
作家の読書道 第274回:白尾悠さん
2017年に「女による女のためのR‐18文学賞」の大賞と読者賞を受賞、翌年受賞作を含めた連作集『いまは、空しか見えない』で単行本デビューした白尾悠さん。幼い頃に自宅が図書室を開いていたこと、読書家のお姉さんの存在、大学時代のアメリカ留学、お仕事の変遷など、読書遍歴の背景には意外なエピソードがたっぷりありました!
その3「中学時代の読書」 (3/8)
――白尾さんは公立の中学に進んだのですか。読書生活はいかがだったでしょうか。
白尾:私は公立中学校に進みました。中学生の頃の読書は、やはり姉の影響が大きかったですね。新井素子さんの次に栗本薫さん時代がありました。「伊集院大介」シリーズや「ぼくら」シリーズが好きでした。伊集院先生はすごく好きで、自分で先生をイメージして絵を描いたりしていました。
あとは赤川次郎さん、筒井康隆さん。赤川さんは「三毛猫ホームズ」などのミステリーシリーズを読みましたが、本当に読みやすくてびっくりしたというか。筒井さんは『驚愕の曠野』が強烈に印象に残っています。今でもあれはベストワン級に怖い話だと思うんですよね。そんなに長くないのに、どんどん無間地獄の奥に落ちていくような内容で、逃げ場がなくて苦しくなる感覚になったのはあの本くらいです。筒井さんはもちろん『家族八景』の七瀬シリーズや『パプリカ』なども読みましたが、やっぱり真っ先に浮かぶのは『驚愕の曠野』です。
他には、姉が村上春樹さんの『ノルウェイの森』を持っていたので、中学生の時に一応読んだんです。先生に「読んだ」と言ったらすごくびっくりされました。でも正直、その時はまだ、内容はなにも分かっていなかったと思います。
――海外の小説は読みましたか。
白尾:姉がエンデの『モモ』が好きだったので、そこから繋がって『はてしない物語』を読みました。
それと、姉の本か母の本か憶えていないんですけれど、流行りものも結構家にあったんです。シドニイ・シェルダンの超訳の小説や、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』や『24人のビリー・ミリガン』なども読みました。『アルジャーノンに花束を』は文章でこんなことができるのかと思ったし、『24人のビリー・ミリガン』は多重人格の人の話で、自分の中の別人格に話しかけたりしているのを読んで、私のイマジナリーフレンドもこういう感じだったのかなと思ったりして。
それと、シルヴァスタインの『ぼくを探しに』がすごく流行っていたので読みましたね。あとから倉橋由美子訳だったことを知りました。
スティーヴン・キング原作の映画を観て、原作小説も読むようになったのも中学生時代でした。『ペット・セメタリー』も『スタンド・バイ・ミー』も『シャイニング』も『キャリー』も、全部映画からでした。『IT』のテレビシリーズも好きだったんですが、前篇と後篇の落差がありすぎて...。前篇はもう絶品で、本当に排水口が見られなくなるくらい怖かったんですが、後篇に出てくるペニーワイズの正体がしょぼすぎたんです。だからリブート版の映画で、最新の技術でいろいろやってくださっているのを観た時は「ありがとう」という気持ちでした。
――お話うかがっていると、怖い話やホラーもお好きなのかなあと。スプラッター系も好きですか。
白尾:「13日の金曜日」は楽しんで観ましたけれど、心理的にぞわぞわくる話のほうが好きでした。なのでヒッチコックの「サイコ」は素晴らしいなと思っていました。
――小説以外の本では、どんなものが好きでしたか。
白尾:漫画で自分で発見したのは、秋里和国さんの『それでも地球は回ってる』。構図としては3人の美形の男性と女の子という、ザ・少女漫画なんです。でもその男性3人が、それぞれナルシストとマザコンとマゾヒストという秘密を抱えている設定でした。話の帰結としては、人とちょっと違っていてもいいんじゃないか、っていうもので、今思うと先進的でした。他には、あだち充さんの漫画なども読みました。
それと、中学の時に読んだ本で強く印象に残っているのが、母から薦められた藤村由加さんの『人麻呂の暗号』です。柿本人麻呂の詩にこめられている暗号を解いていく内容です。中学校で『奥の細道』の序段を憶えたりして、短歌や俳句を知り始めた時期だったので面白く読みました。
――柿本人麻呂の歌には、暗号が潜んでいるんですか。
白尾:その本の説を信じるなら、潜んでいました。『万葉集』の「東の野にかきろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」という歌などは、日の入りの情景を詠んでいるようで実は夭逝した皇子がそこにいるように読み解ける、とか。遊び女が沈められているように読み解ける、みたいな歌もありました。柿本人麻呂が言葉の天才だったというのは間違いないんだなと思いました。
――小中学生時代、国語の授業は好きでしたか。
白尾:小学生の頃は音読が得意だったので、結構いい気になっていました。読書感想文も得意でした。こういうところに感動しましたとか、こういうところに気づきを得ました、と書けばいいんだなと思っていました。それを、小学校の同級生に指摘されたことがあったんです。その子も感想文が得意だったんですけれど、「先生受け狙ってるよね」と見透かされました。
中学生の時だったか、灰谷健次郎さんの『太陽の子』で感想文を書いた時だけは、ちゃんと書けました。沖縄に行った実体験も交えて、本当の感想が書けたなと自分でも思いました。
――沖縄に行ったというのは。
白尾:中学生の時、母が、二番目の姉と私を連れて行ってくれたんです。うちは離婚家庭なのでその頃父はいなかったし、いちばん上の姉は部活で忙しかったのかな。ひめゆりの塔はすごい体験でした。資料館で生存者の方がお話をしてくださって、涙が止まらなくて。そういう体験を含めて感想を描いたら賞をいただきました。
――中学生になっても油絵は続けていたのですか。
白尾:中学1年でやめました。油絵は月に2回、日曜日に通っていたんですが、バスケ部に入ったらその練習日と重なっちゃったりして。先生のアトリエも最初は家の近所にあったんですが、建物のオーナーがカフェにすると言うので、先生の埼玉県のご自宅のアトリエで続けることになって。しばらく埼玉に通っていたんですが、片道40分はかかるし、行くと5時間はずっとそこで描いているので、両立がきつくなりました。それに、自分に絵の才能がないということもはっきり分かったんです。中学にもっとすごい子が2人くらいいて、1人はその後プロになりました。
――バスケ部に入ったのはどうしてですか。
白尾:二番目の姉がやっていたんです。姉はキャプテンで、私も後にキャプテンになりました。私はぜんぜんいい選手じゃなかったですが、高校までずっとやっていました。
――振り返ってみて、自分はどういう子供だったと思いますか。
白尾:いやらしいほど先生受けがいい子だったんです。経済的に都立高に行かねばならないから内申を取ろうと思って、学級委員をやって生徒会役員をやって、バスケ部でキャプテンをやって...。小学校の頃から仲良かった女の子が、本当に絶世の美少女だったんです。少女モデルで、CMとかにも出ていたんですね。私はその子のナイトなような気持ちでいました。中学生になって彼女が好きな男の子のことで騒いだりすると、「え、私のほうが格好よくない?」って思っていました(笑)。
ただ、中学時代の後半は家族が別れちゃったりして周囲と話が合わなくなったり、騒いでいる子たちが子供っぽく見えたりして、学校にあんまり行かなくなりました。出席日数を計算して、母のふりをして学校に電話をして「今日は体調が悪いので」と言って、適当にさぼっていました。
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