、もし海外の歴史ものを書くとなったら、時代をつかむのに時間がかかるだろうと思います。
――そういえば、時代小説って出てきてませんね。
荻堂:そうですね。山本周五郎は好きだったんですけれど、次に海音寺潮五郎を読んでそこで終わった感じです。
あ、でも山田風太郎を時代小説に入れていいなら、アニメで見て原作も読んだ『甲賀忍法帖』とか、『魔界転生』とかは好きでした。
――高校でも部活は入らなかったのですか。
荻堂:ずっと本を読んだり映画を観に行ったり、ゲームやったりしてたんですけれど、この生活を続けるとやばいだろうと思って。ラグビー部に入ったり、高校卒業するくらいから格闘技を始めたりとかしました。このままじゃ自分が怠惰になりすぎるというブレーキがかかった感じですね。
――なぜまたラグビー部に?
荻堂:友達が多かったので。結局最後までルールを覚えられませんでした。難しかったです。
――練習がめっちゃハードだったと思うのですが、それは大丈夫だったのですか。
荻堂:僕、反復が得意なんで。意味がないことを続けられないタイプの人っていると思うんですけれど、僕はそれができるんです。僕はボールを出すポジションで、ボールを投げてサッカーゴールのポールに当てるのを繰り返す練習があったんですね。綺麗に当たるとボールがちゃんと戻ってくるという。それを1時間とか2時間とか繰り返すのが全然苦ではなかったです。ただ、それが上手くなっても、試合で人に向けて投げるのとは感覚が違うのでラグビーはずっと下手くそでした。なんか、何事においても、そういう人生な気がします(笑)。
――格闘技というのは。
荻堂:ラグビー部には入ったけれど、別に球技は好きじゃないし、コーチにも嫌われていたし怪我も多かったのでどうしようかな、という頃に、WWEっていう海外のプロレスを見てハマって、自分でもやりたいなと思って。それで高校2年生くらいから身体を鍛えだしました。部活はさぼるわけにはいかないけれど、筋トレしていればOKなので。トレーニングルームというのがあって、部活に入っている生徒は鍵を借りられるんで、そこで筋トレしていました。
――反復運動は平気だから黙々とトレーニングに打ち込めるという。
荻堂:飽きなかったですね。
――プロレスを見るだけでなくやってみたいと思ったのは、やっぱり身体を使って何かやりたかったんですかね。
荻堂:演劇もよく観ていたんですけれど、それに通ずるものがあるんじゃないですかね。
僕は本当にひねくれていたんで、あんまり人と喋るのが好きじゃなかったんです。みんな嘘くさいなって思っていたんですけれど、プロレスって、台本があるとしても、身体でぶつかり合うところは本物じゃないですか。そういうのが好きだった感覚はあります。
――高校時代、本の情報を交換する友達はいましたか。
荻堂:いなかったですね。一人で読んでいました。昼休みとか授業中にも本を読んでいたので、仲がいい人は僕が本好きだと知っていたとは思います。
大学に進学する前、行きたい学部を第三希望まで出すんですよ。いくつかルールがあって、そのなかに文学部と文化構想学部は第一希望に書かなきゃいけないという謎ルールがあったんです。第二希望や第三希望にする人に来てほしくないのかもしれないけれど、僕はそんなルール要らないと思いますね。
僕は文化構想学部に行きたかったんで第一希望で書いて、その後内部進学で文学部と文化構想学部に行く人が集められた時に、周りに「なんでお前がいんの」みたいな顔をされたんですよ。そこにいる生徒たちは、「自分はちょっと本を読んでます」とか「映画観てます」って顔してるんですけれど、誰も僕ほどには読んでいないな、という気持ちでした。