作家の読書道 第285回:嶋津輝さん
40代になってから小説教室に通ってデビューを果たし、単行本3作目の『カフェーの帰り道』で直木賞を受賞した嶋津輝さん。市井の人々の日常を、ユーモアを交えて描く筆致の源泉はどこにあるのか。その読書遍歴や昭和好きになったきっかけ、デビューにいたる経緯などたっぷりうかがいました。
その6「小説教室に通い始める」 (6/9)
――小説を書き始めたきっかけは何だったのですか。
嶋津:その頃は投資会社にいたんですけれど、リーマンショックの後、仕事が暇になったこともあり、なんとなく小説が書いてみたくなったんです。書いたこともなかったので小説家になりたいとまでは思わず、あくまでも習い事の感覚でした。41歳で小説教室に通い出したときも、別に書きたいものがあるわけではなくて。そうしたら「何を書いていいか分からない人は自分の家族のことを書いてみてください」と言われ、大変性格がよろしくなかった祖母のことなら書けると思って、書いたら褒められました。
――一緒に住まわれていたお祖母さんのことですか。
嶋津:そうです。まあ、だいたい初心者は褒められるんです。新しく入った人は自己紹介として好きな作家を言うんですが、私は幸田文と言いました。小説を提出した後で、先生に「幸田文が好きなだけあって、文章がしっかりしてますね」と言われた記憶があります。
その歳になると人生経験もたまっているので、自分を題材にして書けることが結構あるんです。なので、3か月のクラスで1、2作は出すペースで書いていました。出せば褒められたり、クラスの人に話しかけられたりするのが楽しくて。最初の1年はどんどん書いていました。
――絶対に文才があったと思うんですけれど、それまで日記をつけるとか、SNSをやるとか、何か文を書くことはされていたのですか。
嶋津:日記はつけていたのと、36歳で再婚したんですが、夫が管理している猫ブログみたいなものがあって、たまに私も書いていました。でも、それくらいでした。
――仕事でも、メールの文章を褒められていたとうかがいました。
嶋津:あ、そうですね。社内で送るメールの文章が面白いといっていじられることが多くて、意外と自分の書くものは面白いのかもしれないと思ったかもしれないです。昔の小説を読んでいたせいか文章が硬く、「小職は」とか書いて、文体が昭和だと言われたりして。
たまに取引先が、ccにアドレスがたくさん入っているメールで変な話題を無茶ぶりしてきて、それに対して私が何か返すと、「今の返しは百点満点」と褒められたり、結構メールのやりとりは楽しんでました。
――どんな感じなのか、具体例を知りたいです...!
T塚(嶋津さん編集担当):たとえば、直木賞を受賞された後、上野で「オール讀物」のグラビア撮影をしたんですよ。その前日に嶋津さんから慌てた様子で「明日はパンダが出国するから混んでいるかもしれません」とメールがきて、その数分後に「すみません、パンダの搬出場所が離れているから大丈夫でした。豊富なパンダ知識を披露したくて先走りました」というメールがきて(笑)。そのグラビア写真のチェックの時も、「二枚目の写真の私、顔が岩石のよう...」みたいな返事がきて...。
――あはは、それは読む人は和みますね(笑)。ところで、小説教室はどのようにして選ばれたのですか。
嶋津:ググってみたところ、新宿の朝日カルチャーセンターの根本昌夫さんの教室が、いちばんクラスが細かく分かれていたんです。当時は「入門」コースだけでふたつありました。これだけ分かれているなら私でも入りやすいだろうなと思って入門のクラスに入ったんですが、何も書いたことがないというのはほぼ私だけでした。だいたい皆さんなにかしら書いていて、他人に批評してもらいたいと思って入っていました。
――それは、根本さんの教室から芥川賞受賞者がおふたり出る前になりますか。
嶋津:そうですね。根本教室に通われていた若竹千佐子さんと石井遊佳さんが同時に芥川賞を受賞されたのは、私が教室には通わなくなった後でした。あの時は根本先生の教室が一気に満員になったそうです。今でも通っている友人に訊いたら、最近は多少は余裕があったそうですが、私が直木賞を獲った後にまた埋まったそうです。そんな大々的に根本先生の名前を出してはいなかったんですが、やっぱり気づかれるんですね。オール讀物新人賞を同時受賞した佐々木愛さんもワンクールだけ根本教室に通っていたので、単行本デビューする時に「オール讀物」で佐々木さんと根本先生と鼎談をしたんです。それもあって、みなさん知ったのかなと思います。
――教室で扱う小説は、純文学が多かったのですか。
嶋津:課題図書として読むのは純文学が多かったです。芥川賞受賞作や、純文学系の新人賞の受賞作もよく取り上げていて、エンタメはごくたまに、でした。
――ご自身では、自分が書いているものについてジャンル的なことはどう意識されていましたか。
嶋津:最初は自分のことを題材にしていたので、私小説だと思っていたんですよね。私小説=純文学だと思っていました。はじめて百枚のものを書けたのが通い始めてちょうど一年経つ頃で、まさに高飛び込みをする女子高校生の話でした。それをはじめて新人賞に応募することになったんです。授業の後の飲み会みたいな場で、友達が「嶋津さんのこれ、出してみたらいいと思いませんか?」と話を振ってくれて、根本先生が「いいんじゃない?」「ちょっと縮めて、今だったら文學界新人賞の締め切りが近いから出してみたら?」と。当時、文學界新人賞は年2回締切があったので、それで応募しましたら、最終選考まで残ったんです。いやあ、勘違いしました(笑)。私、センスあるかも、って。
――いやいや、勘違いじゃないですよ。
嶋津:でもまあ、落選して。選評を読むとこれはエンタメじゃないかという指摘が多かったです。その後もこだわって何回か文學界新人賞に応募したんですが、予選通過もできなくて。太宰治賞のような中間寄りの賞だと二次通過まではいくんですけれど、3年くらいは成果が出ませんでした。それで、エンタメ系の「オール讀物」とか「小説宝石」とか「小説推理」といった短篇新人賞に提出先を変えたら、2年目にオール讀物新人賞で受賞できました。
――2016年にオール讀物新人賞を受賞されたのが、文庫『駐車場のねこ』(単行本時のタイトルは『スナック墓場』)に収録されている「姉といもうと」ですね。その頃書いていたものは、現代が舞台のものが多かったのですか。
嶋津:途中まではずっと自分の経験をもとにして、自分みたいな人ばかり書いていたので。はじめて自分と関係ない人を書いたのが「姉といもうと」でした。
あの話を書いたきっかけは、沢木耕太郎さんの『凍』というノンフィクションでした。登山家夫妻のお話で、奥さんの山野井妙子さんは手足の指を凍傷で失うんですが、失ったものに未練がなくて、人間としてすごく柄の大きな人で、彼女に強く惹かれたんです。こういう大きい女性を書いてみたいと思って、指に欠損のある、でもそれを苦にしていない女性が出てくる話を書いてみたんです。はじめて自分ではない人、自分っぽくない人を書いた作品で賞を獲ったので、ああ、こういうので通るのかという感じがありました。
――受賞作の「姉といもうと」は、指を失った女性が妹で、主人公はお姉さんですよね。そのお姉さんは幸田文の『流れる』を読んで女中に憧れ、裕福な夫婦の家に家政婦として通うようになって...という。
嶋津:最初は近代物にしようかなと思ったんです。戦前くらいの話で、妹には指の問題があるのでお姉さんが奉公に出て、みたいな内容を考えたんですけれど、時代考証にまったく自信がなかったので、現代の家政婦さんにしたんだと思います。
――短篇の中にいろんな要素があって、どこに話が転がっていくか分からなくて面白かったです。主人公の仕事先の夫婦がなかなか姿を見せなかったり、妹が働いているのが近所のラブホテルだったり。
嶋津:前に投資会社にいた時に、ラブホテルばかりに投資するファンドがあったんですよね。そこを担当していたのでラブホの営業とか、風営法やその改正とかに詳しかったんですよ。その知識を活かせるなと思いました。
――じゃあ作中にある、3人は駄目だっていうのは...。
嶋津:ラブホテルは女2人と男1人での利用はいいけれど、男2人と女1人は駄目というのは実際にあるルールです。そういう"あるある"を入れてみました。
――『駐車場のねこ』に収録されている短篇はどれも面白い要素が組み合わさって意外な方向に話が進みますよね。競馬がお好きだとうかがって、収録作の「スナック墓場」が女性3人が競馬に行く話なのも腑に落ちました。読むと、きっちりプロットを組み立てて書くタイプではなさそうな印象ですが。
嶋津:プロットを立てて成功したことがないんです。どこか一か所くらい目標を定めて、そこに向けて書きながら組み立てていくという書き方しかできないような気が今もしています。


