
作家の読書道 第274回:白尾悠さん
2017年に「女による女のためのR‐18文学賞」の大賞と読者賞を受賞、翌年受賞作を含めた連作集『いまは、空しか見えない』で単行本デビューした白尾悠さん。幼い頃に自宅が図書室を開いていたこと、読書家のお姉さんの存在、大学時代のアメリカ留学、お仕事の変遷など、読書遍歴の背景には意外なエピソードがたっぷりありました!
その7「小説を書き始める」 (7/8)
――その後、フリーランスになられましたよね。小説を書き始めたきっかけは?
白尾:体を壊して会社を辞めてフリーランスになりました。会社にいる頃に頸椎の椎間板ヘルニアになって、首にコルセットをして仕事して、お昼の1時間は横になっているという生活を1年ほど続けていたんですが、もう無理だとなって辞めました。本当は1年くらい休もうと思っていたんですが、辞めてわりとすぐに震災があって、これは休養していられないと思って。ディズニーの頃のボスが先に独立していたので、「何かお手伝いすることはありますか」と訊いて、辞めて半年もたたないうちにフリーランスで仕事を再開しました。
そのなかで、やっぱり物語を作りたいなと思って。まだディズニーにいた頃に、シナリオセンターの短期講座を受けてみたりもしてみたんです。シナリオも面白いと思ったんですけれど、小説の方が合っている気がしました。それで山村小説教室に通い始めたんです。半分幽霊部員みたいな感じだったんですが、わりとすぐ「女による女のためのR-18文学賞」の最終候補になったんです。それは受賞しなかったんですけれど。
――どうして応募先にR--18文学賞を選んだのですか。
白尾:短編で、Webで応募できるというのがいちばんの理由でした。自分に長篇が書けるとは思っていませんでした。本当は小川洋子さんのような純文学に憧れもありましたが、それは無理だなと思いましたし。
最初は、自分に近いキャラクターで書いてみたんです。最終候補に残ったのは、『ゴールドサンセット』の第二章にある、失業寸前の女性が、演劇をはじめた叔母と台本を読む話でした。私の母が芝居をはじめて、練習につきあって二人で台本を読むことがあったので、あの不思議な感じを小説にしてみたら面白いんじゃないかと思いました。それは受賞はしなかったんですけれど、選考委員の辻村深月先生と三浦しをん先生から素敵な選評をいただいて、これはいけるかもしれないなとなって、また応募しました。
――白尾さんが2017年にR-18文学賞の大賞と読者賞された作品は、山梨県に住む女の子たちが、それぞれ訳あって東京に行く話ですよね。『いまは、空しか見えない』の冒頭の短篇「夜を跳びこえて」(応募時のタイトルは「アクロス・ザ・ユニバース」)です。
白尾:R-18文学賞は一人3篇まで応募できるんですが、私はその時2篇応募したんです。後から、「どちらを最終候補に残すか迷いました」と言われたんですけれど、ひとつは50代の女性が旅先で出会う風景を描こうとしたものでした。アメリカにいた頃、人類学でネイティブアメリカンの研究もやっていて、それで南西部に行ったことがあるんです。砂漠の真ん中の道をバスで走っていた時に、左右に月の入りと日の出が同時に見えるという、すごく素敵な景色を見て。あの景色を描きたいがためにその話を書きました。もうひとつが大賞になった短篇なんですが、あれも友人との旅が心に残っていたので書いたんですよね。全然タイプの違う女の子同士が同じバスに乗りあわせる景色ははじめから頭にありました。この短篇では性暴力の被害についても書いていますが、自分の身近で同じようなことがあったんです。性暴力は許せないという気持ちと、被害を受けた友人に適切な言葉をかけられなかったという思いがあったので、その人にかけたかった言葉を記すために書いたところもあります。
――受賞が決まってから、これを連作にしましょうという話になったのですか。主人公と周囲の人の人生模様が描かれていきますよね。
白尾:そうですね。連作を想定して書いたわけではなかったのですが、自分でもそれがいいなと思いました。
――そういえば、あの主人公の女の子って、めちゃめちゃホラー映画が好きですよね(笑)。
白尾:そうなんです。あの本が出た時にインタビューで「ホラーが好きなんですね」と訊かれて、「いえ、そこまででもないです」と言っていたんですが、今日お話ししていて、結構ホラー作品が挙がっていることに気づきました(笑)。
――映像関連の仕事は、フリーランスでどんなことをされていたのですか。
白尾:最初に関わったのが、フレデリック・バックというアニメーション作家の巨匠の展覧会でした。ディズニーにいた頃、ディズニー・アート展やディズニー・スタジオで活躍した女性アーティストのメアリー・ブレア展にネット施策のプロデューサーとして関わった経験があるので、それでバック展もお手伝いするチャンスをいただきました。そこから元ボスがいろんなところに繋いでくれたんですが、病気があるので、正社員ではなくフリーの形でやらせてもらうようになりました。
――2018年にデビュー作『いまは、空しか見えない』を刊行されたあと、2020年に刊行されたのが、さきほども話に出た留学体験をベースにした長篇『サード・キッチン』。2022年に刊行された『ゴールドサンセット』は、中高年限定の劇団のメンバーと、彼らに関わる人々を描く連作集です。さきほど白尾さんのお母さんがお芝居をはじめたというお話がありましたが。
白尾:母は女性協会みたいなところで準公務員としてずっと働いていて、定年退職してから劇団に入ったんです。退職してこれからどういう仕事をしていこうかなと思っていた時に、蜷川幸雄さんが〈さいたまゴールド・シアター〉という55歳以上限定の演劇集団を立ち上げるということで、劇団員を募集されていたんです。母は蜷川さんの舞台を観ていたので、「面接までいけば蜷川さんに会えるかもしれないから記念受験してくる」みたいな感じで受けて、通っちゃったという。いろんな人を採用したそうなので、母に似たタイプが他にいなかったんじゃないかなと思います。実際には商業演劇経験者が半分くらいいて、やっぱり実力が全然違うので、母はあまり役はもらえていなかったです。ただ、そこから母は劇団で本格的なトレーニングを積んだんですよね。発声からダンスから日本舞踊から学んで、劇団が解散したあとは色々なオーディションに挑戦して、この間も舞台に出ていました。
――すごい! 白尾さんもお母さんと一緒にお芝居はよく行かれたのですか。
白尾:小さい頃はそこまで頻度は高くないけれど、わりと連れて行ってもらいました。最初に見た舞台は唐十郎さんの作品だったし、劇団四季の「CAT'S」や、「屋根の上のバイオリン弾き」も観たし。いちばん印象に残っているのはブロードウェイから来日した「サラフィナ!」という舞台で、南アフリカで学生たちが人種差別に対して立ち上がったソウェト蜂起の話でした。
母のおかげで戯曲も読むようになりました。『ゴールドサンセット』に出てくるチェーホフとか、清水邦夫とか。シェイクスピアなども改めて読みました。
――『ゴールドサンセット』は内野聖陽さん主演でWOWWOWでドラマ化されましたね。
白尾:プロデューサーさんが書店で本を見つけて読んでくださったらしくて。監督の大森寿美男さんに「これ面白かったから」と渡してくださって、大森さんが「やりたい」と言ってくださったんです。内野聖陽さんはもともと文学座で演劇畑の方ですし、最高でした。
――2024年刊行の『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』はコレクティブハウスが舞台の連作集。コレクティブハウスとは、北欧からはじまった新しい生活スタイルで、住人たちが管理し協働していくという。集合住宅の中に住民同士が交流する共有スペースやキッチンがあったりもする。ただ、シェアハウスとはまた違うんですよね。
白尾:これも母ネタなんです。私も以前から日暮里にある「かんかん森」というコレクティブハウスのことは知っていたんですが、母もずっと興味を持っていて。コロナ禍で実家じまいをしたのを機に、母は別のコレクティブハウスに入居して、すごく楽しそうに生活しています。
――作品では、各章で主人公を替えながら、コレクティブハウス「ココ・アパートメント」に暮らす人たちそれぞれの事情や生活が描かれていく。隣人同士がほどよく距離を保っているところが心地よくて、こういう暮らし方もあるのかと思いました。それと、住人の一人で"生活の達人"と呼ばれている七十代の康子さんの章は、波乱万丈の人生の物語で、そこだけで一冊の本のような読み応えでした。
白尾:康子さんに関しては、父ネタがちょっと入っています。父は福島に移住して旧帰宅困難区域でNPOをやっているんです。もともと父は物理学で博士課程まで行ったんですけれど、学生運動で退学して、その時の研究仲間がいろいろな大学に散らばったていたんです。震災があって、被災地の放射線の濃度など分からないことが多いとなった時、父は科学の力で何ができるかやってみようと言って何人かと福島に行き、その後移住したんです。事故当時は若い人でなく自分たち年寄りが行くべきだ、みたいなことを言っていました。現地の農家の方と一緒に、村内の放射線量を測ったり、除染実験をずっとやっています。反原発の人もプロ原発の人もオールウェルカムで、一緒になにができるか考えようという姿勢です。『飯舘村からの挑戦』という本も書いています。
父はもうあの土地に骨を埋める気でいて、話をいろいろ聞いていると小説に書けるものがたくさんあるなと感じるんですね。そうしたら父が、現地のコミュニティの皆さんが高齢になってきて、もうあまりお話を聞けるチャンスがないから一回話を聞きに来たらどうかと言ってくれたんです。それで1か月くらいNPOの宿泊施設に滞在して、女性たちにインタビューをさせてもらいました。その地域は昔から先進的な試みをしていて、80年代に女性たちが海外研修に行ったりしているんです。その体験記を読ませてもらって、面白いなと思って。今回は康子さんの人生背景として少しだけ入れましたが、いずれちゃんと書きたいなと思っています。
――デビュー前後の読書生活はいかがですか。
白尾:作家を職業として意識しはじめた頃から米原万里さんを読むようになって、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』などが好きです。多和田葉子さんも好きですね。『容疑者の夜行列車』とか。二人称小説への憧れがあるので、倉橋由美子さんの『暗い旅』なども好きです。
山尾悠子さん、佐藤亜紀さん、皆川博子さんも大好きです。山尾さんは『ラピスラズリ』、佐藤亜紀さんは『天使』シリーズ、皆川さんは『死の泉』とか。
それと、じつは投稿時代にボイルドエッグズ大賞に応募したことがあるんです。昨年お亡くなりになった、ボイルドエッグズの代表だった村上達朗さんが選評をくださって、その時に私の小説がほしよりこさんの『逢沢りく』を思わせると書かれてあったので、それを読んだりもして。
――『逢沢りく』は、両親の愛情を感じられずに育った14歳の少女が、一時的に大阪の親戚の家に預けられるというコミックですよね。号泣した記憶があります。
白尾:そうですよね。そういえばその時に、村上さんにレイモンド・チャンドラーを読んだほうがいいよと薦められて、フィリップ・マーロウものの『さらば愛しき女よ』とかを読みました。
「作家の読書道」きっかけで読んだのはリチャード・ブローティガン、マーガレット・ミラー、イアン・マキューアン...。ブローティガンは『西瓜糖の日々』、ミラーは『殺す風』、イアン・マキューアンは『贖罪』などが好きです。
それと、これまでちゃんと読んでいなかった作家をちゃんと読もうと思って、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』やフローベールの『ボヴァリー夫人』とかも読みました。
あとはマーガレット・アトウッドですね。小説もドラマも大好きです。『侍女の物語』をドラマ化した「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」がHuluで配信されていますが、最終シーズンをすごく楽しみにしています。『侍女の物語』の続篇の『誓願』も映像化されるらしいので楽しみです。『獄中シェイクスピア劇団』も好き。相変わらず、自分は遠いところに行く小説が好きなんだなと感じます。
最近読んだなかで印象に残っているのは、映画の「関心領域」の原作小説です。タイトルは同じで『関心領域』なんですけれど。
――アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣に暮らす所長と、その家族の話ですよね。映画では、隣から煙が立ち上り、時折叫び声や銃声が聞こえてくるのに家族たちが平然と暮らしている様子が主に描かれていました。
白尾:映画と原作は全然違うと聞いていたんですが、本当に違いました。もっと所長の妻の内面が描かれているし、映画とは違うキャラクターも登場するんです。映画は映画であのビジュアルとか音の使い方がすごかったですよね。
――いま、一日の執筆時間などのリズムはどんな感じですか。
白尾:本当はちゃんと朝起きて朝食をとってから書き始めて...というふうにやりたいんですけれど全然駄目です。夜にスイッチが入ってしまったりして、不規則です。