作家の読書道 第280回:城山真一さん
2015年に『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』で第14回このミステリーがすごい!』大賞を受賞、その後ドラマ化もされた『看守の流儀』などで、ミステリーと人間ドラマを融合させてきた城山真一さん。小学生の頃はあまり小説を読まなかったという城山さんが、その後どんな作品と出会い、小説家を志すことになったのか。小説以外の好きなものも含めて、たっぷりおうかがいしました。
その1「3つの読書の記憶」 (1/9)

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- 『ゲームセンターあらし(1) (てんとう虫コミックス)』
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- 『怪物くん(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)』
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- 『プロゴルファー猿(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)』
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- 『まことちゃん(1) まことちゃん〔セレクト〕 (少年サンデーコミックス)』
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- 『タッチ 完全復刻版(1) (少年サンデーコミックス)』
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――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。
城山:その質問を受けると思っていろいろ思い返していたんですけれど、小学校低学年の頃の記憶が3つほどあって、どれがいちばん古いのか分からないので3つともお話ししますね。
まず、古い日本文学全集の『芥川龍之介集』。これは父の本棚にありました。僕の父は高校を卒業してから石川県を離れて、10年間ほど東京で仕事をしていて、28歳の時に石川県に戻ってきたんです。東京にいた頃にその日本文学全集を買って読んでいたらしいのですが、石川に戻る時に荷物が多かったので、いちばん好きだった『芥川龍之介集』だけ持って帰ってきたんです。父は全然本を読むようなタイプには見えなくて、そんな父が唯一東京から持って帰ってきた『芥川龍之介集』とはどんな本はなんだろうと興味がわいて。本棚から引っ張り出してページを開いてみたら、小学生でも読める文体で内容もおとぎ話に近いような話でしたので、すぐに引き込まれました。印象に残っているのは、「杜子春」と「蜘蛛の糸」。最初は童話として読んでいたんですが、人間のエゴを書いているようなところはインパクトがあって面白いなと。なかでも「杜子春」のオチは印象に残っています。仙人の弟子になろうとした杜子春が、いろんな試練にあう間、口をきいてはいけないと言われて、でも最後に親が殺されそうになって声を出すんですよね。すると仙人が「お前が黙っていたら殺すつもりだった」と言うところ。じゃあ仙人ははじめから弟子にするつもりなんてなかったってことなのか、と思って。それが引っかかる部分でもあり、面白いなと思ったところでもありました。
――2つめはなんでしょう。
城山:「コロコロコミック」です。僕、当時の「コロコロコミック」をまだ持っていまして(と、モニター越しに見せる)。
――めちゃくちゃ綺麗に保管されてますね!
城山:いまも大事な宝物です。当時の漫画で好きだったのは『ゲームセンターあらし』『怪物くん』『プロゴルファー猿』......。僕はわりと絵や漫画を描くのが好きで、「コロコロコミック」を見て、キャラクターはそのままに自分で新しい話を作って漫画を描いていた記憶があります。
「コロコロコミック」以外では、『ブラック・ジャック』『まことちゃん』。『ブラック・ジャック』は少年漫画のはずなのにどこか大人向きで絵の禍々しい雰囲気にも惹かれて。『まことちゃん』はあの絵のタッチの怪しい感じが好きでした。あとは漫画なら『タッチ』や『銀河鉄道999』も好きでしたね。
――城山さんの『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』では、主人公が投資の黒女神から『ブラック・ジャック』のピノコをもじって「ピノ太」と呼ばれますよね。やはり『ブラック・ジャック』はお好きだったんですね。
城山:そう言われれば、書いている時に潜在的な何かが出てきたのかもしれません(笑)。あと漫画でいうと、『プロレススーパースター列伝』は全17巻、今でも持っています。
――プロレスがお好きだったんですか。
城山:そうなんです。それが3つ目の本の話に繋がるんですが、「月刊ビッグレスラー」というプロレス雑誌があって、これがもう小学生の頃から大好きで。熱中して読み、バックナンバーも注文して取り寄せていました。新日本プロレスの大ファンで、長州力と藤波辰爾の「名勝負数え唄」とか、初代タイガーマスクの「四次元殺法」にハマって。この雑誌はグラビア部分だけじゃなくて、記者のコラムも熟読していました。
――テレビでプロレス中継も見ていたのですか。
城山:週1回の新日本プロレスの中継が楽しみで、古舘伊知郎さんの実況をよく真似してました。それで今思い出しましたが、架空の試合を自分で組んで、古舘さんの実況を真似た小説っぽいものを書いていた記憶があります。
当時は新日本プロレスと全日本プロレスがあったんですが、なぜ新日本プロレスが好きだったのかというと、裏切りとか下剋上とか、いろんなストーリーがあったんです。僕は試合そのものよりも、今週は何が起きるんだろうっていう、物語性があるところをすごく楽しみにしていたように思います。
僕の生まれ故郷は石川県の七尾市というところで、高校を卒業するまで住んでいました。住んでいる時は気づきませんでしたが、振り返れば娯楽が少ない町だったなと。民放のテレビ局はTBS系列とフジ系列の2局しかなくて、FMラジオはNHKしかない。なのでテレビばっかり見ていました。「8時だョ!全員集合」とか「クイズ100人に聞きました」とか。
封切映画館もなくて、夏休みにはちょっと遅れて公開される「ゴジラ」とか「ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団」とかを観ていました。
――小学生時代、他に小説は読みましたか。
城山:高学年の頃に夏休みの課題図書で『吾輩は猫である』とか、そういったものを読みましょうと言われるんですが、正直、僕にはちょっと難しくって。そういうこともあり、あまり自分から小説に手を伸ばすということはなかったですね。
――どんな子供だったと思いますか。
城山:子供が多い時代ですから集団で遊ぶことが多かったんですけれど、ガキ大将タイプではなくその他大勢でもなく、しいていえば、ガキ大将に唯一従わないタイプというか。たとえばガキ大将が「みんなであれをやろう」みたいなことを言っても、「俺はいいわ、ちょっと家帰って漫画読みたいし」なんてことを言う感じの子供でした。





