作家の読書道 第285回:嶋津輝さん
40代になってから小説教室に通ってデビューを果たし、単行本3作目の『カフェーの帰り道』で直木賞を受賞した嶋津輝さん。市井の人々の日常を、ユーモアを交えて描く筆致の源泉はどこにあるのか。その読書遍歴や昭和好きになったきっかけ、デビューにいたる経緯などたっぷりうかがいました。
その7「デビュー前後の読書生活」 (7/9)
――小説教室に通われていた頃は、どんな小説を読んでいたのですか。
嶋津:自分で書くようになってからが最も読むようになりました。根本さんが作った「これくらいは読んでおいたほうがいい」という本のリストがあるんです。一作家につき1、2作挙げられていて、そこから読んだりしました。でも、私はわりと、根本さんが挙げていない作品のほうが好きだったりしました(笑)。
――そのなかで特にお好きだった作品は。
嶋津:川上弘美さんはたくさん読みまして、特に『真鶴』が好きでした。川上さんの文体は、小説を書く人なら一度は憧れるんじゃないかなと思います。私も憧れました。ひらがなを多用する感じとか、独特な表現とか。
色川武大さんもやはり文章が痺れるのと、作者の人を見る温かな目線に惹かれました。特に好きなのは『怪しい来客簿』です。
その後に小川洋子さんの大ブームがきました。『海』は私にとって短篇のバイブルみたいな一冊ですね。短篇集は『偶然の祝福』も好きです。長篇も好きで、特に『博士の愛した数式』以降の温かみのある作品に嵌りました。『ミーナの行進』とか『猫を抱いて象と泳ぐ』とか。私がはじめて長篇に挑戦する時に『ミーナの行進』みたいなものを書きたいと思ったんですが、それで書きあがったのが『襷がけの二人』でした。
――『ミーナの行進』みたいなものを書こうと思って、『襷がけの二人』ですか...??
嶋津:風が吹けば桶屋が儲かるくらい遠く離れましたけれど、そもそもはそうだったんです。『ミーナの行進』は章が細かく分かれているので、自分も最初は異様に短く章を分けていたら、すぐ編集者に指摘されて諦めました。
――さきほど小道具がお好きとのことでしたが、小川さんの作品もいろんな心くすぐる小物が登場しますよね。
嶋津:そうですね。あとは、ブラックな要素が急に放り込まれる感じも好きで。たとえば『猫を抱いて象と泳ぐ』は切ない話でありながら、マスターが太りすぎて遺体がバスから出せなくなって、クレーンで吊り上げられるところとか、知り合った女の子が、自分が昔ミイラと呼んでいたものに似ているからといって、急に「君のことをミイラと呼んでもいいかな」なんて話しかけるところとか。そんな、くすっと笑える感じがもう大好きで、小川さんは永遠のアイドルです。
町田康さんの『くっすん大黒』も面白かったです。でもあの文体は絶対に真似してはいけないとは感じます。真似したら怪我をする、と。小説教室では町田康さん、西村賢太さんを目指しているなと感じる作品を出す男性が多いんですけれど。あの文体は相当技術力がないと難しいですね。
内田百閒も楽しく読みました。『百鬼園随筆』、『ノラや』、『サラサーテの盤』、『阿房列車』......もう、本当に本当に愛おしいです。
夏目漱石は短篇集の『文鳥・夢十夜』が好きですが、有名どころの長篇も好きです。漱石は意外と笑えるところが多くて、読んでいると、真面目な顔して笑いのセンスがある人だなと思います。
岡本かの子の『老妓抄』という短篇集も非常に格好よくて。完成度の高い短篇がいっぱい並んでいるんですが、なかでも「鮨」が好きですね。好き嫌いの多い子供が出てくる話です。
――お母さんが鮨を握ってあげるという話ですよね。
嶋津:そうです、そうです。文章がやっぱり素晴らしいんですよ。岡本かの子は子供を柱に縛り付けて執筆していたといいますが、それくらいするとこれだけのものが書けるのだなと。
この頃に、奥泉光さんといとうせいこうさんの文学ライブ「文芸漫談」にも何度か行きました。小島信夫さんの『アメリカン・スクール』を取り上げた回が神回で、本当にいじり倒すんですね。たしかに『アメリカン・スクール』ってツッコミどころの多い作品ではあるんですけれど、文芸漫談きっかけで読まなかったら、この面白さにそこまで気づけなかったかもしれません。小島信夫はその後も結構読みましたが、『アメリカン・スクール』に入っている表題作と、収録されている他の短篇が好きです。
「文芸漫談」は志賀直哉の『暗夜行路』の回も面白かったんです。『暗夜行路』は主人公の男がひたすらああでもない、こうでもないと悩んで終わる感じなんですけれど、それを奥泉さんが、「僕だったらこの小説の終わらせ方は、ああでもない、こうでもないと言いながらどんどん文字を薄くしていきます」と言ったら、いとうさんが「えっ、フェードアウト?」って(笑)。
――そうしたイベントにもよく行かれるのですか。
嶋津:私は書きたいもののストックがないので何か刺激を受けたくて、実作者のトークショーには時折足を運んでいました。保坂和志さんが定期的にやってらっしゃる、小説的思考塾とか。その経験が直接執筆には結びつきはしませんでしたが、面白い本との出会いはありました。
コロナの頃、西崎憲さんの教室にも行ったんですよ。もうデビューしていたんですけれど、なにかとっかかりを得たいと思って。生徒参加型の授業で、とにかくサボれないのでものすごく疲弊するんです。私はワンクールでやめてしまったんですけれど、いい経験でした。大喜利みたいなことをするんですね。たとえば、まったく関連のない単語を立て続けに3つ挙げてみてください、とか。総理大臣が急に亡くなったのと同じくらい重要な出来事を挙げてみてください、とか。私はとっさに「ずっと育てていた、ほくろから生えている長い毛が切れた」って答えたら「いいですね」と褒められました(笑)。
――頭の体操みたいですね。
嶋津:一度、あらゆるお題にすべて競馬ネタで答えたら、西崎さんが「嶋津さんは人からよく、馬鹿にしているでしょ、って言われない?」って。馬鹿にしているでしょ、と言われたことはないけれど、不真面目だと言われたことはあるので、鋭い指摘だと思いました。私を知っている人たちは深く頷くと思います。
――西崎さんや他の生徒さんたちは、嶋津さんが作家だと認識されていたのですか。
嶋津:いえ、言いませんでした。でも最初の授業で書いた文章を読み上げた時に「慣れてらっしゃるけれど、もう賞とか獲られてます?」と訊かれて。「ええまあ、まあ......」みたいな反応をしたら「無理して言わなくていいですから」みたいな感じでした。時期的にみんなマスクをしていたし、飲み会とかもなかったのでバレませんでした。なかなか空きのない人気のクラスなんですけれど、たぶんコロナの影響もあってたまたま空きがあったので行ってみたんです。
――短篇集の『スナック墓場』(文庫版タイトルは『駐車場のねこ』)、どれもすごく面白かったので、書くものがないと思いあぐねておられたとは想像しませんでした。
嶋津:最初の担当編集者が「2か月に1本短篇を出してください」とお題を与えてくれたので、本当に恵まれていました。あれがなかったら私はズルズルと怠けていたんじゃないかと思います。
――あの作品ではクリーニング店の店主や、工場のラインで働く女性などいろんな職場の人が出てきますが、どうしてあんなに詳しいのですか。ラブホテルについては先ほど謎が解けましたが。
嶋津:「ラインのふたり」で書いた工場での作業も経験があるんです。税理士試験を受けている時期に、もうあと1科目で受かるから、集中して一発で受かろうと思って、半年くらい仕事を辞めていたんですね。試験が終わった時期に、スケジュールが調整しやすいように日雇いの仕事をしようと思って倉庫で働いたんです。本当に「ラインのふたり」に出てくるような場所で、1日で嫌になってしまって。小説に書いた通り、まず本当にバスに酔ってしまったというのと、社員が偉そうだったんです。あれはその時の記憶で書きました。
――短篇集が出た後、他社からも声がかかったのではないですか。
嶋津:何社からかお声をかけていただいたのに、全然書けなかったんですね。特に注目もされていない新人なので、依頼も「何か書けたら送ってください」くらいの感じが多かったです。具体的にどこを目指して書くということがないと、そもそも怠け者ということもあって、まず書けないんですよ。
――2作目となる長篇『襷がけの二人』は、19歳で裕福な家に嫁いだ千代と、その家の女中頭で元芸者の初衣の物語です。戦争によって離れ離れになった2人が、逆転した立場で再会して...という。大正から昭和初期にわたっての物語ですが、この時代を舞台に選んだのはご自身ではなかったそうですね。
嶋津:当時の担当者から「嶋津さんは近現代が向いているんじゃないか」と言われて、中島京子さんの『小さいおうち』や、大島真寿美さんの『ツタよ、ツタ』という、その頃が舞台の小説を渡されて。それで自分でも書いてみようかなと思いましたが、高いハードルでした。
――意外です。高峰秀子や幸田文がお好きなだけに、ご自身で提案されたのかと思っていました。
嶋津:読むのは好きですが、書くとなるとまったく違いますね。当時の人が着ているものもよく分からないですから。『襷がけの二人』も、出だしで主人公が魚屋に行く場面が出てくるんですけれど、昭和24年の東京でどんな魚が売っているのか、調べても意外と分からなくて。結局、昭和13年生まれの父親に頼りました。11歳くらいの頃の魚屋はどんな感じだったか聞いたら、もう魚は普通に売っていたし、なんなら今より種類はあったと言うので、その記憶を信じることにしました。
――そもそも担当編集者が嶋津さんに「近現代を書かないか」と言われたのは、どうしてだったのでしょう。慧眼ですよね。
嶋津:『スナック墓場』(文庫版タイトルは『駐車場のねこ』)を担当していた編集者に提案されたので、直木賞の授賞式のスピーチでその方の名前を出してその話をしたら、ご本人が「あれは当時のオールの編集長が言ったことで、自分はそれを伝えただけですよ」とおっしゃっていて。でも当時のオールの編集長はあんまり憶えていなくて、どうも単なる思いつきだったようです(笑)。でも、よくぞ勧めてくださった。たしかにいきなり現代もので書き下ろしをやろうとしても難しかったと思うんです。近現代ものという縛りがあったのは、大変な反面、話作りとしてはやりやすかったかな、と。出来上がるまでに4年もかかっておいてなんですけれど。
――近現代ものを書きましょうとなった時に、『ミーナの行進』を書こうと思われたわけですか。
嶋津:それは私の中では矛盾はなくて、近現代ものでもあるけれど、『ミーナの行進』みたいに仕上げたいと思っていました。小川さんの、いかにも「むかーしむかし...」で始まるお話的な文体がすごく好きで。あの雰囲気で長篇を書き上げたいと思って書き始めたら、大きくそれていきました。
――登場人物やストーリーはどのように決めたのですか。
嶋津:まず、生活感のあるものが好きというのがありました。女中というのも、やはり幸田文の『流れる』が好きでしたし。それと、森茉莉です。森茉莉のエッセイにすごく格好いい女中さんが出てくるんですよ。最初にお嫁に入った先が裕福なお家で、そこの女中頭のお芳さんが義父のお妾さんなんです。仕草が粋な方で、森さんがとても懐くんですよね。あの難しそうな人柄の森さんがお芳さんのことはすごく慕っていて、どの随筆でも褒めているんです。それが気になって、たぶんお芳さんをお初さんに投影したと思います。



















