作家の読書道 第282回:友井羊さん
2011年に少年が原告となるリーガルミステリ『僕はお父さんを訴えます』で第10回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞、翌年同作を刊行しデビューした友井羊さん。 その後『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』シリーズをはじめ料理ミステリで人気を博し、かと思えば実際の冤罪事件を扱った骨太な作品『巌窟の王』を発表。硬軟自在の作風はどのようにして生まれたのか。その読書遍歴や小説家になった経緯をおうかがいしました。
その8「新刊『巌窟の王』を書くきっかけ」 (8/9)
――『巌窟の王』は、実在の冤罪事件に基づいた小説です。1913年、名古屋の硝子職人、岩田松之助は身に覚えのない強盗殺人の罪で逮捕される。他の被疑者の男たちが彼を主犯だと虚偽の主張をしたんですよね。結果、21年にもわたる獄中生活を強いられることになりますが、彼は無実を主張し続けます。冤罪事件は他にもありますが、この事件、この方を書きたい、と思ったのですか。
友井:はい。資料を読んで、モデルとなった吉田石松さんを書いてみたいと思いました。苛烈で、まっすぐな人で、そこに惹かれました。偉業を成し遂げたにもかかわらず、歴史のなかに埋もれてしまった人物なので、僕の手で光を当てたいとも考えました。
――そもそも『無実の君が裁かれる理由』を書かれた時点で、冤罪というものに興味があったのですか。
友井:そうですね。冤罪に限らず、いろんなミステリを書いている時にごくごくシンプルに感じるのが、目撃証言って大丈夫なのか、など捜査に関する細かい疑問でした。実際の裁判では信頼性は低いようですが、ドラマとかでは目撃証言がかなり重要な証拠として取り上げられてストーリーを左右する。そういうのを見ていると、翻って自分が目撃証言を求められて、何月何日になんとかを見ましたか?と訊かれても、絶対に断言できないと思ってしまうんですよ。
目撃証言は信用できるのか?ということからはじまって、冤罪がなぜ起きるのか、そのメカニズムを自分のために知りたいと思ったんですね。プラス、人間がどんなにいい加減かということと、冤罪となった時に人はどうなるのかに興味を抱いたというのが、『無実の君が裁かれる理由』を書いた経緯です。
――一方、一昨年発表された『100年のレシピ』は伝説の料理研究家の人生を遡って、昭和史、戦後史が見えてくるミステリでしたよね。『巌窟の王』も、長い期間にわたるなかで、他のさまざまな事件や時代の流れが盛り込まれ、また違った昭和史が背景に見えてくる。時代を書き残したい気持ちもあるのかなと思ったのですが。
友井:デビュー後しばらく経ってから、もっと広い視点というか、大きな視点で作品を書きたいという気持ちは芽生えていたんです。きっかけは、森絵都さんの『みかづき』などですね。あれは塾経営に関わる家族たちの話で、日本の教育の歴史を長いスパンで描いていく作品ですよね。それと、真藤順丈さんの『宝島』も、沖縄の戦後を長いスパンで描く物語でした。映画だと「フォレスト・ガンプ」が好きなので、そういう長い時間で何かを描くというのは、すごく好きだし自分でもやってみたい気持ちがありました。
それに、自分の知らないことを知るために書くことが多いんです。冤罪もそうですけれど、『100年のレシピ』でも、最初に日本の料理研究家の歴史だったり、家庭料理の歴史を知りたいという気持ちがありました。それで調べてみて、これは長いスパンで書かなくちゃいけないと思い、戦後から現代まで俯瞰していく内容になったんです。
――『100年のレシピ』は章が進むごとにすこしずつ時間が遡り、その時々で料理研究家が、料理にまつわる謎に遭遇し、それを解いていく。最後は戦後の苦しい時期のことも描かれ、彼女がなぜ料理研究家になったのかも明かされていく。家庭料理の変化も見えてきて、手の込んだ料理こそ愛情のしるし、みたいな主張が肯定されないところにすごく納得感がありました。
友井:それは絶対に書きたかったことですね。昔は家庭料理はもっとシンプルだったのに、どんどん複雑化されていって、そうしなきゃいけないという風潮によって家事従事者が苦しめられることになった。そういう歴史を学ぶと、「料理は愛情」といった考え方が家事従事者を縛るものなのだと見えてきたので、そこは外せなかったです。
――『100年のレシピ』の伝説の料理研究家、大河弘子は架空の人物ですが、『巌窟の王』の岩田松之助は実在の人物がモデルです。その点において、書く際にいろいろ意識されたことがあったのでは。
友井:実在の人物がモデルの作品を書くのははじめてのことなので手探りでした。小説にする上ではどうしてもフィクションとして書かざるを得ない部分が出てきますが、それ以外に関しては、事実誤認がないよう誠実に書こう、という気持ちでいました。
――資料はかなり残っていたのですか。
友井:大きな資料が3,4冊くらいあったのと、あとは雑誌だったり、新聞だったりをかき集めました。名古屋にも行って図書館にこもって、資料をコピーしたりもしました。
――20年以上刑に服しても屈せずに無実を訴え続ける強さと、彼を信じた人たちがいたことに圧倒されます。それにしても、主犯の男性が長年にわたって嘘をついたり証言を覆したりしていて、かなり奇妙ですよね。
友井:そこは小説ではかなり読みやすくしています。その男の尋問シーンも書きましたが、黙り込んだり、のらりくらりとかわしたり、証言を変えたり...。作中ではその行動に対してこうだったのではないかという説明づけはしていますけれど、それは僕の創作なので、彼がなぜずっと必要のない嘘までつき続けたのか、本当のことは分かりません。でも、世間には理解の及ばない人っていると思うんです。そういった人間の闇の部分、負の部分は、岩田の対比として書きたい部分ではありました。
――岩田さんも、あまりの理不尽さにかっとなって人を殴ったりもしますよね。そうなる気持ちも分かりますし、そうした人間臭さがリアルでした。
友井:そうですね、真犯人を前にして、気持ちが昂って殴ってしまったというのも事実です。ただ、そういう失敗をしてもすぐに反省するような、すっきりした気持ちのいい人物だったようです。裁判官でも、実際に彼に会った人は、基本的に無実だと信じる人がほとんどだったようです。再審を却下した人は、本人に会っていない人が多かったんです。作中に出てくる新聞記者の白井も「会えば分かる」と言っていますが、本当にそんな感じの人だったようです。
――無実を勝ち取るまでの長い時間のなかで、二二六事件や鉄道ミステリとして名を残す三鷹事件、免田栄さんの冤罪事件などにも言及され、時代の流れや当時の出来事が分かるのも興味深かったです。
友井:時代と不可分にあるので、要所要所で時代が感じられるような描写を入れました。「鉄腕アトム」だったりもそうです。ただ、そうしたものは本筋とは関係ないので、いかに浮かないように入れ込むかは悩みました。
――それにしても錚錚たる方々が帯に推薦コメントをくださってますね。横山秀夫さん、門井慶喜さん、乙一さん、月村了衛さん、薬丸岳さん...。
友井:乙一さん以外は、骨太の社会派を書かれている方々ですよね。門井さんはブラカドイでお会いしたことがあるんですけれど、他の方々は面識がなくて、コメントをいただけるなんて本当に光栄です。
――ブラカドイとは、門井さんによる建築物等の説明を聞きながら散歩する集まりですよね。他にも、芦沢央さん、今村昌弘さん、大石大さん、岡崎琢磨さんからも推薦コメントが。
友井:芦沢さんはアンソロジーでご一緒したことがあるし、今村さんもブラカドイやパーティーとかでお会いしてことがあって。大石大君は乙一先生のファンサイトに入り浸っていた頃からの知り合いで、いまだに交流があります。出会った頃はお互いただの小説ファンだったのに、今では二人ともプロの作家になって、少し前に『死神を祀る』というすごくいい作品に文庫解説を書かせていただいたりして、とても感慨深いです。
岡崎琢磨さんがコメントに「法の正義について問い続けてきた著者の最高到達点」と書いてくださったのが本当にありがたかったです。料理ものやライトな作品を書く作家と思われていたし、それで評価していただいてきたので、それとはまた違うものを出させてくれた光文社さんありがとうございますという気持ちです(笑)。






