
作家の読書道 第274回:白尾悠さん
2017年に「女による女のためのR‐18文学賞」の大賞と読者賞を受賞、翌年受賞作を含めた連作集『いまは、空しか見えない』で単行本デビューした白尾悠さん。幼い頃に自宅が図書室を開いていたこと、読書家のお姉さんの存在、大学時代のアメリカ留学、お仕事の変遷など、読書遍歴の背景には意外なエピソードがたっぷりありました!
その4「高校時代の読書と留学準備」 (4/8)
――高校は都立に進学して、バスケ部で。読書生活は。
白尾:引き続き姉の本棚をあさっていました。高校時代はもう、宮部みゆきさんですね。衝撃的に面白くて、眠るのも忘れて読むという経験ははじめてでした。ちょうど『火車』が人気の頃でした。『パーフェクト・ブルー』などの元警察犬マサのシリーズがすごく好きでした。あとは『レベル7』、『龍は眠る』...どれも本当に寝食を忘れて読みました。
バスケ部の人たちと海に遊びに行った時に、ゲームをして負けた人が砂浜に好きなものを書かなきゃいけないことになって。たぶんみんなは、好きな人を書くものだと思ってやっていたんですけれど、私は負けて「宮部みゆきの本」と書いた記憶があります(笑)。
あとは乃南アサさん、小池真理子さん、宮本輝さん、山田詠美さん、吉本ばななさん、原田宗徳さん...。乃南アサさんは『凍える牙』が好きでした。小池真理子さんはホラーが好きで、『墓地を見下ろす家』をよく憶えています。山田詠美さんは『僕は勉強ができない』をはじめて読んだのかな。姉の本棚にほぼ全作品ありました。山田さんが編者をされた『せつない話』というアンソロジーがあって、その「第2集」にカポーティの「誕生日の子どもたち」という短篇が入っていたんですよね。それが衝撃を受けるくらいよくて、山田さん経由でカポーティも読むようになりました。
宮本輝さんは『錦繍』『ドナウの旅人』などから入り、家にあったものはすべて読みました。吉本ばななさんは当時、みんな読んでいましたよね。『キッチン』とか『TUGUMI』とか。その後アメリカの大学に入った時に、日本語の先生が『キッチン』を英訳された方で、すごく話が盛り上がりました。
それと、やっと村上春樹さんが面白いと分かってきたんです。中学生の時は分かったふりをしていただけですが、『羊をめぐる冒険』は留学の準備をしている高校3年生の時に英訳でも読んだりしました。
学校の課題で夏目漱石の『こころ』を読んで、それも衝撃的な面白さでした。それと、向田邦子さんの『思い出トランプ』です。向田さんは他の作品もすごく好きですけれど、これが私にとって今でも大事な一冊です。
――どこにそこまで惹かれたのですか。
白尾:最適な書き方というか。人物表現、展開、台詞、心情の描写も含めて、すべてに過不足がなく品格がある感じがしました。劇的なことが起きるわけでないけれど後を引く、何度読み返しても味わえる短編集だと思いました。
ノンフィクションでは沢木耕太郎さんの『深夜特急』ですね。それと、母が仕事でDVなどの対応をしていたので、トリイ・ヘイデンの『シーラという子』なども読みました。
あと、姉が『ソフィーの世界』を持っていたんです。読んだら止まらなくなって、哲学をやってみようかなと思うくらい面白かったです。
――大学はアメリカに留学されたんですよね。なぜ留学を考えるようになったのですか。
白尾:理由は複合的です。私はそんなすごく勉強するタイプではなかったので、ちゃんと勉強したいなというのがありました。高校がそれなりに進学校だったので大学の推薦は取れたんですけれど、そのまま行ったら本当に私、なにも勉強しないアホな大学生になると分かっていたので。大学に行くからには勉強をしよう、というのがまずひとつありました。それと、うちは父方の祖父母が二人とも留学していて、アメリカで出会っているんですよ。父は大学在学中に祖父が亡くなったので留学は経済的に無理だったようで、母は母で学生の頃は女の子だから留学は駄目だと言われたようです。でも母は、娘3人を連れてカナダに行こうとしていたんです。最後の最後で予定していたポジションがなくなったかなにかで行けなくなってしまって。そういうことにも、影響は受けていたと思います。うちは両親2人とも、子供たちに対して高校までは公立で、大学はどこに行って何をしてもいいという考え方だったので、じゃあ留学してもいいのかな、と思うようになりました。
もうひとつの理由として、中学生の時に広島の体験学習に参加したことがあります。中学生が広島に2泊3日で行って、現地でいろいろ調べたりして自由研究をするという。そのときに私のチームは、原爆資料館から出てくる外国人にアンケートを取ったんですね。その時にはじめて実践で英語を使いました。アンケートの最後に「原爆投下は正しかったと思いますか」と質問したら、全員が「イエス」でした。それが衝撃でした。その時の自由研究では、『サード・キッチン』で書いたような、日本に強制連行された在日朝鮮系の人たちの被爆問題も調べたんです。そうしたことも留学の一因でした。
――白尾さんの『サード・キッチン』は、その留学体験をベースにした小説ですよね。
白尾:『サード・キッチン』のなかでは主人公の父親が英語を教えてくれるんですが、私にとってそれは祖母でした。小学校に入る前は隣に住んでいたので、よく祖母の家で過ごして、簡単な英会話を教えてもらったりして。
学校の英語の勉強は若干苦手でしたが、授業自体は面白くはあったんですよね。授業で『マクベス』やラフカディオ・ハーンを読んで、英語で読んでも面白い話は面白いんだなと思いました。でも、英語の先生に留学先への推薦文を頼みに行ったらすごくびっくりしていました。「そんなに英語好きだったけ」って(笑)。
――留学先はどのように選んだのですか。
白尾:TOEFLを受けなきゃいけないんですが、たまたま近所にそれを専門で教える塾があったので、そこでいろいろ聞いたり、父の知り合いが留学情報誌に関わっていたので向こうの学校の情報をくれたりして。
問題は自分の英語の成績でしたが、SATという向こうのセンター試験みたいなものを受けておくと有利になると言われたんです。日本人は数学が得意なので、問題文の意味さえ分かれば数学の成績はとれるよと教えてもらい、それでなんとか点数を稼ぎました。提出するエッセイでは課外活動が重視されると聞いて、部活をがっちりやっていたこととかを書いて。うちの学校は文化祭で全員で映画を作るんですが、私はその脚本を書いて一応学年で一番だったので、それをさもすごいことかのように書いたりしました。
――全員で映画を作ったのですか。
白尾:文化祭で、1年生は研究発表して、2年生は演劇をして、3年生は映画を作るのが伝統だったんです。2年生の時から映画の準備ができるように、3年進級時はクラス替えしないという学校でした。昔はぴあフィルムフェスティバルに入賞するくらいのレベルの映画もあったらしいです。それで、2年生の終わりくらいから役割を決めていくんですが、私は留学するので受験のタイミングがみんなと違って、夏が本番になってしまうんですね。夏の撮影にあんまり参加できないから脚本を書くことになったんです。
――どんな脚本を書かれたんですか。
白尾:星新一さんの『かぼちゃの馬車』と『笑ゥせぇるすまん』を足して薄めたような(笑)、ダークな内容でした。怪しい人が売っている薬によって女の子が綺麗になっていくんですが、実は薬自体に効果はなく、薬を売らせていたのはクラスメイトで、最終的には薬が切れたと思い込んだ女の子が元に戻ってしまうという話です。