作家の読書道 第282回:友井羊さん
2011年に少年が原告となるリーガルミステリ『僕はお父さんを訴えます』で第10回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞、翌年同作を刊行しデビューした友井羊さん。 その後『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』シリーズをはじめ料理ミステリで人気を博し、かと思えば実際の冤罪事件を扱った骨太な作品『巌窟の王』を発表。硬軟自在の作風はどのようにして生まれたのか。その読書遍歴や小説家になった経緯をおうかがいしました。
その3「学生時代の論理学、芸術学、漫研」 (3/9)

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- 『魔法使いの願いごと (講談社タイガ)』
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――高校卒業後、東京の大学に進学して実家を離れたわけですね。
友井:そうですね。一人暮らしもしてみたかったですし、合格した大学も東京だったので。
――どの学部で何を専攻されたのですか。
友井:自分が内向的な子どもだったこともあり、心理学とか、そういったものをやりたい気持ちがあって。結局、國學院大學の文学部哲学科に進みました。
――哲学関連の本もいろいろ読まれたのでしょうか。
友井:論理学の授業で、『哲学ファンタジー』という本を教科書として買ったんですけれど、それがいわゆる論理パズルというか、「正直者の村と嘘つき者の村」みたいな、論理学で遊ぶ的なコンセプトの本だったんです。
――相手が嘘つき者か正直者か分からない時に、どういう質問をすれば正解が導き出せるか、みたいなパズルですよね。そういう感じのことが書かれている本だったわけですか。
友井:そうです。その本がすごく好きで、何回も読み返しましたし、大学時代に買った本では、それがいちばん、いまだに読み返したくなります。その頃から、そういう論理的なものが好きになっていきました。
ただ、大学では途中でちょっとコースを変えて、哲学科の中でも美学・芸術学のほうに進みました。絵画のことや、人がなぜ美しいと思うかとか、絵画の言語化などを学びました。
――人がなぜ美しいと思うかというのは、絵のアングルとかバランスのこととか?
友井:それもありますし、たとえば静物画だと、配置された物にどういった意味があるのか、とか。その頃に読んだ本で印象に残っているのは、種村季弘さんが書かれた『謎のカスパール・ハウザー』ですね。生まれてからずっと暗闇の中で過ごしてきた人物の実話で、急に日の光の下に放り出されると、そばにあるものを手で触れた時の知覚と目で見た時の知覚が接続できなかったという。そういった知覚の接続はプロセスを経て身につくことだ、ということが印象に残っていました。『魔法使いの願いごと』という小説を書いた時、美しいということの定義について触れましたが、あれは大学で学んだことから着想を得た作品でした。
――友井さんは、作品でも論理的な説明がお好きな気がします。
友井:それはありますね。『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』とか『放課後レシピで謎解きを うつむきがちな探偵と駆け抜ける少女の秘密』なんかは、料理という漠然としたものを科学で説明するところが、自分に合っていたので取り入れたんです。それはやっぱり、昔から論理学が好きだったことと繋がっている気がします。
――料理ものも多く書かれている友井さんですが、大学生で一人暮らしになった頃に自炊をはじめたのですか。
友井:料理はその頃に一から憶えていきました。料理本も買いましたが、その頃はまったく料理ができなかったので、絵と文章だけのレシピの本はさっぱり分からなかったです。やっぱり写真がないと難しいですね。
――大学時代まで漫画家になりたいと思っていたということでしたが、その頃何か行動は起こしたのですか。
友井:漫研に入って、ようやく漫画を描き始めました。ちゃんと話を考えて、コマを割って描くようになりました。
内容はほとんど憶えていないんですが、日常的なものとか、ファンタジーとか。ちょっといい話のものが多かったです。アクションは絵が描けなかったし、自分は日常の景色を描くのが好きだったので。
――サークルの会報誌などに当時の作品が残っているのでしょうか。
友井:残っていますねえ。それは本名で掲載しているので、探しても見つからないと思います(笑)。実家にも何冊かたぶん残っています。
――ご自身でストーリーを考えるのは楽しかったですか。
友井:楽しくはありましたね。内輪で発表するものにしても、自分の作った物語が人に読まれるのは、恥ずかしくもありましたが、すごくいい体験でした。
――漫画をどこかに応募したり持ち込んだりしたことはありますか。
友井:大学卒業後に1回持ち込んだことがあって、あまり芳しくなかった記憶が...。そもそも、なかなか作品を完成させることができなかったんです。たぶん絵を描く適性がなかったのかなと。



